70年前からアジャイル開発?石井食品が常に時代を先取りできた理由

70年前からアジャイル開発?石井食品が常に時代を先取りできた理由
文:葛原 信太郎 写真:須古 恵

無添加調理に取り組み続けて20年。戦後間もない食糧難の時代からバブル崩壊、食の安全が問われる時代まで、常に社会の一歩先を歩んできた石井食品70年の歴史からイノベーションの種を探る

「イシイのおべんとクン ミートボール」──このCMに覚えのある人も少なくないだろう。

ミートボールやチキンハンバーグなどで知られる石井食品は、無添加調理、アレルギー配慮食品、ヴィーガン向け食品など、常に社会のニーズに先んじた商品を展開してきた。こと"無添加調理"に関しては食の安全が注目を集める1990年代より取り組み、20年以上の歴史を持つ。

2018年より代表取締役社長執行役員を務める石井智康さんは、創業者の孫にあたる。コンサルティング会社やフリーランスで、ソフトウェアエンジニアとしてキャリアを積み、食品業界にはない知見を武器に石井食品を率いている。

「僕たちが一貫してやってきたのは、社会課題の解決をどうにかビジネスにすること。悪戦苦闘しながら、さまざまな挑戦をしてきました」

戦後から続く石井食品が、時代ごとに取り組んできた社会課題とは何だったのか。なぜ社会課題の解決に取り組み続けるのか。その歴史と展望から、時代を先取るために必要な視点を探る。

町工場が佃煮屋へ。焼けた工場からのスタート

── 創業は1945年。終戦直前ですね。

はい。創業者である祖父は、現在の本社ビルがある場所(千葉県船橋市)のすぐそばでエンジンやドリルの修理を生業とする会社を営んでいました。しかし、火事をおこしてしまい、工場は全焼。残ったのは、跡地とたくさんの従業員、ものづくりの技術でした。

次の手を考える中、目の前にあった喫緊の課題が「食」だったんです。当時は、戦後間もない食糧難の時代。当時船橋の名産だった海産物を使い、手持ちの釜で佃煮をつくり販売するビジネスをはじめたんです。跡地の入り口に直売所をつくり、販売を通じて拾えたお客様の声をすぐ活かし、商品を改良しつづけました。

さまざまな技術革新のなかでももっとも大きな変化を生んだのは、熱湯殺菌の技術で袋詰での販売に成功したことです。日持ちがして、離れた場所でも販売できるようになり船橋だけでなく、東京、埼玉、茨城、東北、新潟へと販路を拡大することができました。

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── 創業当初から、顧客の声を生かした商品作りをしていたんですね。

ビジネスは順調に成長していきましたが、高度成長期に入ると状況が変わります。ひとつは、食糧難の時代は終わり、バラエティ豊かな食事が求められるようになったこと。もうひとつは、環境汚染が深刻化し、東京湾では海産物があまり獲れなくなったことです。これまでどおりのビジネスを続けるのは難しくなり、方向転換を迫られました。

── どのような方向へ舵を切ったのでしょうか。

この時期、経済発展と同時に、世界のさまざまな文化が輸入されるようになりました。それと呼応するように、家庭においてもこれまで食べたことのないバラエティ豊かな食が求められたんです。そこで我々は中華料理と洋食の研究をすることにしました。どちらも、当時はまだ家で食べる文化がなかったからです。

とはいえ、佃煮をつくる技術と中華や洋食はつくる技術はまったくの別物。開発には随分と苦労を要したと聞いています。今では主力商品のひとつであるミートボールもこの時代に生まれたのですが、最初は中華風の味付けだったんですよ。

──次は食の多様化というニーズに応えていったと。

ただ単に、多様なメニューを開発・用意しただけではありません。ここで重要だったのは、調理済みのミートボールやハンバーグなど、メインのおかずになる食べ物をパック詰めで販売したことです。

当時注目を集めていた家電や調理器具は、家事の負担を減らすものが中心。つまり、家事の負担に対する考え方に変化が訪れようとしていました。それを踏まえ、我々の商品も使ってもらうことで料理の負担を減らし、家庭に貢献する存在を目指そうとしたんです。温めるだけで手軽におかずになる商品は、多くのお客様にご好評をいただくことができました。

── その後、バブルが崩壊し経済も停滞します。御社を取り巻く状況も変わったのではないでしょうか?

そうですね。特に変化したのは製造に対する考え方でした。90年代に入ると、多くの企業はコストを抑えるために、海外に工場をつくったり、海外から原材料を仕入れたりするようになりました。効率化とグローバル化の時代です。

でも我々は、真逆に進みました。目指したのは、食品添加物を一切使用しない無添加調理を国内製造で実現し、日本一安心安全な食品会社になること。美味しさや安心よりも安さに流れた時代に、美味しさと安心・安全を追求すると決めた。正直、直感に近い判断だったと聞いています。

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多様なラインナップのすべてが無添加調理

そこから無添加調理の研究を重ね、97年から無添加調理をあらゆる商品の基本とすることを決定しました。工場の設備もこれまで作ってきた商品のレシピも総入れ替えし、その後の2年間で数百の商品を無添加調理に変更。安全への取り組みを本格化しました。すると、2000年代に入り賞味期限偽装や食材偽装といった食品会社の不祥事が次々に発覚。結果的に、我々が大切に考えている「食の安心安全」に注目が集まるようになったんです。

我々は設立当初を第一次創業期、食の多様化への対応を第二創業期、無添加料理のスタートを第三創業期と定義しています。食の安全安心は当たり前になった今は、第四創業期と捉え、新しい挑戦をしています。

生産者と共に発展し、構造へとアプローチする

── 現在はどのようなことに取り組んでいるのでしょうか。

生産者と一緒に発展していくモデルづくりです。これも直感に近い判断でした。父である現会長がたまたま旅行にいったとき、山梨県の大月市で無農薬野菜をつくる生産者が困っているという話を耳にしました。安全でおいしい野菜を丹精込めてつくったけど、売り方がわからない、と。そこで、この土地の野菜を生かしたハンバーグを一緒につくりませんか、と提案したんです。

我々のような食品メーカーは、大量生産・大量販売でなければなかなかビジネス的には成立しません。一方、このプロジェクトは通常と比べるととても小さな生産・販売数。ですが、確かに可能性を感じたんです。なぜなら、これまで経験したことがないほど、お客様も、地元の方も、とても喜んでくれたから。こんなに人を幸せにできるんだから、きっとここにチャンスがあるはずだと思ったんです。

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2021年2月1日より神奈川県内を中心に販売、公式ECサイト『無添加調理専門店 イシイのオンラインストア』にて全国販売。

── 生産者さんとお話しされる中で、特に課題に感じた部分はどこでしたか?

ひとつは、多くの人が担い手がいないことに困っている。そして、農業が衰退していくことに気持ちも落ち込んでいたことです。ただ、よくよく聞いてみると、これには構造上の問題があるとわかったんです。生産者が頑張って作物をつくっても、出荷した後はどこで売られているか、誰が買っているかわからず、流通価格も自分では決められないことが多い。

もちろん、仕組み自体を否定したいわけではありません。戦後の食料難や、高度成長期の人口増加に対応するためには、効率的な食の流通システムは必要なものでした。しかし、時代が変わり、機能不全に陥っている部分や歪みも生じている部分もあるのも事実です。

僕たちは、この構造を変えることで農業を盛り上げていきたい。生産者と一緒に商品をつくり、農業が盛り上げれば、僕たちはますますおいしい食材を仕入れられる。おいしい商品を販売できれば、生活者のみなさんに喜んでもらえます。

逆にいうと、今農業を盛り上げなければ、僕たちの商売は立ち行かなくなる。「生産者と一緒に作る」というと社会貢献活動のようなイメージを持たれますが、僕たちは、経営戦略として取り組む必要があると考えているんです。

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三浦市でキャベツを生産する出口さん

消費者の変化も捉え、持続的においしさを楽しめるように

──生産者と向き合うことは、今後の事業継続の観点でも欠かせなくなるのですね。では、他方にいる消費者とはどう向き合おうと考えていらっしゃいますか?

そうですね。消費者側でいえば、共働き家庭に対する意識をここ数年は強めてきています。

一昔前と違い、今は共働きの家庭がどんどん増えてきている。忙しい毎日を過ごし、丁寧に料理をする余裕がない家庭も少なくありません。とはいえ、子どもには安心安全なご飯を食べさせたい。先日、僕にも子どもが生まれたので、親御さん気持ちは身をもって理解できます。

かといって、こだわりすぎてしまうと、スーパーに行っても買えるものがなくなってしまう。このバランスが非常に難しい。ただ、僕たちは安心安全でありながら適度に手抜きができて、持続的に楽しくおいしい食生活を送る後押しをしたい。だからこそ、無添加調理だけど温めるだけで食べられる商品を作り続けているんです。

加えて、最近ではアレルギー対応にも力を入れています。アレルギーを持つ子どもがいる家庭でも安心して選んでいただけるよう、製造には薬品工場をベースにした専用の工場をつくりました。

これによって徹底した管理ができるので、アレルゲンが混入する不安を取り除ける。ここまでやれば、深刻なアレルギー症状のある子であっても、安心して食べられますから。

「守ること」も「変えること」も手段。原点から考える

── 70年もの歴史を持つ石井食品が、なお進化し続けられているのはなぜだと思いますか。

いくつもの理由があると思いますが、僕が特に感じているのは「小さな失敗をいっぱいする」を約束事にしているからでしょう。システム開発でいうところのアジャイル開発の考え方に近いものがあります。アジャイルの価値観では、計画に固執することより変化への対応を考えますし、そのために実験を奨励します。時間を掛け最善のアウトプットを出すのではなく、小さく失敗を繰り返しながらも、より良い物を目指し適切な方向へと変化を重ねていく。ミートボールもハンバーグも綿密なマーケティング調査から生まれたものではなく、顧客の声を聞いてひたすら改善を重ねてできあがりました。

もちろん、経営に影響を与えるような大きな失敗は避けなければいけません。ただ、そうでなければ、失敗をしながらでもどんどん挑戦しようと伝え続けてきた。試作品を次々とつくり、実際に食べてから考えてみる。商品化できないと判断したら、つくった試作品をみんなで食べながら、また次の手を考えればいいんです。

── そうした社風を維持するためには、何が必要だと思われますか。

大事なのは、実験的で新しいことに挑戦する人が適正に評価される制度・風土です。会長は「評論家になるな、傍観者になるな」とスタッフに言い続けてきました。何も手を動かさず「どうせ失敗する」と言ったり、失敗を恐れて手を動かさない人ではなく、いくら失敗しても挑戦をし続ける人を賞賛してきたんです。

その結果、現在の石井食品の執行役員は30代〜40代がほとんどで、年功序列を前提にはしていません。かつ、長く勤める社員もそうした文化を理解しているので、新しいことに取り組む人には積極的に手を貸します。

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── 新しいチャレンジに積極的である一方、守っていかなくてはいけない要素もあると思います。変えるべきこと、変えるべきでないことをどう見極めているのでしょうか。

とても難しい問題ですね。「守ること」も「変えること」も目的ではないという意識こそが重要ではないでしょうか。当社では、「小さな失敗をいっぱいする」とあわせ、原則「去年と同じ」の禁止も約束事にしています。もちろん、考え抜いて「去年と同じがベスト」という結論になるなら同じでも良い。ただ、何も考えずに「去年もこうだったから、こうする」のは禁止です。時代に合わせて物事は変わってしかるべき。だからこそ、今までも大きな転換を続けてきました。

ですが、先ほどお伝えした通り、「守ること」も「変えること」も目的ではない。役員の世代交代は進みましたが、それは結果論であって、年功序列を壊すことが目的ではありません。逆に言うと、会社の状況によっては、失敗を恐れないチャレンジ精神が強い人よりも、何十年も経験を積んだ慎重派をリーダーにしたほうがいい場合だってあるはずです。

大事なことは「なにをなすべきか」「誰に喜んでほしいのか」といった原点に立ち返ること。僕らにとって最も大事なのは「地球にやさしく、おいしさと安全の一体化を図りお客様満足に全力を傾ける」ことです。ここを起点に、何を変えるべきか、何を変えないべきか、これからもずっと考え続けていくのだと思います。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

石井智康(いしい・ともやす)
石井食品株式会社 代表取締役社長執行役員

ソフトウェアエンジニアとして、コンサルティング会社にて大企業の基幹システムの構築やデジタルマーケティング支援に従事。2014 年よりフリーランスとして、アジャイル型受託開発を実践し、ベンチャー企業を中心に新規事業のソフトウェア開発及びチームづくりを行う。2017 年から祖父の創立した石井食品株式会社に参画。地域と旬をテーマに農家と連携した食品づくりを進めている。現在のライフスタイルに合った「豊かな食」のあり方を模索中。認定スクラムプロフェッショナル。

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