クライアントの告白で、決心した。賃貸不動産業界の積年の問題に挑んだ10年

クライアントの告白で、決心した。賃貸不動産業界の積年の問題に挑んだ10年

“おとり広告”という言葉をご存じでしょうか。消費者庁では「商品・サービスが実際には購入できないにもかかわらず、購入できるかのような不当表示」と規定しています。実はこのおとり広告、不動産賃貸業界でも積年の問題となっていました。そんななか、2012年の入社当時から、おとり広告撲滅に挑んできたのが、『SUUMO』の営業として関西エリアを担当していた、リクルート従業員の伊藤 慧。その歩みは本当に地道だったと言います。

不動産賃貸業界の積年の問題“おとり広告”とは?

―伊藤さんは不動産賃貸業界の“おとり広告”撲滅に向けて動いているとのことですが、そもそもおとり広告とは何でしょうか?

伊藤:おとり広告とは、不動産業界では昔から使われている言葉で、不動産会社が集客するために、架空の物件や入居済み物件、実際とは異なる好条件の物件を不動産ポータルサイトやチラシ等の広告に掲載していることを意味します。物件の情報を見て問い合わせ・来店したカスタマーに対して、「ついさっき他の人に決まりました」「もっと良い物件を紹介しますね」と別の物件へ誘導する行為が、不動産賃貸業界、特に自分が担当していたエリアである関西の賃貸業界では少なくなかったのです。

なぜおとり広告が発生するのかというと、業界構造が大きく関係しています。通常、物件にはオーナー(大家さん)がおり、オーナーから委託を受けた管理会社が家賃集金や物件管理を、空室が出た際の広告掲載・物件案内などは仲介会社が行う分業制になっていることが多いです。関東圏や他都市圏では、オーナーが管理・仲介まで行っているケースもありますし、管理会社が仲介を兼ねていることもあります。しかし、関西エリアでは歴史的に仲介会社の数が多く、影響力も大きかった。そのため、オーナーも管理会社も仲介会社に頼るのですが、同一の物件を多数の仲介会社が一斉に宣伝するため、ライバルに勝つためには差別化要素を作らなければカスタマーを呼び込めない。その結果、実態よりも良く見せたり、成約済みでも集客してしまうおとり広告が、ひとつの手として発生してしまっていたんだと思われます。

―業界構造的におとり広告が発生しやすいと。ですが、全ての仲介会社がおとり広告を行っているわけではないのですよね?

伊藤:もちろんです。行っているのは一部。ですがその一部のおとり広告実施社が原因で、おとり広告を打たずに真っ当な営業を行っている会社の集客が上手くいかなくなる状況が発生していました。しかしながら、カスタマーにとっておとり広告というのは見えにくいものです。問い合わせた物件が既に入居済みだとしても自分では気付けませんし、入学・就職・転勤などで引っ越すまでの時間が短い(平均約20日間 ※)賃貸カスタマーにとっては、早く他の物件を紹介してもらえればそれで良いことが多く、クレームにはつながらないので、SUUMO営業である私たちも気付きにくい。また、むやみに是正すれば、業界の利害関係が崩れるようなこともあり、大きな手が打たれることはなく、悪しき慣習として残っていました。
※出典:2021年度 賃貸契約者動向調査(SUUMOリサーチセンター発表)

不動産賃貸業界のおとり広告について語るリクルート従業員の伊藤慧

おとり広告がもたらすデメリット

―伊藤さんはこのおとり広告撲滅に取り組んだのですよね。何か立ち向かうきっかけはあったのでしょうか?

伊藤:大きな転機となったのは、入社5年目の2016年のことです。ニュース番組にておとり広告がピックアップされ、これまで気付いていなかったカスタマーもいよいよこの問題に注目し始めるだろうと感じたタイミングで、あることが起きました。

お取引させていただいていたクライアントから、「伊藤君ごめん。商売が限界で、うちもおとりをやってしもた…」とつらい顔で告白されたのです。もちろん、そんな告白を受ければ、SUUMOというプラットフォームを運営している以上、掲載を停止せざるを得ません。嘘をつくことが常態化し、ビジネスモデルの一部かのようになっている会社がある一方で、苦しみ抜いた末におとり広告を実施するも、良心の呵責に耐えかねてそれを隠すこともできず罰を受ける会社もある。真っ当に商売をしてきた人が苦しみ、カスタマーも騙されてしまっている今の状態は正しいと言えるのか? 答えは否でした。

それまでも、入社当時から自分が分かる範囲ではSUUMO上のおとり広告の掲載停止を実施していましたが、それだけでは焼け石に水。本腰を入れるべきだと奮い立ち、動き出しました。

おとり広告撲滅のための動きと結果

―実際にどのように動いていったのでしょうか?

伊藤:最初は関西エリアのおとり広告を草の根で根絶していくことからスタートしました。社内の審査部や周辺の管理会社と協力しながら、おとりだと思われる物件の実際の入居状況を1軒1軒確認。不動産会社が並ぶ大阪の通りを歩くと「伊藤が来ると掲載止められる!」と嫌われるほど、徹底して実施しました。活動と並行して他の同業メディアや近畿地区不動産公正取引協議会にもご協力を仰ぎ、SUUMOだけでなく、同業メディアでも掲載を停止することで、業界全体の取り組みへと進展させていきました。

―皆さん協力的だったのですか?

伊藤:おとり広告が行われていた場合、改善が行われるまで実施会社の広告掲載を一定期間停止させていただくことになりますので、その間の売上は発生せず、不動産ポータルサイトとしては損失になります。また、公正取引協議会の皆さんも少なからずご負担はあったはず。それでも皆さん、本質的には良くないと思っていらっしゃったからこそ、ご協力いただけました。

ありがたいことに、最初は私ひとりで行っていた取り組みも、継続していくうちに社内・社外問わず、自分にはない視点・スキルで取り組みを進化させてくれる仲間も増えていきました。結果的には、当時おとり広告を行っていた数十社に対し掲載停止判断を行い(うち約7割は改善後掲載再開)、真っ当な営業を行っているクライアントの売上も昨対比で大幅改善。同じ営業部内のデジタルに詳しい従業員がおとり広告の自動検知の仕組みを考えてくれ、大阪が中心だった取り組みを他のエリアにも広げることができ、2022年にはより多くのおとり広告の検知・対策に成功しました。

おとり広告撲滅のために行ったことについて語るリクルート従業員の伊藤慧

おとり広告撲滅のメリット

―おとり広告が減ったことによる変化はどのようなものがあったのでしょうか?

伊藤:おとり広告が減少したことによる賃貸業界のポジティブな変化は、真っ当な商売をされているクライアントの集客が向上したことだけではありません。自分が良いと思った物件に辿り着けないカスタマーを減らすことにもつながりましたし、おとり広告を停止したあるクライアントからは、「あの時、掲載停止にしてくれてありがとう。おとり広告をやめたら、“お客様に嘘をつかなくて良くなった”と従業員がイキイキしてきて離職率も下がり、自信を持って採用もできるようになって、結果、事業が拡大できた」と逆に感謝されたこともあります。賃貸業界で働く方々が、嘘をつくことのしんどさから解放され、働きやすさにもつながっている…。この取り組みが皆さんにとっても、良い循環になるのだと確信できた瞬間でした。

―おとり広告を行っていた会社にとってもプラスにつながる取り組みになったのですね。伊藤さんは、なぜ約10年も撲滅に邁進できたのでしょうか?

伊藤:「不平等が大嫌いなおせっかい人間だから」という答えになるのかもしれません。私は母親が外国人ということもあり、幼い頃から周囲の目を気にして生きてきました。だからこそ、昔から不平等というものに敏感だったような気がします。リクルートに入社をしたのも、偏りのない健全な実力主義の会社だと思ったから。そんな思いで入った会社で、おとり広告という不平等を目にして、見過ごすことはできませんでした。

正直、業界の慣習だからと目を瞑ることもできたと思います。ですが、目の前の不平等を解決し、クライアントも私も、胸を張って自分の仕事を誇れる業界にしたい。入社直後は、不動産に正直興味はなく、SUUMO営業に配属されたことでモチベーションの置きどころを迷ったこともありましたが、不平等をなくし、真っ当な人が報われる社会にしていきたいという自分のやりたいことを重ねることができたからこそ、ここまで歩んでくることができたと思います。もちろん業界の皆さん自身がともに変わろうと思ってくださったからこその今です。

おとり広告自体をなくす『SUUMO』が始める新たな取り組み

伊藤:とはいえ、まだまだ取り組みは道半ばです。ここから先は、営業現場の地道な頑張りだけでなく、仕組みから変えていくことが必要。2023年の春、入社当時から自分を育ててくれた関西の営業部を離れ、東京の営業推進部へ異動してきました。というのも、事業全体の視野で抜本的におとり広告の撲滅、そして業界の変革寄与に取り組みたいと思ったから。住まい領域の業務支援サービスのひとつである「申込サポート by SUUMO」(物件の申込関連手続きをユーザー、不動産会社ともにWeb上で完結できるサービス)の機能開発やSUUMOとの連携を通し、近い将来、SUUMOをリアルタイムの物件情報のみが掲載されているメディアにしたいと思っています。これが実現すればSUUMO上からおとり広告自体がなくなるはず。不動産会社に足を運んだら希望の物件が既に埋まっていたという事態がなくなり、よりカスタマーにとって優しい世界になっていくと思います。

カスタマーにとってもクライアントにとってもスムーズで安心できる賃貸契約が可能になっていくよう、これからもおせっかいの精神で邁進していけたらと思っています。

おとり広告撲滅のための抜本的解決方法を語るリクルート従業員の伊藤慧

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

伊藤 慧(いとう・けい)
株式会社リクルート 賃貸Division 賃貸営業推進部

大学卒業後の2012年、リクルート入社。賃貸領域の関西営業組織に配属され、2022年までの10年間にメンバーから部長までを経験。2023年から初めて関西を離れ、東京にある同事業の営業推進部を担当している

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