対談:箭内道彦×青田由幸 東日本大震災から約4年。いま求められる復興支援のカタチとは?

対談:箭内道彦×青田由幸 東日本大震災から約4年。いま求められる復興支援のカタチとは?

文:榎並紀行(やじろべえ) 写真:MeetRecruit編集部

東日本大震災からもうすぐ4年。復興に向け、企業ができることは少なくない。継続的な復興支援は、企業のCSR活動の中でも大きなウエイトを占める取り組みのひとつだ。

だが、その一方で、月日の経過とともに被災地のリアルな実情が見えづらくなっている側面もある。被災地の現実を正しく認識しなければ、そこに暮らす人々に寄り添った支援を行うことは難しい。では、被災地に暮らす人々は今、どんな困難を抱え、何に不安を感じているのか? そして、今後求められる復興支援とはどんなものなのか? 

今回は、福島県郡山市出身のクリエイティブディレクター・箭内道彦さんと、南相馬市にある障がい者施設の代表理事を務める青田由幸さんに、被災地の今とこれからの復興支援について聞いた。

ふたりの縁は、昨年末に行われたリクルート主催のチャリティーイベント「東北和綴じ自由帳展」で生まれた。被災地の障がい者施設で働く人々が"和綴じ製本"した自由帳に187人のクリエイターが表紙をつけ、展示・販売するというもので、その収益金は被災地の子どもたちを支援する団体に寄付される。箭内さんは表紙をデザインするクリエイターのひとりとして参加。青田さんは障がい者施設の代表として、周辺地域の工房とともに約3000冊におよぶ自由帳の制作を担った。

―― まず、おふたりが「東北和綴じ自由帳展」に参加することになった経緯を教えていただけますか?

青田由幸(以下、青田) 和綴じ製本自体は、もともと南相馬市にある私どもの事業所「ビーンズ」で、障がいのある方々が手がけていたものです。震災以降、被災地では多くの人が職と仕事を失いました。そこで、1年半前から現地に仕事を生み出す目的で和綴じのメモ帳を作り始めたんです。今回は、その取り組みに興味を持ったリクルートのクリエイションギャラリーの方からお声がけいただき、参加することになりました。

箭内道彦(以下、箭内) 僕は以前からリクルートさんのチャリティー企画展である「CRATION Project」にご一緒していたので、その流れで今回も参加させていただきました。

―― 箭内さんはこうしたチャリティー企画や復興支援イベントへの協力依頼を受けることも多いと思うのですが、参加する、しないを判断するポイントはありますか?

箭内 いただいたお話はスケジュールさえ合えばだいたい受けるようにしているんですが、一応基準として「どこにどれくらい寄付されるのか?」「ちゃんと被災地のためになっているのか?」という点は気にしています。そういった意味で、「東北和綴じ自由帳展」をはじめとする「CRATION Project」はよくできたプロジェクトですよね。被災地の人々が手がけた仕事によって生まれたお金が、被災地の子どもたちのために使われる。展覧会を訪れた人たちも東北に思いを馳せることができる。本当に有意義な仕組みだと思います。

青田 私も同感です。今回は私たちの施設だけでなく、福島県、岩手県、宮城県の9カ所の施設で自由帳の制作が行われたのですが、被災地に新たな仕事が生まれたという点でも、意義深いイベントだったのではないでしょうか。

箭内 そう、仕事をつくるのは本当に大事ですよね。でも、それが東北の人たちにとって重荷になっていないかどうか、その点は注意しなければならないと思います。仕事があるのはいいけど、毎晩徹夜して倒れちゃったんじゃ本末転倒ですし。そのあたりをコーディネートできていないと、かえって迷惑になってしまう。復興支援って、一方的な思いだけで成り立つものではないんですよね。

震災から4年。今も続く被災地の苦悩

―― 震災から間もなく4年目を迎えようとしています。被災地の現状を教えてください。

青田 もう復興は終わったようなイメージを持たれている方もいるかもしれませんが、決してそんなことはありません。原発の30km圏内、40km圏内に暮らす人たちは今も大きな不安を抱えていますし、高齢化も進んでいて介護の担い手が圧倒的に不足しているという問題もあります。一方で県外に避難した人たちも、地元に帰れない苦悩を抱えています。避難すれば「地元を捨てた」「逃げた」という罪悪感にかられ、とどまれば「そんな危険な場所に残って大丈夫なの?」と冷たい目で見られてしまう。

箭内 そうした両者の溝は、確かに存在します。それぞれ事情があっての選択なので、本来どっちも否定できない。だからこそ、みんなそれぞれが決めたことに対してアレコレ言わず、尊重し合えればいいなとは思うんですけどね......。僕はどっちの友達もいて、それぞれの立場や思いもわかるから、辛いですよね。

青田 大事なのは箭内さんのように、両者の状況を正しく理解し、どちらの気持ちもわかったうえで、それでも何とかしようと思ってくれる人が増えていくこと。外側から福島を見つめ、それぞれが抱える悩みや辛さを代弁する声は非常にありがたいです。

箭内 それぞれがそれぞれの立場で苦悩を語ると、そんなつもりはなくても逆の立場の人を傷つけてしまう恐れがあるんですよね。だからこそ、僕らみたいな立ち位置の人間が発信していくことが大事で、そのためには、本当のことをちゃんと知る必要がある。それこそ風評だったり、不安を煽るようなデマ情報だったりも多くて、何が本当なのか分かりにくいんですけど。少なくとも、「そこに住んでいる人たちが、どんなことを感じているのか」ということを知ってほしい。

現地に関心をもつことが、復興支援の第一歩

―― とはいえ、支援したい気持ちはあっても、何をしたら良いか分からず無力感に苛まれている人も多いと思います。震災復興という大きなテーマを前に、私たちはどのように関わっていけばいいのでしょうか?

箭内 確かに、震災復興への関わり方ってすごく難しいですよね。僕自身、被災直後はかなりの無力感を覚えました。やはり最初はみんな水や食料、ぐっすり眠れる布団がほしいものですし、その中でデザインやクリエイティブの力が役に立つ状況はなかなか訪れなかった。でも、そのうち、今回の「東北和綴じ自由帳展」もそうですけど、出番みたいなものがそれぞれに回ってくるようになるんです。だから少しずつ、自分にできることを探していけばいいと思います。たとえば現地に足を運んで、周辺をふらっと散歩して、どこかラーメン屋さんに入るでもいいし、地元の人とちょっとだけ話して帰ってくるとか。それも復興支援のひとつです。

青田 それは本当にそうですね。特に若い人が現地に関心をもち、足を運んでくれるのは有難いこと。復興のカギとなるのは、やはり若い力なんです。若者が増えると、不思議と高齢者も元気になるんですよ。なかには地元に戻り、「自分たちが福島を盛り上げよう」と活動を始めている若い人が出てきていますが、全体的に見るとまだまだ少ない。そうした動きがもっともっと活発になれば、次のステップに進めると思います。

箭内 チャリティーやボランティアに対し、「偽善」とか「あざとい」とか言う人もいますけど、それでも誰かが元気になるんだったらあざとくてもやる意味があると思うんです。否定とか肯定とか、賛成とか反対とか、その軸じゃないところで復興がまっすぐ前に進んでいったらいいなと思いますね。被災地は今も本当に大変な状況ですから。

プロフィール/敬称略

青田由幸

特定非営利活動法人さぽーとセンターぴあ代表理事。1954 年福島県生まれ。福島県南相馬市の会計事務所に嘱託勤務。妻、長女、次女(重度障がい者)とともに仙台市在住。震災後は両親の介護のため本人のみ南相馬市在住。2008 年 5 月NPO法人を立ち上げ、障害福祉サービスとして生活介護、就労支援B、活動支援センター、障がい者相談支援の事業を運営している。

箭内道彦

クリエイティブディレクター。 1964年、福島県郡山市出身。東京藝術大学卒業後、博報堂勤務を経て「風とロック」を設立。タワーレコード『NO MUSIC, NO LIFE.』、リクルート『ゼクシィ』など数々の話題の広告キャンペーンを手掛ける。『月刊 風とロック』発行人。ロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストでもある。

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