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「超多様性」の実現に向けてパラローイング選手、成嶋徹の挑戦

2020年09月14日

「超多様性」の実現に向けてパラローイング選手、成嶋徹の挑戦

様々なバックグラウンドの人たちが勇気を出して一歩を踏み出し、周囲がその姿勢を受け入れる『超多様性』を、僕自身が示していきたいです。

成嶋 徹 <NARUSHIMA TORU>
出身地:山梨県甲府市
生年月日:1984/5/9
障がいの種類:マフッチ症候群
競技名:パラローイング

【競技実績】
 ●2019年 第10回大津市民レガッタ 第3位
 ●2018年 第13回びわこ市民レガッタ2018 300m 準決勝

「超多様性」の実現に向けて パラローイング選手、成嶋徹の挑戦

ボート競技「パラローイング」で、世界の舞台を目指すアスリートがいる。成嶋徹さん。山梨県を拠点に、自宅の離れに作った専用のトレーニングルームで技術を磨く。仕事との両立に、競技の変更。その向上心の源にはどのような想いがあるのか。原動力に迫る。

成嶋さんの1日はローイングの練習に始まる。毎朝5時30分に起床する。向かう先は、現在の住まいである勤務先の社員寮から徒歩3分ほどの空き民家。その一室が成嶋さんのトレーニングルームだ。ストレッチや腕立て伏せで少しずつ体を慣らし、首筋で脈を測る。十分に温まったことを確認すると、6時にはトレーニングを開始する。

トレーニングでは、ローイングエルゴメーター(以下エルゴメーター)というボート競技の漕ぐ動作を再現できるマシンを使う。力強く漕げば漕ぐほど負荷がかかる仕組みで、距離を設定してタイムを測ることもできる。水面でボートを走らせるのは月に1度。練習に充てる時間のほとんどをこの部屋で過ごす。朝のトレーニングを1時間半ほどで切り上げると、朝食をとり、8時30分ごろには出社する。

勤務先である東日本旅客鉄道株式会社では、山梨県を走る中央本線の上野原駅から小淵沢駅の区間で、各駅の巡回や経理などの庶務を担っている。仕事が終わり帰宅すると、18時ごろからまた離れのトレーニング部屋にこもり、21時半まで体を動かし続ける。

ハードな練習後のひそかな楽しみの一つが寮の夕食だ。「競技を続ける中で、食事にも気を遣うようになった」という成嶋さんの舌をうならせ、栄養バランスの観点でも優れているそうだ。トレーニングが長引き、寮が設定する夕食時間の終わる間近に食堂へ駆け込むこともあるという。そんなときでも「寮のおばちゃんは、『がんばっている成ちゃんだから、まだ大丈夫よ』と大目に見てくれる。支えられています」と、成嶋さんは笑う。

パラローイングという競技

パラローイングには、3パターンの種目がある。大きくは障害の重さによって分かれており、1人乗りと、男女ひとりずつでペアを組む2人乗り、そして男女2人ずつでチームを編成する4人乗りの競技だ。成嶋さんは4人乗りパラローイングの選手。4人乗りの場合は、選手と別に「コックス」と呼ばれる船頭役が1人つき、選手がオールを押し引きするタイミングをとる。「キャッチ!(水をとらえる)」、「ロー!(こぐ)」と声掛けするのが一般的だという。

成嶋さんのパラローイング歴は、まだ1年足らず。もともとは競泳選手で、全国大会で入賞するなどの成績を残していた。しかし、競泳はまだ続けているものの、目標としていた日本代表をねらうにはタイムが足りていない。そこで、自身の競技適正も見極めた上で、パラローイングで日本のトップを目指す決断をした。

初の大会出場、課題も見えた

2018年9月9日の朝5時半、成嶋さんは滋賀県の琵琶湖近くのホテルで目覚めた。琵琶湖で開催された「第13回びわこ市民レガッタ2018」に参加するためだ。パラローイング選手として初の大会出場に、いやがおうにも緊張が高まった。9時からのレースに備えて、7時に会場入りする。糖分を補給し、ストレッチやランニングで体を温めていく。慣れたウォームアップのはずが、いつもより早く脈打つ自分に気づく。「もともと緊張しやすいタイプ。できる限り頭の中でレースをイメージするようにした」という。

障がいの有無に関わらず参加できる大会で、40チームが8組に分かれた。300メートルの直線で競い、各グループの上位2チームと敗者復活からの10チームが準決勝に、その中からさらに6チームが決勝へ進む。

いよいよ成嶋さんが所属する琵琶湖ローイングCLUBの出番が近づいてきた。4人乗りのボートで、成嶋さんが乗り込んだのは後ろから2番目。体を冷やさぬよう、動かし続けることに集中した。

緊張の一瞬、スタートの合図が切られるとともに頭の中は真っ白になった。船頭役のコックスが「キャッチ!」、「ロー!」とタイミングを合わす。その声だけを頼りに必死に手と足を動かす。結果はそのグループで1位。喜びが爆発した。メンバー同士、ハイタッチで健闘をたたえ合う。でもまだ勝負は終わっていない。準決勝に向けて、成嶋さんがメンバーたちに気合を入れる。「いくぜ!」「おお!」メンバーも呼応しチームが一つになる。準決勝は「とにかく夢中で試合中のことはほとんど覚えていない」と話すほど熱のこもったレースだった。全力を尽くしたものの、決勝進出にはあと一歩届かなかった。

試合後には、チームでレースを振り返った。ボートのバランスを保つためには、コックスの声掛けのタイミングに、メンバー全員が呼吸を合わせる必要がある。成嶋さんのチームには、肢体不自由だけでなく、さまざまな障害を持つ選手がいたため、言葉とともに動作で互いの意思を伝えるよう努めたという。

成嶋さんは、緊張から解かれた安堵と悔しさが複雑に入り混じった感情で、決勝のレースを眺めていた。

初めての大会出場は成嶋さんにとって、ますます競技へ打ち込むきっかけになった。現在は、琵琶湖ローイングCLUBの今村拓也コーチらのアドバイスを受け、漕ぎ方の改善に取り組んでいる。特に注力するのが、下半身をうまく使う「足で漕ぐ」感覚の習得だ。

成嶋さんは「オリエール病」という骨の病気に、血管腫を合併した「マフッチ症候群」と呼ばれる病気を持っている。「日本にいる患者は数名」(成嶋さん)だという。成嶋さんの場合は右足と右腕がそれぞれ、左と比べて20センチメートルほど短く、骨がもろく折れやすい。そのため、しゃがむ運動をする際に右足の可動域が限定されていた。それにより、足首が固まりやすくなるだけでなく、体幹で右足の動きをカバーするため、全体のバランスも悪くなっていたのだ。

これらを改善するため、足の屈曲を深くする機具を特注で作りトレーニングに励んでいる。加えて、「周囲の目がコンプレックスで、30年以上も避けてきた」という、右足の高さを補う装具も日常的に付けるようにした。トレーニングをしていないときでも、右足を使うよう意識しているのだ。

「超多様性の実現」と「自分を信じて強く生きること」

成嶋さんのパラローイング選手としての目標は、国際大会で日の丸を背負うことだ。そのために、エルゴメーターの計測会で2000メートルを6分52秒以下で漕ぎ「強化指定選手」になる必要がある。パラローイングでは、大会で出したタイムだけでなく、エルゴメーターで公式に計測したタイムも記録になる。成嶋さんの現在の自己ベストは8分46秒で、今はまだ2分ほどの開きがある。

まだまだ高い壁だ。そのことについて成嶋さんに水を向けると、深くうなずき、力を込めてこう切り出した。「僕は2つの信念を掲げて生きています」。

その1つ目は「超多様性の実現」だ。成嶋さんは生後3ヵ月で持病が判明し、小学校・中学校・高校と体育の授業は見学するのが常だった。そのため「例えば高校時代、僕は体育の授業中に、当時の携帯電話『ガラケー』をクラスメートから回収して見守る係でした。自分はスポーツができないとずっと思いこんでいたのです。でも今、僕はこうしてボートを漕いでいる。人はあきらめずに挑戦すればきっと目標を達成できるはずです。様々なバックグラウンドの人たちが勇気を出して一歩を踏み出し、周囲がその姿勢を受け入れる『超多様性』を、僕自身が示していきたいです」

2つ目は「自分を信じて強く生きること」だ。「挑戦して進んでいくと、それを遮る外部要因にぶち当たることもあります。『タイムを縮めるのは難しいんじゃない?』「競技に向いていないのでは?」などの声も聞こえてきます。でも、それらに左右されるのでなく、僕は僕を信じようと決めています。自分の信じた道で、支えてくれる人たちと一緒になって夢をかなえたいと考えています」。

成嶋さんの視線は、目先の競技で勝つことよりもずっと先をとらえていた。

障がい者スポーツには教科書がない

障がい者アスリートの多くは、練習場所が限られ、遠征費や道具の調達など金銭面でも苦慮している。こうした選手たちを支援する「DOSAパラエール」というプロジェクトを展開する一般社団法人スポーツ能力研究協会(DOSA)の大島伸矢理事長は、障がい者アスリートの育成は一筋縄ではいかないと話す。「障がい者スポーツには、技術を教える『教科書』がないのです。なぜなら、ボート競技を例にとっても障がいによって切断した箇所や部位、病気の種類など、条件が同じ選手は1人としていないからです。各人に合わせたボートの漕ぎ方に工夫が必要であり正解はないのです」。そのため、コーチも手探りで指導にあたる部分も多く、選手自身が研究して練習方法を改善していく姿勢が求められるのだという。

こうした障がい者アスリートを支援する輪は、民間企業にも広がっている。その一つが人材サービスを手掛けるリクルートキャリアだ。同社で執行役員を務める浅野和之さんは、支援の理由を「成嶋さんをはじめとする選手たちが、競技に本気で取り組む姿勢を知ったからです」と説明する。

浅野さんは、「個人を変えてあげる」でなく、「変わろうとする個人を見守る」が本来の支援のありかただと主張する。この考えは会社が持つ人材観に起因するという。

「私たちは、『人の可能性に期待し信じ続ける』ことを大事にしています。成嶋さんに対しても同じです。成嶋さんがぶつかる壁は、成嶋さんにしか乗り越えられません」。浅野さんはさらに続ける。「私たちにできることは限られています。しかし成嶋さん自身があきらめず挑戦する姿勢をもっている前提であれば、より安心して競技に打ち込める環境が整うことで、壁を乗り越えられると期待し、信じ続けることはできます」。

成嶋さんなどの障がい者アスリートを応援したい企業はリクルートキャリアだけにとどまらない。同社の活動には15社が賛同し、支援を行っている。

最後に浅野さんは「あくまで私たちは見守る立場ですが」と前置きしながら、こう付け加えた。「それでも成嶋さんが世界の舞台に立てば、おのずと応援に熱が入るでしょうね。がんばってほしいです」。

朝5時半、成嶋さんはまたいつもの離れに向かう。「ブーン、ブーン、ブンブーン」。今日も早朝から、エルゴメーターが一定のリズムを刻み、力強く部屋中に鳴り響く。

※取材・文:夏目祐介、撮影:狐塚勇介
※2019年3月にNumber Webにて公開された記事を再編集しました

パラローイングをVR(360°)映像で体感してみよう!

障がい者スポーツの体験会は、毎回、体験する人たちが熱を帯びる瞬間に立ち会えるイベントです。ですが、場所も、器具も、アスリートも、時間も、さまざまな制約があり、体験するチャンスは限られています。

もっと、多くの方がアスリートの想いに触れることで 障がい者スポーツのワクワク感に出会ってほしい。

障がいが違えば漕ぎ方が変わる。 違いを知り、チームになり、2000mスピード勝負に挑む。 水面でオールを操り進む、パラローイングの醍醐味をVR(360°)映像にしました。 お手元のスマートフォンから、ぜひ体感してみてください。

アスリートの想いを知り、障がいの有無にかかわらず一人ひとりが活躍する社会を。 リクルートでは障がい者理解を広げる活動「パラリング」を推進しています。

※スマートフォンのYoutubeアプリで再生すると、専用ゴーグルを使わずにVR(360°)映像が閲覧できます

「アスリート応援プロジェクト」の活動

アスリート応援プロジェクトの概要

 アスリート応援プロジェクト -挑戦への壁を壊せ- こちら

アスリートインタビュー

●黒川 真菜:ボート
 障がいがある人もスポーツができることを自分自身が証明したい こちら

●稲葉 将:パラ馬術
 先天性の障がいがあっても馬術で活躍できることを見てもらいたい こちら

支援レポート

●一般社団法人スポーツ能力発見協会(DOSA)理事長インタビュー
 障がいを持った方々がスポーツに取り組める"きっかけ"づくりをしています こちら

●障がい者アスリート支援実施のご報告 こちら

●支援企業からのエール こちら

パラリングとは?

「パラリング」とは「パラダイムシフト(考え方の変化)」と「リング(輪)」の造語で、障がい者理解を広めていくリクルートの活動です。リクルートは障がいの有無に関わらずそれぞれが活躍できる社会の実現を目指して活動をしています。

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