伝統や文化を言い訳にしてはいけない。老舗きもの店4代目が挑む、きもの産業の未来

伝統や文化を言い訳にしてはいけない。老舗きもの店4代目が挑む、きもの産業の未来

文:森田 大理 写真:須古 恵

大正6年創業の老舗企業ながら、時代にあわせた新ブランドも展開。伝統と革新の両面をあわせ持つきもの店「やまと」の取り組みから、産業・事業を長く継続していくためのヒントを学ぶ

1980年代のピーク時は約1兆8,000億円の市場規模だったのに対し、平成が終わる直前の2018年は約2,800億円。実に1/6にまで縮小したのがきもの市場だ(1989~2018年のきもの市場規模推移:きものと宝飾社調べ)。

こうしたマーケット環境にありながら挑戦を続けている企業が、株式会社やまと。大正6年創業、全国に103店舗(2020年3月期)を展開するきもの文化の担い手でありながら、新業態の立ち上げやアパレルブランドとのコラボなど、現代にアップデートしたきものの可能性も模索している。伝統と革新の両面を追求し、すべてのステークホルダーに配慮する同社の姿勢は、事業の持続可能性を高めるうえでも効果的だと言えないだろうか。2019年より代表取締役社長を務める矢嶋孝行さんに、そのヒントを聞いた。

きものを一部の特権階級のものにしたくない。代々受け継がれた挑戦心

株式会社やまとは、現社長である矢嶋孝行さんの曽祖父が大正6年(1917年)に東京小石川ではじめた「矢嶋呉服店」が起源。「やまと」の屋号を掲げたのは祖父の矢嶋榮二さんだ。戦後の復興期から高度経済成長期を駆け抜けた榮二さんは、当時のきもの業界では異例の行動を起こした人でもあった。

「1959年に渡米し、統一されたオペレーションで効率的な多店舗展開を可能にする『チェーンストア理論』を学んだんです。祖父は、きものを一部の特権階級だけのものにしたくなかった。100万円の商品を1人のお客様に買っていただくことよりも、10万円の商品を10人のお客様に買っていただくこと。それがやまとの目指した世界観でした」

チェーンストア理論を取り入れることで、やまとは東京の呉服店から全国展開のきもの店へと発展した。それまでのきもの店のイメージにとらわれないアイデアに挑戦する精神は、世代が変わっても受け継がれていく。矢嶋さんの父である孝敏さんの代では、「きものカジュアル化」を提唱。格式の高いイメージを払拭し、きものを着る機会がほとんどなくなってしまった世代にも裾野を広げることに尽力した。

「数百万円台のラグジュアリーなきものから一般にも手の届きやすい価格帯まで。扱う商品の幅は日本トップクラスかもしれません。そんな挑戦を続けてきたのは、当時の時代背景も大きく影響しています。祖父の時代は人口も経済も右肩上がりに拡大を続けていたので、多くの商品を沢山の人に届けることがビジネスの正攻法。業界の枠や慣習にとらわれず、時代にあった最適な手法に変革しようとしたのでしょう。

一方、父は1980年代をピークにマーケットが縮小を続けていく時代に、舵取りをせねばならなかった。"嫁入り道具"や式服としてのきもの需要が減少するなかで、もう少しカジュアルにきものを着ても良いのではないかと提案したんです」

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(画像提供:やまと)

このように、やまとはきもの業界の中で、早くから革新的な立ち位置にあり続けている。それは時代のニーズにあわせて柔軟に変化をしようとする発想があったからこそであり、現代にも受け継がれてきている。

目の前の数字に追い立てられると、本質的な価値が見えなくなる

矢嶋(孝行)さん自身は消防士やホテル勤務を経て、2012年にやまとへ入社。後継者候補として取締役の立場でありながらも、はじめの1年は販売員の一人として店に立った。経営陣が議論する内容とお店の最前線で起きていること、双方に直接触れてみると、外から見ていた以上に会社の陥っている状況が見えたという。

「売上・利益など経営上の数字はそこまで悪くなかったのですが、徐々に下がり続ける中でなんとか耐えているという状態。今のままでも自分たちの代まではギリギリ生き延びられるかもしれないけれど、このままのやり方では未来がないと思いました。事業を続けられなければ、お客様はもちろん社員やきものの生産に関わる産地のみなさんにも迷惑をかけることになる。自分たちは何とかなるからと何もせず、次の世代に負の遺産を背負わせることになるのは失礼だと思ったんです」

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矢嶋さんが一番危機感を覚えたのは、きもの需要が下がり続けるなかで「このままではいけないけれど、どうして良いか分からない」と諦めるような雰囲気を社内から感じとったこと。時代にあわせて新たな試みを続けてきたやまとが、このような状態になっていたのはなぜだろうか。

「売上やその他のKPIを達成することに必死になりすぎて、知らず知らずのうちにお客様や世の中の視点が欠けていったのかもしれません。やまとは高度経済成長の波に乗って大きくなったという背景もあり、当時の成功体験を引きずっていた側面もありました。マーケットの縮小と連動するように売上・利益が減っていくと、目の前の数字に焦ってしまった。目に見える結果を気にするあまり、いつの間にかお客様のことよりも我々都合を優先した販売戦略になっていたのだと思います」

今ここで会社を変えないと手遅れになる。そんな想いで矢嶋さんは入社して2年目に「業務改革室」を立ち上げる。しかし、その短期間で組織をドラスティックに変えるのは容易ではない。結果、改革は思うようにいかなかった。

次に手掛けたのは、「事業創造本部長」として既存のきものとは一線を画す事業を展開すること。現代にアップデートしたきものを世に送り出し、新たな価値観を提案することは、先代から受け継がれたやまとらしい試みとも言えるが、矢嶋さんによればはじめから狙いを定めた戦略だったわけではないという。

「たとえば、メンズきものテーラーがコンセプトの『Y. & SONS』は、男性向けの新たな販売戦略を議論していたのがきっかけで生まれました。当初はこれまでのやまとのセオリーであるチェーンストア展開を基軸に考えられていたのですが、これが私には違和感があって。男性にとってきものは女性より縁遠い。ニーズがないところにただ商品を投入してもお客様の心には響きません。『これまでの成功体験にとらわれず、新たなブランドをつくった方が良いのではないか』と意見したところ、『じゃあ、あなたが事業創造本部長としてやってください』と言われてスタートしたんです」

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スノーピークとのコラボレーションした「OUTDOOR*KIMONO」(画像提供:やまと)

新たな挑戦の最前線に立つことになった矢嶋さん。その後、Y. & SONSを皮切りにTHE YARDブランドの立ち上げ、KIMONO by NADESHIKOのリブランディングを担当。スノーピークなどとのコラボレーションも手掛けるなど、やまとの進化を牽引していくことになる。

ただ守るだけでは、本当の持続可能性は実現しない

新事業で実績を重ねるうちに、経営陣や社員の中に眠っていた変化のマインドが徐々に呼び起こされていった。2019年に矢嶋さんが新社長へ就任したタイミングで発表されたやまとの理念・ビジョン・ミッションは、会社の未来を創ると銘打った社内プロジェクトで誕生したもの。矢嶋さんが全社員に手紙を書いてメンバーを公募し、有志で参加した社員から出てきた言葉をまとめたものだ。このように社内の一人ひとりが変わっていったのは、矢嶋さんが社員と対話する際に貫くスタンスも影響しているようだ。

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「私には最終的な意思決定をする責任がありますが、入社以前はファッション業界にいた訳でもなく、きものに詳しくもありませんでした。良くも悪くも業界の慣習や常識を知らなかったからこそ、『今の説明では分からない(判断できない)ので、詳しく教えてください』と言い続けてきた。フラットに疑問に思うことをしつこく聞くうちに、『これって本当に意味があるのだろうか』『やり方を変えた方がお客様には良いのではないか』と思考が深まっていったのかもしれませんね」

同様に、矢嶋さんは自分や社員の思考が停止してしまうキーワードを意識的に避けているという。たとえば「そうはいっても」や「忙しいから」はなるべく使わないように社員たちに呼びかけ続けている。また、「(伝統や文化を)守る」という言葉は封印しているそうだ。

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「もちろん、きものを守りたい気持ちはあります。でも、守るという言葉には、保存や保護というニュアンスがありますよね。たとえば産地の人たちのことは大切ですが、守る・守られるの関係は健全ではないと思います。産地には、やまとを見るのではなくお客様を向いて生産をしていただきたいんです。そのためにも、お客様や世の中が求めているモノや価値を、我々が産地へ伝えていかなければならない。現代に受け継がれている様々な伝統も、かつては誰かに保護されるものではなく、時代の最先端で多くの人たちに支持されたからこそ今がある。そう考えると、きもの市場の現状は日本の暮らしが洋式化した影響だけではなく、時代の流れを受け止めて自律的に進化してこなかった私たち担い手の責任もあるのではないでしょうか」

いつの時代でも必要とされ続けるためなら、形は柔軟に変わっても良い----と矢嶋さんは語る。顧客や社会をみながら常に進化を続けていく姿勢。これこそ持続可能性を高めるための重要なポイントではないか。

「私たちが考える事業継続の肝は、"他者と未来への思いやり"です。"自分さえ"良ければ、ではなく"みんな"。"今さえ"良ければ、ではなく"未来"。歴史を振り返ってみても、廃れた産業や潰れた会社には、自分たち都合で強引に進めた局面があったのではないでしょうか。やまともそうなりかけた時代があったからこそ、それを痛感しています。

"伝統"や"文化"といった言葉を盾にして、きものをやみくもに守ろうとするのも、言うなれば"過保護"で身勝手な行為。正論ではあるけれど、私たちきもの屋の都合を押し付けているので共感されず、お客様が離れていってしまうのだと思います。そうではなく、今の時代のニーズや地球環境への影響など、周囲への思いやりをもって選択をしていくこと。この選択で社会の誰かを不幸にしていないか、世の中のためになっているのかと考え続けることが事業継続の本質だと思います」

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

矢嶋孝行(やじまたかゆき)

株式会社やまと 代表取締役社長。1982年東京生まれ。東京消防庁、沖縄のテラスホテルズ勤務を経て2013年に株式会社やまとへ入社。事業創造本部長として「Y. & SONS」「THE YARD」など新業態のディレクションなどを手掛ける。2019年4月より現職。

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