【中編】子どもの「遊び」から、大人が学ぶこと。遊び学 × こどもみらい探求社

【中編】子どもの「遊び」から、大人が学ぶこと。遊び学 × こどもみらい探求社

文:塚田有那 写真:斉藤有美(写真は左から松田さん、小竹さん、小笠原さん)

知らないものに出会い、夢中になっていくうちに「遊び」が「学び」に変わる瞬間がある。一人ひとりの個性を育む環境づくり。

前編では、遊びのなかから見つける新たな学びの方法について語っていただいたが、続く中編では「遊び」と「学び」の境界から、個性を育むための環境作りについて伺う。

面白いから夢中になる。「遊び」が「学び」に変わる瞬間

ー 「遊び」と「学び」は対義語のように感じてしまう人が多いと思うのですが、それが切り離されてしまうターニングポイントはどこにあると思いますか。

松田恵示(以下・松田) 子どもの発達段階において生じることでもあるのですが、一番大きいのは社会の問題ですね。いまはみんな最初から「遊び」と「学び」は違うと決めつけてしまっているので、子どもにもそれを無意識のうちに強要するようになる。でも、そもそも「学び」ってどういうことかといえば、ぼくは「何かに出会って自分が変わる」ことだと思うんです。今日もたくさんのことをお2人から伺いましたが、今日知ったことを何かで実行に移したとき、それはぼく自身が変わったことになる。出会いによってふるまいが変化するのが「学び」の効力だとしたら、「遊び」はたくさんの出会いに満ちて好きに自分が夢中になるだけ、自分が変わったというようなことも、結果的には多いんじゃないでしょうか。

小笠原舞(以下・小笠原) わたしたちは親子で通う10回シリーズの習い事を定期的に行っているのですが、そこでは「はじめに何とどう出会うか」をすごく大事にしていますね。何が子どもにとって「遊び」なのか「学び」なのかを社会が決めてしまって、「遊んでいないで勉強(仕事)しなさい」というフレーズが定義化されてしまっていると思っています。でもそれってすごくもったいなくて、算数を「遊び」ととらえた子はずっとそれを伸ばしていけますよね。大人が無意識のうちに線引きをしてしまうことで「遊び」と「学び」が切り離されていってしまうと思うんです。

実際の『おやこ保育園』の様子

小竹めぐみ(以下・小竹) 子どもが本当に「学び」につながる「遊び」を体感しているかについては、その子自身が夢中になっているかどうかを見極めるようにしています。いまは折り紙の時間ですよと言ったところで、本人が眉間にシワを寄せていたらそれは「遊び」じゃないんですね。でも、その子が本当に興味を持ってワクワクしていることは、自ら扉を開いていくのでいつしか「学び」に変わっていくんです。

松田 何のためにというわけでなく、面白いから夢中になる。「遊び」の原点はそこにあるんですね。だいたい、ノーベル賞を取るような研究って「遊び」から生まれてくることが多くて、誰かに課せられた仕事だと思うところからは出てこないですよね。ぼくの同僚にもアリの研究者がいるのですが、何してるって1日中アリを眺めているらしい(笑)。でもそれが彼の研究活動になっていて、アリの生態観察から彼らのもつルールや社会性を発見していたりする。めちゃくちゃ面白い、最先端の科学がそこで生まれてくる。役に立つかどうかばかりを先に考えていたら、面白くないし新しい発想は生まれてこないんですよ。

小笠原 何かを叩いて遊んでいるとか、ずっと同じことばかりを繰り返しているとか、大人からみれば意味のないようなことかもしれません。子どもたちにとってみたら違うこともあります。もっともっと、子どもの遊びの世界を守ってあげたいなと思います。大人のものの見方ひとつでそれが成長のきっかけになるかもしれないことがあると伝えていきたいですね。

松田 「人間の文化はすべて遊びから生まれた」と言ったのはオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガですが、彼は自著『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』の中で、法律や哲学も遊んでいる中から生まれたもので、遊びがなければ人間の文化はここになかったと書いているんですね。そういう意味でも、お二人は「遊び」のもつ創造力を真っ正面からとらえているように思います。

一人ひとりの個性やスキルを育む環境と条件

ー 子どもが本当に夢中になっているかどうかを見極めて、伴走していくというお話がありましたが、その子の個性や能力はどのように見極めていけばいいのでしょうか。これは会社内の人材育成の話にもつながると思うのですが。

小竹 企業や学校向けに、社員一人ひとりがもつ個性やアイデンティティを大事にするための研修をおこなったり、キャリアについての講演をおこなったりする中で、よく「自分が何をしたいかわからない」という相談を受けるんですよ。進路相談なんかにも多いですね。でもそれって、いまの社会状況では当たり前のことだなって感じるんです。

どういうことかと言うと、就学前の子どもたちに「自由にしていいよ」と告げると、何もしない子っていないんですよ。一見何もしていないように見えても、何かをすごく観察していたり、試していたり、空間の温度を感じていたりする。でも、「遊びの時間はここまで」と区切られて、夢中になっていた大切な行動を止められたり、「これで遊びなさい」と一方的な遊びを与えられてきた結果、彼らがいざ進路希望を提示するときに悩んでしまうのは自然のこと。

だって、自由にしていいと言いながら大人が勝手に制約を与えてきたのに、規定された選択肢の中から急に何かを選べと言ってもわからなくなるのは当然でしょう。だとしたらもう一度、子どもに戻って自分の中にあるものを発掘してあげるといいのかな、と。

小笠原 あとは子どもたちが遊べる場所や時間がないんだろうな、とも感じます。苦手なことや得意なこと、やってみて楽しかったことをたくさん経験していく中で「好きなもの」って自然と見つかっていくんです。遊び場がないのは都市空間だけかというとまったくそんなこともなくって、自然に囲まれた地域であっても、都会の子どもと同じくらい遊び場を知らない子もいると聞き、驚きました。大人の意識次第で子どもたちの遊び環境自体が変わってしまうんですね。

松田 遊びはトランプをするから「遊び」になるのではなく、やる人の気持ちの問題なんですよね。「遊び」には3つの条件があるということを西村清和先生という美学の研究者が明らかにされているんですが、ひとつは「すき間があること」。やってみないと結果がわからない、やっても何になるかわからない無益なもの。けれども、どこまで高く積めるかどうか、っていうように、「できる」と「できない」の間を心が揺れますよね。つまり、心の中に「間」が生じているからこそ夢中になる積み木遊びなんかは、わかりやすい例ですね。もちろんこれは、ブランコなどのように物理的な間に対しても同様です。

ふたつめは、「反復する運動があること」。A地点からB地点までを行ったり来たりしたり、ゲームの勝ち負けなんかも1回では終わらず何度も繰り返したりしますよね。勝ちそう、と負けそう、が行ったり来たりするわけです。こうした反復する行き来が必要なんです。

最後は、独特の自分の状態があること。いいかえると、「これは遊びだ」という安心感があって、だからこそ何も迷わずに「チャレンジできる」ということです。ある時間の中で好きなだけ遊びができるというのは、すなわち何をしてもとりあえずここでは許されるという非日常の環境があるということです。「負けたら終わり・失敗したら怒られる」という条件があったら、そもそもチャレンジなんてしないですいよね。

小笠原 その意味で言うと、保育園には先生がいて、失敗したら「残念だったね。」「また頑張ろうね。」と声をかけ、成功したら一緒に喜んでくれるように、自分に共感してくれる人がひとりいるだけで遊びの質も変わってくる。安心して遊べる環境がその人を変えるんだと思います。

ー このお話は大人にこそ必要な気がするのですが、大人向けのチャイルドラーニング研修ではどんなことをポイントにしているのでしょうか。

小竹 上司や部下、年功序列など、一番はじめに人間同士の関係性を外して、「ひとりの人間」として発言できるようにすること。これは最も重要ですね。

小笠原 一度自分の固定観念を外して、遊びの余白をつくることが大事ですね。人がまだ認識していないことを見つけ出し、新しい発想でアイデアを出すことがクリエイティブだとすれば、それは遊びの中から生まれてくるんです。

松田 「遊び」ってね、「いい加減」が心情なんですよ。たとえば子どもが泥だんごをつくって「ごっこ遊び」をしているとして、泥だんごを本当に食べたら大変ですよね。けれど、かといって、「泥だんごじゃん」とか、本当のことをまじめに言っちゃったら、それで遊びはおしまい(笑)。つまり、食べたふりをする、ということが大事なんですが、それって、「そうだけどそうじゃない」ってことを、「適当に」受け入れることですよね。これを「複眼性」というんですが、矛盾していることを受け入れるバランス感覚が重要なんです。

小笠原 個性を大事に、なんてよく言われますけど、もともとそうじゃない社会の中でどう発揮するかはすごく難しいバランスですよね。自分はこれがいい、これはいやだ、というモノサシを持っていないと、自分の感情と社会のズレを判断することすらできない。社会の枠組みも知りながら、矛盾した中でも楽しめる。いいバランスの「適当さ」を見つけられるのが人生を楽しむコツなんじゃないかと思います。

プロフィール/敬称略

松田恵示
東京学芸大学 教授

専門は、社会学、教育学。社会意識論の立場から、主に「遊び」や「学び」を対象に、学校体育のあり方から玩具開発・テレビゲーム分析まで幅広く研究をおこなっている。また、中央教育審議会専門委員や不登校・中途退学対策検討委員会委員長、東京学芸大こども未来研究所理事長などの社会活動(2015年)を通じて、教育における家庭、学校、地域の連携や協働のあり方について実践的な取組にも力を入れている。現在は「遊び学」を提唱し、「遊び」を鏡とした人間や社会の理解を促進させようとしている。

小竹めぐみ
合同会社こどもみらい探求社 共同代表/NPO法人 オトナノセナカ 代表

保育士をする傍ら、家族の多様性を学ぶため世界の家々を巡る女1人旅を重ねる。特に砂漠とアマゾン川の暮らしに活動のヒントを得て、2006年より、講演会等を通して【違いこそがギフトである】と発信を始める。幼稚園・保育園などで勤務後、こどもがよりよく育つための"環境づくり"を生業にしようと決意し独立。NPO法人オトナノセナカ代表としての顔も持ちながら、全国各地で "いちど、立ち止まる"ことを対話を通して広げている。「そのまんま大きくなってね」と、こどもたちに言える社会の土壌をつくり続けている。
(2020年5月追記)
2016年よりNPO法人オトナノセナカ 代表から理事へ。こどもみらい探求社では、こどもがよりよく育つための環境づくりのために、企業・地域・分野を越えて多くの企業や自治体とコラボレーション事業を展開中。2016年「いい親よりも大切なこと〜こどものために"しなくていいこと"こんなにあった〜」(新潮社)、写真集「70センチの目線」(小学館プロダクション)を出版。

小笠原舞
合同会社こどもみらい探求社 共同代表/ asobi基地 代表

幼少期に、ハンデを持った友人と出会ったことから、福祉の道へ進む。大学生の頃ボランティアでこどもたちと出会い、【大人を変えられる力をこどもこそが持っている】と感じ、こどもの存在そのものに魅了される。独学にて保育士国家資格を取得し、社会人経験を経て保育現場へ。2012年すべての家族に平等な子育て支援をするために、子育て支援コミュニティ『asobi基地』を立ち上げ、2013年独立。子育ての現場と社会を結ぶ役割を果たすため、子どもに関わる課題の解決を目指して、常に新しいチャレンジを続けている。
(2020年5月追記)
こどもみらい探求社では、こどもがよりよく育つための環境づくりのために、企業・地域・分野を越えて多くの企業や自治体とコラボレーション事業を展開中。2016年「いい親よりも大切なこと〜こどものために"しなくていいこと"こんなにあった〜」(新潮社)、写真集「70センチの目線」(小学館プロダクション)を出版。

関連リンク

最新記事

この記事をシェアする

シェアする

この記事のURLとタイトルをコピーする

コピーする

(c) Recruit Co., Ltd.