留学先のニューヨークでパンデミックを経験。宇宙×神経科学の道を進む23歳の研究者が、コロナ禍で学んだこと

留学先のニューヨークでパンデミックを経験。宇宙×神経科学の道を進む23歳の研究者が、コロナ禍で学んだこと
文:森田 大理 写真:須古 恵

目指すは、宇宙空間で起こる視覚障害の解明。壮大なテーマに取り組む若き研究者 原野新渚さんにとって、パンデミックはどのような機会だったのか

かつての米国同時多発テロ事件(2001年)やリーマンショック(2008年)、東日本大震災(2011年)がそうであったように。社会の空気を一変させるような出来事は、当時の若者の価値観形成や進路選択に大きな影響を与えてきた。それならば、コロナ禍は2020年代の若者の価値観に少なからず影響があったはずだ。多感な時期に大きな社会変化を経験した彼らは、どのような人生の選択をはじめているのだろうか。

今回話を聞いたのは、2023年夏より米国ニューヨーク大学で神経科学の博士課程に在籍している原野新渚さん。現在"宇宙×神経科学"をテーマに研究を行うことを目標とする原野さんは、高校卒業後の2019年にコロンビア大学へ進学し、約半年後に留学先のニューヨークで新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウン(都市封鎖)を経験した。大きな挑戦をはじめた直後に機会を奪われてしまった経験は、原野さんのその後の道のりにどんな影響を与えたのだろうか。

宇宙に携わる夢を諦めずにいたら、神経科学にたどり着いた

── まずは渡米する前の生活や、元々興味があったことについて教えてください。

私は東京生まれで10歳のときに沖縄に移住。米軍基地の近くで暮らしていたこともあって、中学3年の夏から高校卒業まではアメリカンスクールに通いました。小学生のころから興味があったのは、「宇宙」。ちょうど、探査機「はやぶさ」が小惑星イトカワの粒子を採集して地球に帰還したことが大きく話題になった時期で、そのニュースに心がときめいた私は、「はやぶさ」を題材にした映画や展示を観に行ったり、ティッシュの空き箱で「はやぶさ」を模した工作をしたり。子どもがやりたいことを思い切りやらせてくれる親の教育方針のおかげもあって、宇宙にどっぷりハマっていきました。

そのため、将来は宇宙飛行士になることを漠然と夢見るようになっていったんです。ところが中学生の頃、宇宙飛行士の応募条件に一定以上の度数が求められる(当時)ことを知りました。私は小さいころから視力が弱く、その時点で自分には無理だと突きつけられたような気分でした。

── それでも「宇宙」は現在の原野さんに繋がるキーワードですよね。

宇宙飛行士の夢は現実的に厳しいことが分かったものの、だからといって宇宙が好きな気持ちに変わりはありませんでした。宇宙に関わる方法は他にないだろうか。そう思って、夏休みにはJAXA主催の教育プログラム「きみっしょん(君が作る宇宙ミッション)」にも参加。サポートしてくださったJAXA職員や大学院生との接点によって、研究者として宇宙開発に携わる道があることを知りました。

渡米する前の生活や、元々興味があった宇宙について話す原野新渚さん

── 大学・大学院の専攻でもある「神経科学」にはどうやってたどり着いたのですか。

はじまりは、JAXAの「きみっしょん」で生物系の研究テーマをたまたま扱ったことです。大学院生のサポートもあって、生物学的なアプローチで宇宙に携わる方法もあるんだと知り、興味を持って宇宙空間が人体に及ぼす影響を調べてみると、未解明の視覚障害の存在にたどり着いたんです。宇宙飛行士の半数以上が、宇宙空間(微小重力環境)で視力が低下していること。まだ全容ははっきりと掴めていないものの、おそらく視神経などの神経系が宇宙空間に影響を受けていることが原因ではないかと言われていたこと。私がかつて視力の問題で宇宙飛行士を諦めたこととも重なり、神経科学に興味を持つようになりました。

私の気持ちに更に火をつけてくれたのは、地元沖縄にある沖縄科学技術大学院大学(OIST)のサマープログラムに参加したことです。実際の研究施設を訪れ、神経細胞を見せてもらう機会がありました。顕微鏡を覗いてみると、染色されて光る神経はまるで星々の瞬きのように見えた。宇宙に繋がっているようなインスピレーションが浮かんだことも、私が宇宙×神経科学をテーマに掲げる後押しになったんです。

コロナ禍の制限された日常が、多様なアプローチを考えるきっかけに

── 米国留学を希望したのはなぜですか。

アメリカンスクールに通っていたため外国語に対する抵抗があまりなく、進学の選択肢になりやすい環境だったことも理由の一つ。加えて、高校時代に出会ったOISTの学生さんたちに背中を押してもらったことも理由です。OISTは沖縄にありながら公用語は英語で、8割の学生が国外からの留学生。彼らが国を渡って学んでいる姿に憧れましたし、私を応援してくれたみなさんに勇気をもらい、アメリカの大学へ進学するという目標を立てたんです。

── 見事コロンビア大学に合格を果たし、2019年の8月にニューヨークへ渡っています。新型コロナウイルスによる混乱がはじまるまでは、どのような学生生活を送っていましたか。

18年間日本から出たこともなく、沖縄で暮らしていた私にとっては、ニューヨークはまるで違う世界でした。人の多さにも圧倒されましたし、冬の厳しさも予想以上。ただ、私が一番苦しんでいたのは、肝心の大学の授業についていくことだったんです。

コロンビア大学は一般教養を重視する大学でもあり、自分の専攻だけに閉じるのではなく、様々な分野を学ぶことが求められます。当時の私は、日常会話や自分の得意な領域を英語でコミュニケーションするのはそこまで苦ではなかったものの、一般教養として幅広いテーマをネイティブの人たちと授業でディスカッションするのは、なかなか大変で。

人一倍予習と復習をしないと授業についていけず、街に出る余裕もなかった。水中で溺れまいと必死に手足を動かしているような感覚がありました。

── では、2020年に入ってからはいかがでしょうか。ニューヨークではロックダウンも実施され、日本よりも厳しい制限が課されましたよね。

それまでの、情報が洪水のように押し寄せてくる日々が一変。学校はしばらく休校になり、再開後も1年間は授業がすべてオンラインになりました。私は学生寮に残って生活していたものの、極力人との接触は避けることが求められていたので、まるで「宇宙ステーションの生活」を疑似体験しているような毎日。でも、それくらい一人の時間が多かったからこそ、必然的に自分を見つめ直す機会になったんです。また、心細い日々を過ごす中で、自分が本当にやりたかった研究室での活動に打ち込むことが心の拠り所にもなりました。もしパンデミックを経験していなければ、忙しい毎日のなかで留学の目的すら見失っていたかもしれません。

留学中に起きたパンデミックの経験について話す原野新渚さん

── コロナ禍が一度立ち止まってみる機会になったわけですね。同じように、非日常だったからこそ普段は出来ない体験をする機会にもなった側面はありませんか。

オンラインで地理的に離れた人ともたくさん交流できたことは私にとって大きな刺激になりました。印象深いのは、ずっと憧れだった宇宙飛行士の山崎直子さんとオンラインイベントのパネリストとしてご一緒できたこと。リアルの開催であれば私が呼ばれることはなかったと思うので、オンライン化の恩恵を感じています。

── コロナ禍の前と後で、自分自身の価値観や考え方に変化を感じますか。

目標にたどり着くための道のりはひとつじゃないと考えられるようになりました。以前の私は、自分がこれと決めたら一直線に突き進むタイプで、それ以外の視点があまり持てなかった。例えば、大学卒業後の進路としては、「メディカルスクールで眼科の勉強をする」という道しか考えていなかったんです。

でも、パンデミックが起き、医療へのアクセスが極端に制限されたことで、メディカルスクールへの進学に必要な経験を積むことができず、必ずしも自分の描いた通りには行かないことを痛感。それなら他のやり方でも「宇宙×神経科学」を実現できる方法を考えようとフレキシブルな発想を持てるようになりました。

夢を叶えるだけでなく社会の役に立つために、私は宇宙を目指す

── 今年の5月にコロンビア大学を卒業し、現在はニューヨーク大学で神経科学の博士号取得を目指しているそうですね。この選択も、幅広い視点で自分のキャリアを考えられるようになった結果なのでしょうか。

そうですね。宇宙飛行士の視覚障害を解明することは、これからも変わらない永遠の目標なのですが、一直線にその研究をすることだけが正解でもないと思ったんです。そもそも私が探究しているのは未解明の症状だからこそ、どんなアプローチが原因の解明に役立つかも分かりません。それならば、私がまずやるべきは研究者としての基盤を確立すること。今は神経変性のメカニズムを研究しています。これは、アルツハイマーやパーキンソン病にも繋がるテーマ。この分野で認められるような研究成果を出すことが、宇宙医療研究の大事な足掛かりになると考えて取り組んでいます。

自身が目指す宇宙医療研究について話す原野新渚さん

── 原野さんがそこまで宇宙医療研究に情熱を傾けられるのはなぜなのでしょうか。

宇宙開発の進歩は目覚ましく、今後ますます宇宙に出ていく人は増えていくでしょう。それなのに、宇宙空間が人体に及ぼす影響を解明しきれていないことに私は危機感があります。宇宙開発をこれからもっと発展させるためにも障害の全容を解明したいと思っていて、これは大学受験時に提出したエッセイにも書いている、昔からの夢なんです。

そうしたロマンは変わらず抱き続けている一方で、これまでいろんな人と出会い、意見をもらうなかで、宇宙×神経科学というテーマを通して広く社会の役に立ちたいという思いも強くなってきました。というのも、宇宙空間において生物は地球上よりも早いスピードで老化していくことが確認されています。その原因を解明できれば、加齢現象を遅らせる画期的な手立てに繋がるかもしれない。究極の予防医学としてすべての人の役に立てるテーマだと考えています。

── 夢の追求だけでなく、人の役に立ちたいという新たな観点が原動力に加わったのは、コロナ禍の影響もあるのでしょうか。

影響していると思います。物理的には孤独な時間が長かったからこそ、距離は離れていてもサポートや応援をしてくださるみなさんの存在がありがたかった。逆に言えば、応援があったからこそ、非常事態のニューヨークに残って研究に打ち込むという決断ができたのだと思います。

また、研究に没頭しているとつい近視眼的なモノの見方をしてしまうときもあるのですが、専門外の人に客観的に話を聞いてもらい「それって意味があるの?」と率直な意見をもらうことが、別のアプローチに気づくヒントになったこともあります。自分一人だけの力では成し遂げられないと実感したからこそ、なおさら人の役に立ちたいと考えるようになりました。

私にとってのコロナ禍は、自分の好きなことについて深く深く考えられる期間だったかもしれません。なんのために私は宇宙×神経科学の道を進むのだろう。この道だけが正解なのか、他のアプローチもあるんじゃないかといろんな角度から考えてみる機会でした。だからこそ無邪気に夢を追い求めるだけでなく現実的に広く世の中を見渡しながら、世の中のために自分の研究を進めたいという気持ちが強くなったと思っています。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

原野 新渚(はらの・にいな)

2000年東京生まれ。10歳のときに家族と沖縄へ移住。小学生の頃から宇宙に興味を持ち、高校時には夏休みにJAXA主催のプログラムなどに参加。また、地域の大学院大学主催のサイエンスメンタリングプログラムに参加したことで、研究の世界に興味を持つ。高校卒業後は米国コロンビア大学に進学し、神経科学を専攻。2023年5月に卒業し、現在はニューヨーク大学で神経科学の博士課程プログラムに進んでいる。

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