PEOPLE テクノロジー職社員インタビュー
計画通りにいかないからこそ、しなやかに生きる。
変化を受け入れ、成長し続けるためのキャリア論

タワーズ・クエスト株式会社 代表取締役社長 プログラマ ・ テスト駆動開発者 和田 卓人 Takuto Wada テクノロジー職 プロダクトディベロップメント室 黒田 樹 / 古川 陽介 Itsuki Kuroda / Yosuke Furukawa
テクノロジーの進化が日々加速する昨今。キャリア形成もまた、一つの道筋ではなく、柔軟な適応力が求められます。本記事は、2025年2月に開催されたリクルートの開発事例・ナレッジを共有する技術カンファレンス 「RECRUIT TECH CONFERENCE 2025」 内のセッション「技術を活かし、技術と生きる~エンジニアはキャリアをどう描くか?」で語られた内容をお届けします。
RECRUIT TECH CONFERENCE 2025 -技術を活かす現場力-
本セッションでは、ゲストに様々なIT企業の技術顧問を務める和田卓人(t_wada)氏を迎え、リクルートのエンジニア組織でVice President を務める黒田、そして開発マネジャーの古川が登壇。技術者のキャリアをテーマに、それぞれの経験や価値観をもとに語り合いました。
技術を軸に様々なフィールドで活躍を続ける3人の視点から、「キャリアとは何か」「変化にどう向き合うべきか」について掘り下げていきます。
「山登り型」or「川下り型」?三者三様のキャリアの歩み
黒田:キャリアを語る上で、まず一般的なお話をしたいと思います。キャリア形成には「山登り型」と「川下り型」の二つの考え方があります。目標に向かって進む「山登り型」に対し、「川下り型」は今に焦点を当て、流れに身を任せるスタイルです。私自身はどちらかというと「川下り型」であり、変化を恐れずに柔軟に対応することを重視してきました。これって、今の時代に合っているのでは?と思っているんです。
私は2004年に社会人になった頃、将来はプログラマー、システムエンジニアを経て、プロジェクトマネージャーというようなキャリアパスを踏んでいくだろうな、と考えていました。しかし、瞬く間にクラウドやスマートフォン、LLMといった当時は存在しなかった技術が台頭し、社会が変化したことでキャリアプランは大きく変化しました。このような不確実性を前提にキャリアを考えないことは、今の時代においてリスクともいえるのではないでしょうか。柔軟に変化に対応するキャリアが今の時代に合っているのではと考えています。
和田さんが監修された本の中でも、ある分野でプロフェッショナルレベルに達するために必要な時間の一つの目安として「1万時間(=約7年)」やることが大切だと書いてありますが、自分のキャリアを振り返ってみると、ちょうど1万時間ごとの区切りでエンジニア、新規事業、マネジメントと3つの経験を積んできました。この1万時間の開始時点に注目して振り返ったときに、仮説ですが、周囲より「1ミリだけ優れている」状態からスタートすることが重要なのでは?と思っています。
最初に少しだけ周囲より優れている・知っている状態で仕事を始めることで、自然と情報や仕事が集まってきて経験が積める。そして、その経験が更なる成長を促し、新たな仕事が次々とやってくる。スタンスは受け身なのに、なぜか成長できるというメカニズムがある気がしていて。これを逆手にとると、最初にスタートダッシュして1ミリリードすることが実はコスパが良く、最初の努力でこのメカニズムのスイッチを押せると、結果的に希少性の高い人材へとつながっていくのではと考えています。
また、こうしてメタ的に自身のキャリアを振り返り、そこにあるメカニズムを理解して今後のキャリアを見立てる、という思考プロセス自体も、変化に対応するために必要なことだと改めて感じています。

古川:黒田さんらしいお話ですね!私も重なるところがあったので、続いて私の話をさせていただきたいと思います。
私はJavaやOracleを扱うバックエンドエンジニアとしてキャリアをスタートしました。当時のパフォーマンスチューニングの仕事はお客さんにも喜ばれるしすごく好きだったのですが、あるWebアプリのUI刷新プロジェクトを機に、フロントエンドの重要性を実感し、JavaScript(JS)を学ぶことを決意。はじめは全くわからず、JSの学習は困難でしたが、「習うより慣れろ」の精神でアプリ開発を進めました。
最初に作ったのはWebソケットを使ったリアルタイムコメントアプリで、作ったら周囲から大きな反響があったんです。この成功体験をきっかけにJSの魅力に引き込まれ、OCRライブラリやAWS Lambda上で動作するアプリ、六角形のステッカー作成サイト、子供の笑顔を撮影するカメラなど、多様な開発に取り組みました。さらに、開発したアプリやライブラリをカンファレンスで発表して反響をもらうということを繰り返すのが、純粋に楽しくて。こうして好奇心に幅と深さがあることを知って、自分の中で柱みたいなものを作っていきました。
もう一つ大事にしていたのが黒田さんのいう1万時間に通ずる部分で、継続性という部分です。2013年に日本Node.jsグループ代表になったのですが、この時正直Node.jsの人気は落ち着いていました。みんな使うのをやめていく中、自分は続けていて。人気が陰っていく中で、自分が何か優れていたわけではないが、ただ続けていた、やめなかったことが今の自分を作っていると思っています。
好奇心と探求心をもってなんでも面白がってやってみる、そうして身につけた知識を形にしてアウトプットする、そしてそれをやめずに継続することが強みになるんだなと感じています。
では、続いて和田さん、お願いできますでしょうか。
和田:私は、成長を実感しながらも、伸び悩みを経験してグラフにすると凸凹のあるキャリアを歩んできました。最初は受託開発のプログラマーとして働きはじめ、徐々に成果を積み上げていき巨大な電子政府プロジェクトに参画したのですが、システムエンジニアとして入ったので、毎日スーツを着てExcelで仕様書を書くという仕事が耐えられなかったんですね。プログラムを書けないなら辞めますと初日に伝えて、その結果技術的な溢れ者だけが集まるチームに呼ばれ、アーキテクトやリードプログラムをやっていました。この頃にテスト駆動開発に出会いました。
2006年頃にはアジャイル開発に傾倒し、はてなダイアリーをきっかけに“t-wada“として活動しはじめ、勉強会の参加や講演を通じてアウトプットをするようになりました。それを続けていくうちにセルフブランディングができて仕事の幅が広がり、伸びを実感していた時期です。その後、受託開発会社の社長になったのですが、マネジメントがうまくいかず案件もうまくいかない時期を経験。さらにそこへリーマンショックの影響が重なり、仕事も仲間も失いました。この時がキャリアグラフのどん底です。
この経験から、経済に左右されない収益構造の重要性を学び、受託開発・コンサルティングだけでなく自社プロダクト開発にも着手。プロダクトが成功したことで、受託開発の割合が減り、収益基盤が安定しました。その後、出版に関わったりコミュニティ活動を始めたりしたのち、技術顧問としてのコンサルティング業を始め、自社プロダクト開発、受託開発と合わせて3つの柱を手に入れて活動することになりました。
子どもが生まれてからは子育てを優先し、キャリアの成長は一時停滞。インプットができず、キャリアの貯金を使う時期でしたが、子どもが4歳にもなると急に手がかからなくなったため、インプットとアウトプットのバランスも取れるように。コロナ禍に入った時に事業をフルリモート化し、子育てと事業のバランスを取りやすくなったと感じています。
振返ってみると凸凹ありますが、不況などいろいろな事を乗り越えてきたキャリアだなと思います。
古川:和田さんのお話、私自身も子育てをしながらエンジニアのキャリアを積んでいるため、仕事と子育ては密接な関係にある中で、両立できているのは素晴らしいことだと感じました。

キャリアの「柱」を増やす。不確実な時代のリスク分散戦略
古川:ここから3人で議論を深めていきたいと考えていますが、まず黒田さんに聞いてみたいことがあります。
黒田さんのお話を要約すると、「まずスタートダッシュで相対的な優位性を確立する。その状態を1万時間という時間をかけて継続する。その結果、次のキャリアが開け、偶然を引き寄せるようになる」といった内容だと理解しました。これは本当にただの偶然なのでしょうか?もし偶然だとして、例えば若手メンバーに「これから黒田さんのようなキャリアを歩みたいのですがどうすれば良いですか」と質問されたらどう回答されますか?
黒田:そうですね、偶然ですね。ただ、結局のところは目の前のことに全力で取り組んだことで、自然と他の人よりも1ミリだけ抜きん出ることができて、その結果、自然と仕事の機会に恵まれるというような力学が生まれました。
あくまで帰納法的に導き出された話であり、演繹的に真似しようとしても同じ結果になるとは限りません。なぜなら、人それぞれ置かれている状況や得意なことが異なるからです。だからこそ、自分自身のキャリアを形成するメカニズムを、自分で言語化することが重要なのだと思います。
古川:目の前のことに集中して取り組むことの大切さについてのメッセージのようにも受け止めました。私たちはつい、将来のキャリアや興味のある技術ばかりに目を奪われがちですが、まずは目の前にある課題や仕事に真摯に向き合うことが重要ですし、それによって偶然や必然を引き寄せられるということですね。
古川:和田さんは、収益構造を変える必要性を感じ、自社製品を開発するようになったとのことでした。その後、技術顧問という形で、これまでのキャリアを活かして独自の価値を提供し、成功されています。
自分のキャリアを、新たな価値に変えていくことは、唯一無二の存在になるために重要な要素だと感じていますが、和田さんなりの戦略はあったのでしょうか…?
和田:技術の世界は、クラウドコンピューティングやAIといった新しい技術が登場したり、自然災害が発生したり、といった大きなゲームチェンジャーがある程度の周期で訪れると考えています。自分がこれまでやってきたことが、意味を失ってしまうような、そんな大きな変化が何度も起こるのです。そうした時に、全てを失うのではなく、少しでも残して、そこから再び組み立てていく力が大事だと思っています。私はリーマンショックの経験から、柱は1本ではなく、3本必要だと学びました。
古川:和田さんのキャリアは、非常に戦略的ですよね。多くの技術者は、受託開発のように自分の時間を技術として提供し、その対価として報酬を得ますが、和田さんは自社製品を作り、製品自体に価値を転換させましたよね。製品が価値を持つことで、それを求める人が現れ、対価を支払うようになると。
さらに、1つの柱に依存するのではなく、3本の柱を持つことでリスクを分散していて、自然災害やコロナのような危機が訪れ1本の柱が揺らいでも、他の柱が支えとなって安定している状態を作れる、ということですよね。
和田:柱が折れても、他があれば大丈夫という考え方です。柱が折れることは予測不可能ですが、いくつか柱があれば、生き残る柱もあるだろうという、そんな感じのキャリアプランです。では、どのようにして3本の柱を築けばいいか、私の場合、様々なコミュニティや勉強会、カンファレンスに参加し、多くの人と話すことで、世の中の動向や新しい技術に関する情報をインプットしています。
多様な情報に触れることで、次にどんな技術が来そうか、どんな分野が伸びそうか、予測を立てることができるので、黒田さんが言っていたように、みんなが注目する少しだけ前に、新しい技術に触れておくことが重要かなと思います。
古川:私も流行の初期段階で「遊ぶ」ことが重要だと考えています。ChatGPTが登場した頃にも様々な試行錯誤をしましたが、いきなり導入できるか考えるのではなく、まずは遊びで試してみるということを大切にしています。
偶然から必然を導き出す。新たな可能性を切りひらく思考法
古川:今日の話を唯一無二の存在になるということを前提にまとめると、ポイントは、まずは黒田さんの「1万時間の法則」と「スタートダッシュで1ミリリードする」こと。私の「好きだと思ったらやめない」ということ。そして和田さんの「柱を何本か作る」という部分がそれぞれポイントだと感じました。
ちなみに、和田さんはプログラム開発手法の一種であるテスト駆動開発をはじめ、様々なことに挑戦して多くの柱を築いてこられたと思いますが、和田さんはなぜこれらをやろうと思ったんですか?
和田:開発を楽しみたかったというシンプルな理由ですね。例えば、テストもあまり好きじゃなかったのですが、プログラミングは好きでした。それで、テスト駆動開発ではテストをプログラミングで行うことができるのですが、嫌いなものを好きなもので上書きするという考え方がとても面白いと感じていたという、それだけの話です。
古川:そのフットワークの軽さが、柱を作っていくために必要なことなんですね。
和田:今日の話、3人全然別のこと言っているようで繋がっていたかなと思っていて。キャリアは思った通りにいかないけれども、どうやって偶然を捉えるか?にはちょっとした必然があって。その必然から偶然を捉えるみたいな構造になっているのかもしれませんね。
黒田:結局のところ、不確実性に対してどう向き合うかなんですよね。「この柱は絶対に折れないように強化する」んじゃなくて、「いや、折れるでしょ」と前提を捉え直して柱の本数を増やすとか。不確実性に対してどうリスクを分散するかを考えたりする。そういう発想が大切なのかもしれません。
あとは、古川さんの「ノーロジックだけど好きだからやる」というお話も大事だと思っていて、怒りとか楽しさとか、そういう感情によって駆動されるものって、その人の本質に近い部分だと思うんです。それを仕事にできることが、一番大切なのではないかと感じました。
古川:私も3人とも似ていることを話しているなと感じていました。発表のスタイルは異なりましたが(笑)このセッションを楽しんでいただけていたら幸いです。
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記載内容は取材当時のものです。