矢野 碧衣

新卒Division
中四国グループ(岡山)

※2023年度時点

県外流出が進む地方の学生と
地元企業との出会いを
創り出す

どんなドキドキがあった?

人の期待に応えたい。喜んでほしい。でもその想いがいつしか思い込みに…

広い海に囲まれた小さな島で育ちました。都心に比べて子どもの数は少なく、頑張れば頑張るほど周囲の大人たちから注目され「すごいね!」「この子は特別だね」とほめてもらえるような環境。周りの人たちが喜んでくれることが、子ども心にとても嬉しく感じていました。頑張って良い成果を出したい。大好きな人たちに喜んでもらえたら、私も幸せ。最初はそんなまっすぐな想いだったはずが、いつからか「もし、私が失敗したら、周りの人たちを失望させてしまうのではないか」と不安に感じるようになり、それは次第に「私は『できる自分』でないといけない」という思い込みに変わっていきました。
 中学生のとき周りの友達から生徒会への立候補を勧められました。期待してくれるのは嬉しかったけれど、そもそも私は人前で話すことが苦手だったのです。それでも「みんなに喜んでほしい。失望されたくない」と立候補することに。しかしスピーチするため壇上に上がると「失敗したらどうしよう」と悪いことばかり考えてしまい、頭は真っ白。周りが思う「優等生」のイメージを壊さないように振る舞えば振る舞うほど、自分の力が出せなくなる。その時はなんとか最後までスピーチを終えられたものの、本当の自分はできる“ふり”をしているだけだと気づき、心の中では「このままじゃダメだ」と不安でいっぱいでした。
 新卒でインフラ系の企業に入社し、営業職に配属されるも、私の「このままじゃダメだ」という想いは変わらず、それどころか大きくなっていきました。営業先のクライアントに嫌われないようにとばかり必死な自分は、内実の伴わない表面的な仕事をしているのではないか。そんな問題意識から、多くの人の喜びを生み出すため、より挑戦ができる環境を求めてリクルートに転職。地方エリアの企業を対象に、採用活動についての課題、解決法を考え、施策を提案する仕事に就きました。
 転職して8ヶ月が経った頃、担当している岡山県内のある企業の採用活動をお手伝いすることになりました。特に地方では、首都圏へ人材が流出し、望むような採用がうまく進まないことに課題を抱えているケースが増えています。そうした悩みや課題を深く観察し、解決する方法を考えるのが本来の私の仕事でしたが、私は無意識のうちにわからないことについても知っている“ふり”をしながら、採用担当の方と良好な関係を構築することに力を注いでいました。「わからないので教えてください」の一言が、どうしても言えなかったのです。

どんな一歩を踏み出した?

知っている“ふり”をやめて「教えてください」と言ってみる

結局、自分の知らないことを聞けず、その企業の本質的な課題も掴めないまま、提案書を書くことに。目の前にできていくのは、お客様不在の提案書。知ったふりをするのに精一杯で、お客様のことを本当に知ろうともしていない。
 提案前日の夕方まで、1人でなんとかしようと粘り続けていました。でも「この提案書はちっともお客様を喜ばせることにつながらない」と思い至り、その虚しさに耐えられなくなって、ようやく私は思いきって上司に「未完成の提案書を見てください」とお願いすることにしました。上司から言われたのは「この提案書で、お客様は本当に喜ぶかな?」という厳しい言葉。でも、それを聞いたとき、不思議と胸がすっきりしたんです。優等生キャラを演じなくても、目の前の仕事を見て、徹底的に伴走してくれる人が私にはいる。もっと人を信じても良いんだ、と思えました。次の日、私は採用担当の方に「もっと御社のことを教えてください。もっとしっかり理解した上で、ご提案したいんです」とお願いしました。ご担当の方は、そんな私を快く受け入れてくださったのです。
 その後私は、その企業がどんな理想像を抱いているのか、どんな仲間を欲しがっているのか、他社ではどのような取り組みをしているかなど、できる限りのさまざまな情報収集をしました。そして、ただ情報を集めて正解らしきものに近付こうとするのではなく「きっとこの会社が本質的に抱えている課題は、こういうことではないか」と自分なりに仮説を立て、その課題を解決するための提案書へとつくり直していったのです。
 新たにつくった提案書を採用担当の方にお見せし、お話すると「実はそういうことに困っていたんだ」「まだ手をつけられていないんだけど、今後やりたいと思っていた」などと、抱えていらっしゃる悩みや未来のありたい姿を聞かせてくださいました。単なる「良好な関係」ではなく、「ともに課題を解決するパートナー」へと近づけたような気がして、これまでにない喜びを感じました。

そのとき何が起こった?

自分を守らなくてもいいと知る。「変わる私」のほうが好き

未完成のダメな提案書を見せた私に、上司が厳しくも温かい言葉を投げかけてくれた。「教えてください」と頭を下げた私を、お客様が受け入れてくださった。この経験を通じて、28歳にして私は何かから解き放たれたような感覚になりました。できない自分をさらけ出し、教えてくださいと言うのは、周りを失望させることではなかった。むしろ本当に相手を喜ばせたい、相手のためになりたいと思うのであれば、率先して自分の未熟なところをさらけ出し、「教えてください」と言うべきだったのです。
 そして、上司や同僚、お客様に、悩みや弱点も含めて自分を開示するようになってから、私の仕事のあり方は一変しました。今の自分の状況や、知りたいことをオープンにさらけ出すことで、周りの方から関連する情報やアドバイスをどんどんいただけるようになったのです。次第に企業の採用担当者の方々から「矢野さんにだったらお願いしたい」「矢野さんの意見を聞きたい」と言っていただけることも増えて、仕事の成果にもつながっています。
 きっと以前の私は、失望されて傷つくことに過剰に怯え、自分を守ることを最優先していたのだと思います。でも私が本当にしたかったのは、相手を喜ばせることでした。だったら自分を優秀な人間と思わせることよりも、自分を開示し、周りの方から1つでも役立つ知 識や情報を得たほうが、真に相手のためになるはずです。そのように考えが変わってから、自信がつき、働くことが楽しくなりました。
 これまでは、いつもどこかで「このままじゃダメだ」と自分への不安を抱えていました。今は自分がダメかどうか気にするよりも、自分が本当にしたいこと、幸せだと感じることに向かっていくほうが重要だと考えています。一歩踏み出してみたら、傷つかないために自分を守ることより、自分が変わっていくことのほうが何倍も楽しかったんです。

リクルート社員の「私の一歩目」

  • ビューティDivision
    大阪美容2グループ

    田村 葵

    ※2023年度時点

    体育祭の有志演目、全力でやりきってみた

    高校の体育祭に、ダンスやスポーツで対抗する恒例の催しがありました。参加は強制ではなく有志で本心では私も参加したかったものの、その時期ちょうど家庭のことでかなり忙しく…。両立は無理かなと迷いながらも、「高校生の思い出は、今しか残せない」と、両方全力でやりきることを決めて参加。結果、最高の思い出に!この経験から、何かを決断するとき「自分がどうしたいか」を大事にして、意志を持った行動ができるようになりました。

  • まなび教育支援Division
    中四国2グループ

    渡部 岳

    ※2023年度時点

    歌手になると決めて、バンドを始めてみた

    家庭の事情で転校が多く、新しい街に移るたびに友だちをつくるのに苦労しました。共通の話題といえば、流行りの音楽。音楽っていいな、という気持ちが徐々に憧れになり、高校生のときに「歌手になろう」と決めて、バンド活動を始めてみたんです。それからはダンススクールに通うなど、毎日がキラキラ輝くように!夢に向かって頑張る過程も、達成感を得られた瞬間も、とにかく最高でした。頑張ること、やりきることがいかに大切か、夢を追った時間が教えてくれました。

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