世界最先端のニュートリノ研究グループに所属する26歳。素粒子物理学に魅せられて

世界最先端のニュートリノ研究グループに所属する26歳。素粒子物理学に魅せられて
文:森田 大理

高校2年生までフルート演奏一筋だった少女が、現在は素粒子物理学研究者に。米国ハーバード大学博士課程に在籍中、久保田しおんさんの生き方から、現代若者の価値観を探る

1990年代中盤以降生まれの「Z世代」が、いよいよ社会で活躍をはじめている。彼らはどんな社会背景を持って育ち、どのような価値観を持っているのだろうか。今回話を聞いたのは、米国ハーバード大学の博士課程で素粒子物理学の研究を行っている久保田しおんさん。現在は同大学に在籍しながら英国マンチェスター大学でも活動しており、世界最大のニュートリノ研究グループであるDUNEプロジェクトに携わっている。

1997年生まれの久保田さんは、高校まで日本の女子校で過ごしており、もともとは理系の専攻でもなかったという。そんな彼女が素粒子物理学の最先端ともいえる研究プロジェクトに参加するまでになったのは、一体どのような価値観のもと、どんな決断をしてきたからなのだろうか。久保田さんの道のりを通して、現代の若者の生き方を探った。

好きになったものはとことん調べたいし学びたい、“オタク気質”

── 久保田さんはどうして物理学に興味を持ったのですか。

理由はひとつではないのですが、一番は高校2年の出来事です。それまでの私は音楽一筋で、フルートに情熱を傾けていました。ところが、歯列矯正をはじめたところ、急にフルートから音が出なくなってしまって。不思議に思って調べてみると、矯正器具が息を吹く時の空気の流れを変えたために、音を震わせられなくなったことが分かりました。この現象を説明してくれたのが「流体力学」という物理学の分野の一つ。調べるうちに楽しくなってきて、本格的に勉強しようと思ったんです。

── 音楽一筋だった久保田さんが物理の道に進むのは、かなりハードルが高いように感じたのですが、なぜ興味に留めずその道へ進む決断ができたのでしょうか。

私は小さい頃から好き嫌いがはっきりしていて、一度好きになると突き詰めたくなるタイプなんです。例えば、コロナ禍で外出ができなかった期間は漫画『ONE PIECE』にハマり、人物相関図や作品全体に散りばめられた伏線を整理してノートにまとめたくらい。好きになったことはとことんリサーチし、考察したい“オタク気質”なところがあって。全く縁のなかった物理の世界に飛び込む決断ができたのも、そんな性格が影響していると思います。

大学のオーケストラでフルート協奏曲を演奏する久保田さん
大学のオーケストラでフルート協奏曲を演奏する久保田さん

── しかし、日本の大学で物理を専攻するのではなく、いきなりアメリカへ留学していることに驚かされます。もともと理系の高校生ならまだしも、大胆な決断ができたのはどうしてでしょうか。

実は、以前から海外留学をしたい気持ちは漠然とあったんです。先ほどお話したとおり、私は好奇心のスイッチが入ると貪欲なタイプなので、授業中にも積極的に質問したいし、自分の意見も発信したい。でも、日本の学校でそんな風に行動すると、白い目で見られたり“意識高い系”と言われたりすることがあって。それならプレゼンテーションやディスカッションが中心のアメリカの学びの方が、私はのびのびと学べる気がしていました。

でも、漠然とした思いだけで海外に行きたいとは言い出せなかった。それこそ、意識高い系と言われてしまうことを恐れる気持ちもありました。だから、私にとっては物理学との出会いが海外留学の背中を押してくれた感覚なんです。幼い頃からの私の個性を理解している母からは、「あなたはアメリカの方が合っていると思う」と応援してくれましたし、他の人にも私は物理を学びにアメリカへ行くんだと胸を張って言えるようになったんですよ。

様々な理論を探求することは、“伏線回収”に似た面白さがある

── 2015年にアメリカ最古の女子大学といわれるマウント・ホリヨーク大学へ入学されています。ここでの大学生活はいかがでしたか。

はじめはまったく授業についていけず、打ちのめされた気分でしたね。渡米前にTOEFLで高得点が取れていたけれど、それはあくまでもテストの点数。現地で話される英語が理解できずあたふたするばかりでした。また、物理のクラスに参加するために、ベースの知識として数学をどの程度学んだのかを確認されたのですが、質問の意味をちゃんと理解しないままYesと答えていたら、高校では学ばなかった数Ⅲ・Cレベルを履修済みだと回答していたことも。英語もできなければ基礎知識も身についていない状態で、「あなたは日本に帰った方が良い」と諭されたことすらありました。

── それでも挫けなかったのはどうしてですか。

プライドもあったと思います。実は私、大学受験の際、名門大学を中心に16~7校受験したものの、受かったのはそのうち5校ほど。マウント・ホリヨークの志望順位は13番目くらいでした。この大学で学ぶことを諦めたら、私はアメリカでは通用しないと認めてしまうようなものだと思って。日本から参考書を取り寄せて猛勉強しましたね。その甲斐あって、2か月くらいで基礎知識が追いついてきましたし、英語も徐々に分かるようになってきたんです。すると、授業が一気に面白くなり、いつの間にかクラスのトップになっていたんですよ。苦しい時期でしたが、努力を続けるうちに一気に目の前が拓けてくるような高揚を感じることもできました。

物理学部の教授や友人と学部卒業式に参加した久保田しおんさん
物理学部の教授や友人と参加した学部卒業式の様子

── 学部生時代には物理学だけでなく、コンピューターサイエンスや哲学なども学んだそうですね。興味のある分野をとことん突き詰めるだけでなく、幅広くいろんな学問に触れたのはなぜですか。

アメリカの大学ではリベラルアーツが盛んで、入学時点で専攻科目を絞らなくても良かったのが前提にあります。でもそれだけでなく、私は一つの問いに対していろんな学問や理論からアプローチしてみるのが好き。どんな公式や理論を使っても同じ結論が導き出されるような、“矛盾がなく完全な状態”に美しさを感じるんです。一見関係のなさそうな学問同士が、同じ真理にたどり着くような繋がりを見つけたときは、まるでドラマや映画の“伏線回収”のような気分。それが面白くて他の人の3倍くらい授業を取っていた大学生活でした。

── では、久保田さんの今につながる学部生時代の“伏線”は何だったのでしょう。

ひとつは、物理学の教授との出会い。私を認めてくださって、授業外でも物理に関するいろんな話をしてくださいました。物理学の世界でトレンドとなっている事柄について議論したり、今勉強している内容の延長線にはどんな可能性が待っているのかを示してくれたり。教授と話す時間のおかげで、私は研究に情熱を燃やし続けることができたと思います。

もうひとつは、共学校ではなく女子大で物理を学んだことです。もともと高校まで女子校に通っていたこともあり、当時はあまり深く考えていなかったのですが、今になってこの環境で学べたことが幸運だったと感じています。というのも、物理学はただでさえ女性の研究者が少ない理系の学問において、さらに女性が少ない分野。カンファレンスに行けば女性は私一人ということも珍しくありません。その点、女子大では物理を学ぶ全員が女性で、リーダーを担うのも当然女性。ジェンダーバイアスとは無縁の環境でのびのびと学べたから、好きなことに正直でい続けられた。もしもっと志望順位が高かった共学校に受かっていたら、少なからずジェンダーによるレッテル貼りに晒されたでしょうし、違う選択をしていたかもしれません。

未だ解明されていない謎に向き合い、人類の限界を少しでも広げたい

── 久保田さんが物理学の中でも素粒子物理学の研究にたどり着いたのはなぜですか。

私が本格的に物理を学びはじめた当時、素粒子の一種である「ヒッグス粒子」に関する話題で盛り上がっていたことをきっかけに興味を持ち始めました。素粒子物理学は未解明の謎がまだまだ多く、一度発表された理論が覆ったこともあるくらいカオスに満ちている。混沌と興奮が渦巻いている状態が、私にはとても楽しそうに感じられました。

── 学部卒業後は、ハーバード大学の客員研究員として素粒子の一つである「ニュートリノ」検出器(実験装置)のデザイニング・エンジニアリング研究を1年間行い、同大学の博士課程に進学しています。これはどのような経緯なのですか。

きっかけは、自分の道を決めるために、素粒子以外の物理も経験してみようと考えたこと。オタク気質な私は良くも悪くもハマると周りが見えなくなりがちなので、ほかのことも見てみようと思い直した時期があるんです。それで、通っていた大学の外で研究の機会を得ようとした結果、ハーバードにたどり着きました。学部生時代の後半は車で片道2.5時間の距離を毎週往復する生活。魚群探知機の研究などもやってみたのですが、ハーバードで「ニュートリノ」の研究チームに出会い、やはり私は素粒子の道を行こうと決心がついたんです。大学卒業後の1年間は携わっていた研究に継続参加するために客員研究員という立場を経験。その後、博士課程に進学しました。

── 現在はハーバードに籍を置きつつ、イギリスのマンチェスター大学でも研究していますよね。

今、DUNE(Deep Underground Neutrino Experiment)と呼ばれる世界最大規模のプロジェクトが進行中で、ニュートリノ研究を牽引する重要人物たちがマンチェスター大学に集まっているんです。私がハーバードで師事してきた教授もマンチェスター大に移籍することに。彼女のもとで引き続き研究がしたいし、こんな壮大なプロジェクトに参加しない手はないと思って海を渡ることにしました。現在はニュートリノ実験に用いるための巨大な検出器を制作中。2029年の稼働を目指しています。

マンチェスター大学のラボで教授たちと談笑する久保田しおんさん
マンチェスター大学のラボで教授たちと談笑する久保田さん

── 実験を開始するために今から5年はかかるのですね。そんな風に何年も同じテーマに向き合い続けることは苦しくないですか。久保田さんのように、幼少期から変化のスピードが非常に早い時代を生きている世代は、長期の時間軸で取り組むことをどう捉えているのでしょう。

たしかに、現代は社会をスピーディーにどんどん変化させていく人の方が注目されやすいですよね。次々に取り組みを転じながら社会を動かしていく人も必要だと思います。でも、私はスピードを上げることよりも、未知の領域を解明することで人類の可能性を広げるような仕事がしたい。知識によって人間の限界を超えたいんです。簡単には分からないものだからこそ時間もかかるし、解明するために必要な技術をイチから開発しなければならないことも多々あります。一筋縄ではいかないからこそ、私はワクワクするんです。

また、私が携わっているような研究は、人類が生み出してきた知恵の積み重ねでもある。もととなる理論を発表した人、当時の社会から認められずバカにされた人、年月を経て先人の理論を証明した人…と、いろんな人の歩んだ道のりが鎖のように連なって、今につながっているんです。だからこそ、私も人生をかけてその鎖の一員になれたらかっこいいなと思っています。

── 日本にいた頃と比べると、自分の何が変わったと思いますか。

自分に自信が持てるようになったと思います。今の自分があるのは、少なからず自分が努力した結果。頑張ることを恥ずかしがらないようになりました。その一方で、教授や友人たちからの影響も大きいです。私は学部生時代から意識的にいろんなコミュニティに参加し、自分と違う視点やアイデアから刺激をもらうことを大切にしていました。すぐに役立つヒントになったこともあれば、当時はあまり重視しなかった出来事が今になって役立つこともあります。一つ一つはバラバラの“点”の出来事でも、いつか必ずつながるはず。そう信じられるようになったからこそ、これからも私は自分の興味や好奇心に従って積極的に飛び込んでいきたいですね。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

久保田 しおん(くぼた・しおん)

1997年神奈川県横浜市生まれ。高校まで日本の女子校で過ごしたのち、米国Mount Holyoke Collegeに進学。物理(専攻)、哲学(Certificate)、コンピューターサイエンス(副専攻)、数学(副専攻)を学び、2019年に卒業。卒業後は、ハーバード大学にて1年間客員研究員としてニュートリノ検出器のデザイニング・エンジニアリングの研究を行い、その後、ハーバード大学物理博士課程に進学。現在はマンチェスター大学物理学部にも在籍し、世界最大のニュートリノ研究グループであるDUNEのプロジェクトに携わる。

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