何もせず、不安と向き合い気づいたこと。映画監督・山中瑶子が“人を頼れた”理由

何もせず、不安と向き合い気づいたこと。映画監督・山中瑶子が“人を頼れた”理由
文:栗村智弘 写真:須古 恵

カンヌをはじめ数々の映画祭でのノミネート、受賞を達成。『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督の葛藤と原点から、「自分との向き合い方」を考える

19歳から20歳にかけて制作した『あみこ』(2018年公開)が多数の海外映画祭に出品され、一躍注目を集めることになった映画監督の山中瑶子(やまなか・ようこ)さん。2024年に公開された最新作『ナミビアの砂漠』は、第77回カンヌ国際映画祭の監督週間で国際映画批評家連盟賞を受賞する快挙を成し遂げ、今後の活躍がますます期待されている。

「ハマると没頭するけれど、飽きるのも早い」「周りとは合わせられないけれど、どう見られるかは気にする」。葛藤を抱えながら育った一人の少女が、国際的な映画監督へと成長するまでには、どんな出会いや転機があったのだろうか。高校時代の尊敬できる「変な大人」との邂逅、コロナ禍で「作れない」状況に直面し自分と向き合った経験、「自分を信頼し続けたい」と語る理由まで、その素顔に迫った。

周りと合わせられない、けれど意識はする

― 山中さんは、どんな子どもの頃を過ごしたのでしょうか。振り返って思い浮かぶことはありますか?

手先がそれなりに器用な子どもでした。幼い頃から道具を使って何かを作るとか、いろんな作業を自分で勝手に始めていた記憶があります。母親は「誰よりも早くハサミを使い始めた」と、よく自慢してくれていましたね。絵を描いたり、手を動かしたりすることが好きで、没頭していたと思います。

同時に、すごく飽きっぽい性格でもありました。習いごともたくさん、たぶん10個くらい経験したのですが、結局ほとんど長続きしなかった。手芸や粘土はある程度夢中になったと思うのですが、時間が経つと集中できなくなって、気がついたらやめていましたね。

― 「ハマると没頭するけれど、飽きるのも早い」という感じでしょうか。

はい。とにかく、興味がなくなると全然手につかないんです。サボり癖もすごくて、「これは自分にとって必要ない」と思ったら、途端にやらなくなってしまう。たとえば、小学校の宿題も「やらなくていい」と一度思ったら、まずやることはありませんでした。

漢字の書き取りは「もうできるからやらなくていい」とか、夏休みの宿題も「休みが明けてから、やっていないみんなと学校でやればいい」とか。そうやって、踏み倒せそうな宿題はとことん踏み倒すような小学生でした(笑)。

好きなことには没頭するが、同時にすごく飽きっぽい性格だった、と自身の子どもの頃について話す、映画監督の山中瑤子さん

それは大人になった今でも、変わらないことの一つですね。「見切りをつけるのが早い」とも言えるかもしれません。むしろ大人になってからのほうが、より早く諦めるようになったと思います。

やらないならやらないで、早く言わないと周りの方に迷惑がかかってしまうという気持ちがあって、早く判断したい。ただ同時に、やってみないとわからないとも思っている。だから、まずは一度引き受けてやってみることが多いです。

― 自分なりのルールに従っているとはいえ、学校の宿題はやらないと叱られたりしませんでしたか?

最初は叱られましたが、やがて何も言われなくなっていきました。言っても無駄だと、諦められたのかもしれません(笑)。

そもそも、小学校という場所にあまり馴染めませんでした。「みんなと同じ方向を向く」というのが、どうしても苦手だったんです。だから問題児扱いされて、何か起こるとまず私が疑われる。大人から嫌われていたと思います。

ただ、一方では「社会性がある人だ」と周囲から思われたかった部分もあって。たとえば中学校でテニス部、高校でバドミントン部に入ったのも、少なからずその影響があります。

当時はテニスやバドミントンが好きだったわけではないし、むしろ美術部に入りたいと思っていたくらいでした。それでも運動部を選んだのは、その方が周りに与える印象が良くなると考えたから。いわゆるスクールカーストみたいなものを意識してしまって、美術部に入って地味な学生生活になるよりは、運動部に所属していた方が過ごしやすくなるのではないかと、どこかで思い込んでいたんです。結局馴染めなかったんですけどね。

― 周りと合わせるのは苦手だけど、周りからどう見られるかを意識する自分もいたと。

そうですね。小学生の頃、もっというとそれ以前から「浮きたくない」という意識は常にありました。馴染めないことに対する“不安”もあったんです。

そういう気持ちがあるなかで、子どもの自分を楽にしてくれたのが読書でした。いろんな本を読んでいると、葛藤を抱えながらも生きていく、様々な主人公の内面世界に触れることができます。その体験を通して、なんとなく「私の生き方も間違っていないのかも」と思えるようになっていった。自分の価値観を認めることができて、「まあ大丈夫か」と、少し楽観的な気持ちになれたんです。

― 山中さんの読書好きは、子供の頃からだったのですね。

始めは「親に勉強していると思われたい」という動機からです。家で勉強をしていないと怒られる、だけど勉強はしたくない…そこで、「勉強しているように見える」読書をするようになりました。

とにかく「どうやってサボろうか」と、いつも考えている子どもだったんです。人目がないと勉強せず、テレビをずっと見てしまうとか。すぐに怠惰な方向へ行ってしまう。そこも、いまだに変わらないですね。

でも、そうやって振る舞うことから得た発見や知識もたくさんありました。なので、結果的にはこの性格で良かったとも感じています。

尊敬できる「変な大人」が開いた、映画への扉

― 映画を作りたいと意識するようになったのは、いつ頃のことなのでしょうか?

高校生の頃です。美術の先生に勧められた『ホーリー・マウンテン』という映画作品が、一つのきっかけでした。

同作の最後に、段々とカメラが引いていって、メタな視点で撮影クルーたちが映るシーンがあって。その場面を見たとき、今からしてみれば単純な表現なのですが、とてつもない衝撃を覚えたんです。映画がどうやって作られているのかなんて、考えたこともなかった。だからこそ、いざ映されると驚きを感じたのだと思います。

もともと何かを作る人になりたいとは思っていたのですが、「映画でいこう」とはっきり意識したのは、その頃からです。高校2年生の時には、進路調査票を書くために、映画の勉強ができる学校はどこにあるかを自分で調べていた記憶があります。

― その美術の先生との出会いが、山中さんが映画監督の道へ進むひとつのきっかけになっているのですね。

そうですね。振り返ると、その美術の先生がすごく変わった人だったんです。たとえば、「この漫画を必ず読んで」と言って、その理由をまとめた手作りのプリントや新聞を生徒に配布していました。とにかく、自分の思想をためらいなく布教している感じの人でしたね。

私はその先生のことを尊敬していました。「変だと思われたくない」とどこかで意識して生きてきた自分にとって、その先生は圧倒的に"変"な雰囲気をまといながら、大人として堂々と社会生活を送っていた。私にとっては初めての、尊敬できる「変な大人」だったんです。

映画監督の道へ進むひとつのきっかけとなった、高校時代の美術の先生との出会いについて話す、映画監督の山中瑤子さん

その先生から教わったのは、映画に限らず、様々な文化や芸術がなぜこの世界に必要なのかということでした。あるとき出会った作品が、いつか自分の味方になってくれるタイミングが来る。不要だと切り捨てるのはもったいない、必ず人生を励ましてくれるものなんだと。はっきりそう言っていたわけではないのですが、そういう先生の想いがいつも感じられて、すごく感銘を受けていました。

そんな先生が勧めてくれた映画作品だからこそ、とても信頼感があった。「何かメッセージがあるのかな」と、勝手に思っていたんです。ただ、実際なぜそこまで『ホーリー・マウンテン』に衝撃を受けたのかは、自分でも未だによくわからない部分もあります。

― そうした経験を経て、日本大学芸術学部へ進学することになるのですね。どんなことを期待して入学しましたか?

実習や撮影を特に楽しみにしていたと思います。「映画を撮りに行くんだ!」という気持ちでした。

でも入ってみると、実技が始まるのは2年生からで、1年生のうちは基本的に座学のみ。映画を見てレポートを書くだけの授業も少なくなく、すぐに退屈に感じていました。今思えば映画史を学ぶことこそ大切なことだったんですけれど。授業にあまり出席せず、映画館に行って好きな映画を観たり、バイトをしたりしていましたね。

しばらくすると、「学費を出してもらっているのにダラダラ過ごすのも良くない」と思うようになって。1年生の時に、親に「辞めたい」と相談しました。もちろん反対されたのですが、私も引き下がることをせず…結局は一度休学をすることになったんです。

その休学中に撮ったのが、『あみこ』という作品でした。映画を作れば、「ただ休んで何もしてない」ことにはならずに済むと思ったので、とりあえず何か撮ろうと考えたんです。それに、大学の卒業制作では30分くらいの作品しか撮れないと知っていたので、それより長いものを自分で作ろうと思い、撮り始めました。

山中瑤子さんの長編初監督作品『あみこ』のワンシーン(©2017 Yoko Yamanaka)
『あみこ』は山中監督がスタッフ・キャストをSNSで探し出し、10代最後に仲間と共に独学で撮り上げた長編初監督作品。第39回ぴあフィルムフェスティバルで取り上げられ、PFFアワードで観客賞を受賞。その後も、第68回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に史上最年少で招待されたほか、香港国際映画祭やカナダのファンタジア映画祭など、各国の映画祭で上映。「どうせ死ぬんだから頑張っても意味がない」という考えを持つ女子高生あみこが、同じようなニヒリストだがサッカー部の人気者のアオミくんに恋をする。一生忘れられない魂の時間を共有した2人は、運命共同体になるはずだったが……。(©2017 Yoko Yamanaka)

― その『あみこ』が、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)アワード2017で入選するなどして注目を集めることになりました。

私自身は「そこそこ良い作品にできたかな」くらいの感覚だったので、思っていた以上の反響があって驚きました。何もかも初めてのことでしたし、「人って何を観たいのかわからないな」と率直に感じた記憶もあります。

同時に、PFFアワードは高校生の時から入選したいと明確に思っていた映画祭でもあるので、受賞できてすごく嬉しかったです。のちにベルリン国際映画祭でもこの作品が上映されたことを説得材料として、親から退学の承諾ももらえました。その意味でも、大きな出来事でしたね。

不安を受け止め、人を頼れるようになった

― 『あみこ』の公開から約6年後に、最新作の『ナミビアの砂漠』が公開となりました。この6年の間で、山中さんのなかでどのような変化があったと感じますか?

色々ありますが、自分のなかにある不安や焦りを、しっかり受け止められるようになったのは、大きな変化の一つかもしれません。変化のきっかけはコロナ禍でした。

先ほど、子どもの頃の習い事が続かなかったという話をしましたが、とはいえ一つ、絵画教室だけは10年間ほど続いたんです。理由は単純で「絵を描くと褒めてもらえるから」。評価してもらえることが、続けるモチベーションになっていました。

それも含めて、幼少期から「何かを作って認められる」ことを当たり前の動機として過ごしてきました。そういうモチベーションで何かを続けることに、疑いを持ったことがなかったんです。

でもコロナ禍になって、今までのようには「作れない」状況が訪れてしまった。その時、自分はこの先何がやりたいんだろうという、不安を感じるようになりました。周りを見ると、Zoom機能を活用したリモート映画を作ったり、家で歌ったり踊ったりしている人たちがいる。でも自分には、特にやりたいこともないし、やるべきこともない。焦るような気持ちになったのを覚えています。

― そこからどうやって、不安や焦りを受け止められるようになったのでしょうか?

とにかく何もせず、自分の本当の気持ちを考えようと決めました。「何もしない」努力をして、無理に頑張るのを一度やめてみたんです。すると、他人から評価されることはもちろん嬉しいことだけれど、それ以前に、自分自身が良いと思えるものを作れることが最も望んでいることだと気づきました。そこから少しずつ、不安や焦りを受け止められるようになったと思います。

一方で、「何もしていなかった」とはいえ、それが無駄な時間ではなかったとも思っていて。当時の私は20代の前半でしたが、この期間に「自分が本当にしたいこと」「そのために必要なこと」がクリアになって、どんと構えられるようになりました。「20代のうちに焦る必要もないな」と、素直に感じられるようになったんです。

― そうした変化も経て、『ナミビアの砂漠』の制作に取り組まれました。この制作期間を振り返って、改めて感じることはありますか?

それまで以上に「人を頼れるようになった」時間だったと感じます。

以前は、「人に助けてもらうのは、誰かにとっての迷惑なのではないか」と思っていたところもあって。うまく頼れず、一人で抱え込んでしまうタイプでした。

ただ『ナミビアの砂漠』は、コロナ禍もあり3年ほど何も撮っていない、ブランクを自覚した状態で迎えたものでした。だからこそ、いつもよりスタッフを頼ろうと素直に思えたんです。ブランクがあったことが、結果として良い方向に作用してくれたと感じています。

山中瑤子監督の最新作『ナミビアの砂漠』のワンシーン。主人公のカナを演じるのは河合優実さん(©2024『ナミビアの砂漠』製作委員会)
第77回カンヌ国際映画祭監督週間で、国際映画批評家連盟賞に輝いた人間ドラマ『ナミビアの砂漠』。世の中も、人生も全部つまらない。やり場のない感情を抱いたまま毎日を生きている、21歳のカナ。優しいけど退屈なホンダから自信家で刺激的なハヤシに乗り換えて、新しい生活を始めてみたが、次第にカナは自分自身に追い詰められていく。もがき、ぶつかり、彼女は自分の居場所を見つけることができるのだろうか…?主演は『あんのこと』で第48回日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞にも輝いた河合優実さん。(©2024『ナミビアの砂漠』製作委員会)

― コロナ禍で自分の気持ちと向き合えたことも、影響しているのかもしれませんね。

そうですね。結果的にではありますが、休んでいた期間があって良かったと思います。もし、あの期間も変わらず走り続けようとしていたら、自分の不安や焦りを受け入れて、人に頼ろうなんて発想にはならなかった気がしますね。

自分自身を信頼し続けたい

― 『ナミビアの砂漠』の公開も終えて、今後はどんなことに取り組んでいきたいと考えていますか?

「20代のうちにこれをして、30代ではこれをやって…」というような、具体的な計画は今のところありません。ただ「こういうふうに年齢を重ねたい」という、なんとなくのイメージはあります。

たとえば、20代のうちはまだ色んな人に甘えられるから、存分に甘えたいとか。30代になったら下の世代が出てくるので、話を聞いてあげたい。40代は若い子たちのために、何かを用意してあげられる人間になりたい。業界にいる一人の人間として、そんなことを考えています。

― そうしたイメージを実現していくために、どんなことが必要になるでしょうか。

まずは、自分自身の生活をもっと整えたいですね(笑)。家の中が常に片付いた状態であるとか、お金やデータなど、管理すべきものをちゃんと管理するとか…当たり前の話ですが、それができていないので、まずは身近なところを良くしていきたいという気持ちがあります。

「片付いていないと集中力も落ちる」とわかっていても、目の前の仕事が忙しいと、どうしても後回しにしてしまうので…20代のうちに、どうにかその辺りを変えていきたいです。

それから30代のうちに、自分が撮る映画の現場でより落ち着けるようになりたいです。今でもまだ初めてのことの方が多くて、毎回知らないことに直面してはあわあわとしてしまうので。イレギュラーがあったとしても、揺らがない土台のようなものを固めていきたいです。

ご自身のこれからについて話す、映画監督の山中瑤子さん

― 20代の残りと30代は、ご自身の足元をより安定させていくような時間にもなるかもしれませんね。

そうですね。そうやって過ごすことは、自分で自分をより信頼することにもつながるはずです。その意味でも、大事なことかなと思っています。

自分自身を信頼し続けたいという想いは、常にあるんです。自分を信じられていない人が作った映画は、やっぱり少し怖いというか、作品にも反映されると思うので。危うい過信ということではなくて、自分自身をしっかり信頼できている状態。どんな変化を重ねても、その状態は保ち続けたいと思っています。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

山中瑶子(やまなか・ようこ)

1997年3月1日生まれ、長野県出身。日本大学芸術学部映画学科に入学後、同校を休学中に19歳から20歳にかけて『あみこ』を制作。同作はPFFアワード2017で観客賞を受賞し、ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭、全州映画祭、ファンタジア国際映画祭など多数の海外映画祭に出品された。河合優実を主演に迎えた『ナミビアの砂漠』は、第77回カンヌ国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞した。

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