怒りや恐れとどう向き合うか。不確実な社会を生き抜くためのセルフ・コンパッション

怒りや恐れとどう向き合うか。不確実な社会を生き抜くためのセルフ・コンパッション
文:森田 大理 写真:須古 恵

自分のあるがままを受け入れ、心身の健康につなげる概念「セルフ・コンパッション」。日本の研究第一人者、関西学院大学 有光興記教授に、変化の激しい社会で前向きに生きる秘訣を聞く

メンタルヘルスに不調を感じる人が増えている。2020年12月の厚生労働省の発表によれば、新型コロナウイルス感染症の拡大及びこれに伴う行動制限等の対策により、何らかの不安を感じた人は5割以上。仕事や暮らしが一変し、様々な情報が錯綜するなか、過度に怒りや恐れを抱く人も現れている。これは、個人の健康問題だけでなく、組織としても従業員のパフォーマンス低下や休職・離職の引き金になりかねない問題だ。

そんな今だからこそ、注目されはじめているのが「セルフ・コンパッション」という考え方。直訳すれば「自分への思いやり」となるこの概念は、「こうありたい」と無理をするのではなく自分の「あるがまま」を認めるのが特徴。その実践には、どのような効果があるのだろうか。今回は、日本のセルフ・コンパッション研究の第一人者である、関西学院大学 有光興記教授にインタビューした内容を前後編でご紹介。前編では、セルフ・コンパッションの効果・実践のポイントや組織に与える影響が話題となった。続く後編では、新型コロナウイルス、ダイバーシティ、Z世代など、現代社会を取り巻くテーマについてセルフ・コンパッションを切り口に話を聞いた。

前編:「自分にやさしく」がマネジメントに効く?組織のためのセルフ・コンパッション

コロナ禍は分断の引き金か、世界中の人々が共感できる稀な出来事か

―― 新型コロナウイルスの混乱は人々に大きなストレスを与え、社会を分断するほどの怒りや恐れが広がっていったように感じます。これまでの常識がある日突然一変するような不確実性の高い社会で健全に仕事や生活をするには、どんな考え方が大切でしょうか。

パンデミックによって社会は大きく変動し、ネガティブな情報も蔓延していることは、私たちの心にこれまでにない負荷をかけています。一方で、私たちは今パンデミックという同じ経験をみんなで共有していることに目を向けてみましょう。日本中・世界中で同じ問題に直面し、一人ひとりが安全を守る行動を取っている今は、セルフ・コンパッションを実践するうえで重要な「私だけじゃない」「私もあなたと同じ」という他人との共通性を感じやすい状況でもあります。

もちろん人によってこの感染症への考え方や置かれている状況がさまざまなのは事実です。自分との違いにイライラすることもあるかもしれません。けれど、「私もあなたも、みんながこの苦境をどうにか頑張っている」こともまた事実。「自分だけこんな目に合っている」ではなく「私もあなたもみんなそれぞれ頑張っている」ことに意識を向けられると良いですね。

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―― たしかに、大変な想いをしているのはみんな同じなので、コロナ禍ではお互いを労わる言葉をよく掛け合うようになった気がします。

手を洗ったりマスクをつけたりするのも、自分を労わり恐怖を緩和する行為だと捉えられます。感染対策としてのさまざまなケアは、感染しないための「自分へのやさしさ」でもあり、感染させないための「人への思いやり」でもある。まさしくセルフ・コンパッションです。逆に世間のネガティブな意見や情報に同調して、考え方の異なる他人を攻撃しても、根本的な恐怖は取り除けません。

―― 攻撃的な行動に出る人が現れたのは、これまでに経験のない出来事に直面し、情報が錯綜していることも要因だと感じられます。

いろんな考えがあっても良いとは思いますが、大切なのはまずそれぞれの意見を聞くことでしょう。怒りや恐怖に苛まれている人は、自分の信じたい情報だけを信じ、他の情報に耳を塞いでいる傾向があります。周りが見えなくなってしまっているからこそ、自分の見えているものだけが真実のように思えてしまう。だからこそ、まずは自分自身に「大丈夫、大丈夫」とやさしく声をかけ、周りを見渡せるような落ち着きを取り戻すステップが必要。ネガティブなものにばかり目が行く状態から解放されるには、まず自分を労わることが大切です。

多様性の尊重とは、「みんな仲良く」ではない

―― 自分の見えているものだけを正しいとせず、違う意見にも耳を傾けることは、昨今社会全体が取り組んでいるダイバーシティにおいても重要な観点です。

そうですね。ダイバーシティとセルフ・コンパッションは、ベースとなる考え方に親和性があると思います。多様性が進んだ社会では、ときに自分とは相容れない人とも共生していかねばなりません。そのとき、一般的には「嫌な相手でも頑張ってうまくやろう」と捉えられますが、セルフ・コンパッションの考え方で言えば「嫌なものは嫌」でも良いんです。もちろん、嫌いだからといって攻撃したり、「きっと○○に違いない」とまだ起きてもいないことで騒いだり排除したりするのは違いますが、好きも嫌いも良いも悪いも、あるがままにその感情をやさしく受け入れる。自分の気持ちを偽って無理やり「みんなと仲良くすること」が多様性の尊重ではないと思います。

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―― 「嫌なものは嫌」なまま受け入れるには、どうすれば良いのでしょうか。

これも先ほどお話したように、「私とあなたにも同じところがある」と共通性を感じることです。9割9分理解ができないという人でも、探せば自分と共通することがあるはず。例えば民族も宗教も価値観も違う人だとしても、あなたとその人が子を持つ親同士なら子育ての喜びや苦労で共感し合えるかもしれません。

ちょっとだけ苦手な職場の同僚が、同じ日本料理が好きだとわかったら、少しだけ親近感を覚えることもあるかもしれません。相手のことをちょっとだけ認められて、自分の心が穏やかになれたら、まずはそれで良しとしてもいいのではないでしょうか。

―― 相手に「こうしてほしい」「こうあってほしい」と何かを求めるのではなく、結局は自分の心のありようなのですね。

他人を認めたくないのは、自分の心の中にも同じように認めたくないものが潜んでいるからなのかもしれません。「自分の嫌いな部分」や「思い出すのも辛いような過去の経験」に蓋をして見ないふりすることには、様々なリスクがあります。例えば、忘れるためにお酒に走ったり、抱え込み過ぎてうつ病を発症したり、他人を攻撃したり…。そうならないためには、まずは自分のありのままを受け入れること。それができたら、他の人たちのありのままも尊重できるはずです。

挫折を受け入れ、立ち直るためのセルフ・コンパッション

―― 多様性に関連して、世代による価値観の変化についてもご意見を聞かせてください。いわゆるZ世代と呼ばれる若者は、多様な価値観を尊重し、個性を大事にする世代とも言われます。若者ほどセルフ・コンパッションを自然と会得しているのではないでしょうか。

それは一概には言えないかもしれません。たしかに、今の学生たちを見ているとあるがまま志向の人は多いのですが、安全圏に留まりチャレンジしないことと表裏一体に感じる側面があります。「みんなと一緒」を優先しすぎて本当に自分がやりたいことを遠慮している学生も年々増えている印象ですね。

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―― 先生から見ると、もう少しチャレンジをしてほしい、と。

20歳前後の彼らはまだ大きな挫折を経験しておらず、失敗を恐れている人が多いのです。でも、社会に出れば自分の努力だけではどうにもならない理不尽なことが時々起きますよね。会社の事情で自分が情熱を注いできたプロジェクトが立ち消えになることもあれば、意図しない異動や転勤を経験する人もいます。

生きていれば、失敗や挫折や予定変更はつきもの。それを恐れていたら何もできなくなってしまいます。セルフ・コンパッションは、たとえ失敗したとしても自分の一部として受け入れ、それを糧に前向きに生きるための方法。これを実践できる人は、健全に挑戦を繰り返すことができるはずです。

―― 挫折から立ち直るための力がセルフ・コンパッションには秘められているんですね。

そうですね。セルフ・コンパッションは、各世代の不安や悩みに寄り添えるものとも言えます。若い世代にとっては、自分のやりたいことに恐れずチャレンジしていくために身に着けると良いですし、ミドル世代であれば、まさしく仕事や人生において大小様々な失敗も経験しているからこそ、挫折から立ち直るためにセルフ・コンパッションは有効。そして、シニア世代になれば老いや病気とどう向き合うかは大きなテーマです。

セルフ・コンパッションは、ネガティブな感情や出来事と戦うのではなく受け入れること。年齢に抗って無理をするとかえって心身が不健全になるリスクもあるからこそ、あるがままの自分を認めることも大切です。このように、それぞれの世代に実践する意義があります。不安の多い時代を少しだけ心穏やかで前向きな気持ちにするつもりで、セルフ・コンパッションを取り入れてみても良いではないでしょうか。

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プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

有光 興記(ありみつ・こうき)
関西学院大学文学部 教授

2000年、関西学院大学大学院 文学研究科心理学専攻博士課程後期課程単位取得満期退学。博士(心理学)、公認心理師。2017年より現職。専門は臨床感情科学。著書は、『自己意識的感情の心理学』(共編著,北大路書房),『モラルの心理学』(共編書,北大路書房),『マインドフルネス:基礎と実践』(分担執筆,日本評論社)、『自分を思いやる練習 ストレスに強くなり、やさしさに包まれる習慣』(朝日新聞出版)など

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