多国籍なコーヒー好きが作るインディペンデントマガジンが、売上よりも大切にすること

多国籍なコーヒー好きが作るインディペンデントマガジンが、売上よりも大切にすること
文:葛原 信太郎 写真提供:Standart(左から室本寿和さん、行武温さん)

コーヒー好きが世界中にいるように、独立系コーヒー雑誌「Standart」編集部も世界各地に存在する。7カ国4国籍の多様なメンバーは、どのように協働し、それぞれの価値観を共有しているのだろうか。

目覚ましが鳴り、重い体を起こす。目を擦りながらキッチンに向かい、コーヒーを用意する。1日をスタートさせるルーティンとして、目覚めの一杯が欠かせない人は、世界中にたくさんいる。

2015年に創刊された「Standart」は、スペシャルティコーヒーのカルチャーを伝えるインディペンデントマガジン。現在、日英の2カ国語で発行され、70カ国以上で販売されている。直販はサブスクリプション(定期購読)のみ、主な卸先は本屋ではなくカフェに絞る。広告主を「サポーター」表現するなど、既存の雑誌に囚われないスタイルをつらぬいている。それはすべて、コーヒーを愛する編集部メンバーの、世界中のコーヒーを愛する人にメディアを届けたいという情熱ゆえ、だ。

Standartの日本語版「Standart Japan」を編集するのは、福岡在住で編集長の室本寿和(むろもと・としかず)さんと、オランダ在住で制作担当の行武温(ゆくたけ・あつし)さん。おふたりに国を跨いで協働するために工夫や、Standartが目指すメディアとしてのあり方などを聞いた。

コーヒー好きの大学生がはじめた、コーヒー好きのための雑誌

── Standartのはじまりを教えてください。

室本 Standartの創刊は2015年。はじめたのは現代表でもあるスロバキア人のマイケル・モルカンです。2010年代前半ごろから世界中のコーヒー好きが「スペシャルティコーヒー」に注目しており、彼もそのひとりでした。コーヒー豆の生産者、コーヒー豆の売買の公平性、淹れ方やさまざまなコーヒー器具、カフェという場の価値…。スペシャルティコーヒーを取り巻くさまざまな要素の奥深さに、はまり込んでいたそうです。

同時にマイケルは、イギリス発のビジネス、カルチャー、デザインなどを横断的に伝える雑誌「Monocle」の愛読者でもありました。

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編集長の室本寿和さん

行武 マイケルは、スペシャルティコーヒーの領域でMonocleのように包括的な情報を得られるものがあったらいいのにと考えたそうです。ただ、当時はそういった雑誌は存在しなかった。ならば自分たちで作ろうと、友人数名で始めたのが「Standart」でした。

しかし当時の彼らは、大学生。制作資金がないため、まずは数ページのモックアップをつくり、営業へ出ました。その情熱に共感し、スポンサードしてくれたコーヒー器具メーカーのおかげで、「Standart」はスタートできたんだそうです。

── 室本さんはどのような経緯で編集部に加わることになったのでしょうか。

室本 Standartとの出会いは、前職の関係で赴任していたオランダでした。お気に入りのカフェに置いてある雑誌のひとつだったんです。ぼくもスペシャルティコーヒーが好きだったので「こんな雑誌、日本で見たことない!」と読みふけり、すぐに自分でも定期購読をはじめました。

すると、2016年の暮れに届いた号に「日本語版を創刊する」と書いてあるのをみつけました。実は僕自身、普段からコーヒーに関わる“何か”がしたいと考えていて、オンラインコーヒーメディアなどにコンタクトをとっていたのですがいずれも返答なし。「今度こそ!」と思いStandart編集部へ連絡しました。

すると、すぐにマイケルから「なにができる?」と返信があり、何度かオンラインで打ち合わせをして、翻訳業務をお手伝いをさせてもらえることに。それからしばらくして、マイケルが住むプラハを訪れました。オンラインでしかやりとりをしたことのなかった編集部メンバーとも直接会話をし、その場でマイケルから編集長をやってみないか、と打診があったんです。

自分としても、ちょうど良いタイミングでした。会社に10年務めて、子どもが生まれて、いまの仕事をこのまま続けるのか悩んでいた頃だった。大きなチャンスだと感じました。家族とも相談し、日本版の編集長としてStandartにフルコミットすることに決めました。

── 行武さんはどのような流れでジョインすることになったのでしょうか。

行武 室本に声をかけてもらいました。僕と室本は、元同僚なんです。僕は室本より先に会社を退職していて、オランダで暮らしながらフリーランスの翻訳者、ライター、フォトグラファーとして生計を立てていました。

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制作担当の行武温さん

室本 行武とは退職後も、オランダに住む者同士よく一緒に遊んでいたんです。僕は2017年に日本へ帰国したのですが、そのタイミングで一緒にやらないか、と声をかけました。

行武 最初の1年は外部委託のスタッフとして、翻訳・執筆業務を担当していました。そこから段々と誌面デザインや写真撮影などにも手を出すようになり、今ではStandartがメインの仕事になっています。

── Standart Japanは、室本さんは日本、行武さんはオランダと、国を跨いで一緒に同じ雑誌をつくっていますね。Standart編集部としてはさらに、グローバルなチーム編成なんですよね?

室本 7カ国4国籍のメンバーが集まっていますね。創刊編集長のマイケルは、チェコにいるスロバキア人。コンテンツディレクターはイギリス在住のオーストラリア人。クリエイティブディレクターはモスクワにいるロシア人。グラフィックデザイナーは北京にいるロシア人で、オペレーションを担当しているスタッフはジョージアにいるロシア人。日本版の編集を担う僕らふたりの日本人が、それぞれ日本とオランダにいます。

行武 出版言語も多様です。最初は、スロバキア語とチェコ語の合冊と、英語の2種類。その後、日本語、ロシア語と展開していきました。現在、スロバキア語とチェコ語の合冊とロシア語はお休みしていますが、英語と日本語の2言語は続いています。

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最新号となる「Standart Japan」 第17号のテーマは、「パンク、ラブドール、コーヒー」がキーワード

オンラインを最大限に活かせる時代だからこそ実現できる編集体制

── 違う国に住むおふたりで、どのように制作しているか教えていただけますか。

行武 雑誌の構成は、7〜8割が英語版の翻訳記事、残りが日本語オリジナルの記事です。日本語独自の取材は、毎号最低でも2本。日英で発行タイミングにそれほどタイムラグがないので、英語版の制作と同時に日本語版の制作も進行していきます。

まずは英語版の原稿を2人で読み、日本語訳する原稿を決めます。その内容からイメージを膨らませて、日本語版で取材すべき対象やエッセーを書いてもらう人を決めていきます。

── 取材はどのように進めているのですか。日本在住の室本さんが担当するのですか?

室本 インタビューは、僕がやるときも行武がやるときもありますが、基本オンラインです。行武はオランダですし、僕も福岡在住なので、フットワーク軽く行ける場所は限られてしまう。とくに今は、新型コロナウイルスの状況もありますし。

取材対象の方と直接会うことはないのですか。

行武 ほとんどないです。街の小さなカフェに大勢で取材に行くと、それだけで営業の妨げになってしまいます。だからと言って、休みの日にわざわざ時間をつくってもらうのも申し訳ないので。

ただ、フォトグラファーさんには取材先に行ってもらいます。僕らが行うのは事前のディレクションのみ。一人で行く形になるので、取材対象者と積極的にコミュニケーションを取れる方にお願いしています。

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年に一回、チーム全員が世界のどこかで集まるチームギャザリングでの1枚。この年はチェコ郊外のロッジに泊まった。コロナ禍で2020年、2021年と開催できていないそうだ

室本 ディレクションさえしっかり共有できていれば、あとはフォトグラファーさんの感性に任せたほうがよい写真が撮れる実感があります。編集部として大勢で取材にいくと、フォトグラファーさんと取材対象者が会話をする時間は限られます。しかし、フォトグラファーひとりだったら、確実に会話が発生する。だからこそよい写真が撮れるのだと思います。「いろんな話を聞けて楽しかったので、またあのカフェに行きます」という連絡をフォトグラファーさんからいただくこともしばしばあり、とてもうれしいですね。

行武 編集や出版の世界でキャリアを積んできている人は「直接行って話すのが当たり前」と怒るかもしれません。言い訳ではないですが(笑)、極力「こうしなければならない」という固定概念に囚われないようにしたい。幸い、僕らが住んでいる場所を説明すればオンラインでの取材も納得感がありますし、コロナ禍でさらにごく普通な出来事になっています。

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2019年にバルセロナに集まったときの集合写真

世界中でスペシャルティコーヒーが愛されるために

── 企画はどのように立てているのでしょうか。毎号「台風、スコーン、コーヒー」「照明、抱擁、コーヒー」「宇宙、虹、コーヒー」など、3つのキーワードがテーマになっていますね。コーヒーやカフェの話はもちろん、ジェンダーや格差の問題などにもフォーカスしています。

室本 「Standart はカフェそのもの」という感覚で企画をつくっているんです。カフェには、コーヒーがあり、よい空間デザインがあり、さまざまな人が集い、会話を交わす。そこでの会話は、コーヒーの話ばかりではありません。この点は"包括的な情報を”という創刊時の思いにもつながっています。

Standart の特徴のひとつなのですが、定期購読者の方には雑誌と一緒にコーヒー豆をお送りしています。それ、カフェにいるような体験を届けたいからです。そこから、その豆を買ってくれたり、雑誌に載っているカフェに行ってみたりなど、実際の行動につながっていくなら、こんなにうれしいことはありません。

行武 昨年から続くコロナ禍で、カフェとお客さんのつながりが絶たれてしまったり、薄くなったりしています。カフェに寄れても、長居もしづらいですよね。それならと、2021年5月発行の16号にはポストカードを封入したんです。自分の好きなカフェに「ありがとう」と手紙を送ってみてはどうか、と。たくさんの人が実行してくれている様子が、SNSを通じてわかりました。

── 雑誌においては「広告」も大事な企画要素のひとつだと思います。Standartでは、広告主をパートナーと表記していますね。

室本 広告は大事な収入源ですが、ただ広告を載せるだけでは、読書体験が損なわれてしまうのではないかという懸念がありました。僕たちは、極力広告の数を少なく抑えるし、載せるならば読書体験を損なわないように、他の記事と並べても遜色ない文章やビジュアルを心がけています。なにも工夫もせずにつくった広告は、それが記事だとしてもつまらないと感じることが少なくありませんから。

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ありがたいことに、広告主も僕らの考えをよく理解してくれています。むしろ、Standart を応援したいという気持ちから広告を出すことを決めてくれる。広告主からは「コーヒーカルチャーのためにやってくれているから」という言葉をよくいただきます。だからこそ、広告であっても、僕らが美しいと思うフォーマットやスタイルを維持できているんです。

行武 僕たちは広告主を「パートナー」と呼ぶのは、同じ方向を向いているからです。よい商品やサービスには、それに情熱を傾ける人がいるし、想いがある。それを掘り下げて、コーヒーを愛する読者に届けられれば、広告であっても読者に価値があるページになります。

── 同じ方向を向いている、という基準を設けると出稿する企業が絞られてしまう恐れもないでしょうか?

室本 売上げを増やすことだけを目指しているわけではないので、それでも構わないんです。もちろん売上目標は設定しますし、いろんな企業の方にご興味持っていただけると嬉しいのですが、それを達成するよりも「好きなこと」を「好きな人たち」と「やり続けていく」ことを大切にしています。

創刊時の想いを貫くことや、自分たちがいいと思えるものをつくり続けること。それを維持できる範囲であれば、事業の規模が大きくなり続ける必要はありません。

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東京でおこなわれた「TOKYO COFFEE FESTIVAIL」にも出展

室本 ですから、定期購読者が増えるのもうれしいのですが、「購読はしていないけれどカフェで読んでいます」という声も同じくらいうれしいです。

カフェで読んでいるということは、「売れたはずの1冊が売れなかった」といえるかもしれません。でも、コーヒー1杯分、カフェの売上になっている。コーヒーカルチャーにはプラスになっているんです。

僕たちは世界中で「スペシャルティコーヒーが飲まれる世界」を夢見ています。それはユニークなフレーバー特性を持つ質の高いコーヒーが世界中に広がればいいということだけではありません。Standartが伝えるスペシャルティコーヒーを取り巻くカルチャーや考え方、この業界で働く人々の熱意などをふくめて「今を生きる私たちが未来に向けて何ができるのか」を考えることと同義だと僕たちは考えています。

そういった未来につながる活動を何よりも大切にしたい。そのために僕たちは世界にいる仲間とともに、コーヒーを取り巻くストーリーを伝え続けるんです。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

室本 寿和(むろもと・としかず)

Standart Japan 編集長。1984年福岡県北九州市生まれ。高校卒業後、オーストラリアに留学し、翻訳・通訳の国家資格を取得。 帰国後、翻訳・印刷会社に就職し、2012年に転勤でオランダ・アムステルダムへ。 2017年3月より、スペシャルティコーヒーの文化を伝えるインディペンデントマガジン(季刊誌)『Standart』の日本語版ディレクターに就任。 2021年4月より、福岡でコーヒーショップ「BASKING COFFEE kasugabaru」を運営している。2児の父。

行武 温(ゆくたけ・あつし)

Standart Japan 制作担当。1988年生まれ。大学卒業後、言語サービスを提供する企業に就職。2012年、転職を機にオランダへ移住。その後金融機関での勤務を経て、2016年よりフリーランス翻訳者・ライターとして『Standart』を含む各種メディアで活動。2018年より制作担当として『Standart Japan』に本格参画。

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