行動経済学を職場に応用したら?「ナッジ」を活かして気持ち良く働く

行動経済学を職場に応用したら?「ナッジ」を活かして気持ち良く働く
左より、東京大学 阿部 誠教授、リクルート佐々木、西田

昨今、公共政策やビジネスシーンで注目を浴びている行動経済学。
今回は、その行動経済学を応用し、ちょっとした表現や伝え方の工夫で人々の自発的な行動を促す「ナッジ(nudge)」をテーマに、座談会を開催。日本のマーケティング研究の第一人者である東京大学 大学院経済学研究科・経済学部教授 阿部 誠さんを迎え、リクルートでシステム基盤を支える佐々木政昭、オフィス基盤を支える西田華乃が語り合いました。
リクルートグループ報『かもめ』2022年1月号からの再編集記事です/敬称略

行動経済学を応用した「ナッジ」とはそもそも?

行動経済学=経済学+心理学

阿部:マーケティング研究の巨匠であるフィリップ・コトラーが「行動経済学は『マーケティング』の別称にすぎない」と言っていたことが、非常に印象に残っています。
行動経済学は1980年頃から、伝統的な経済学に心理学を合わせて発展してきました。伝統的な経済学とは、人間を「超合理的」「超自制的」「超利己的」なホモ・エコノミカス(経済人)と想定し、彼らがどう行動するかを考える分野です。以下のような例で説明すると分かりやすいでしょう。市場にある全てのシャンプーのメリット・デメリットを比較して最適な費用対効果の商品を瞬時に意思決定できるのが人間である(超合理的)。将来のことを考え、目の前のアイスクリームを食べると太るから食べないという判断をするのが人間である(超自制的)。自分に利益がないなら募金などしないのが人間である(超利己的)。
しかし、1960年頃から、このホモ・エコノミカスの行動が、実際の人間の行動に当てはまらないということが指摘されるようになってきました。それに対して、「限定合理性」「時間的選好」「社会的選好」を人間の本質としたのが行動経済学です。人は常に合理的判断をしているわけではなく、将来よりも現在を重視する傾向があり、自分の利益だけではなく、他者の利益や言動も考慮すると考えられるようになりました。この行動経済学を応用した領域のひとつが「ナッジ」です。

「ナッジ」のポイントは、強制せず、簡単で安価な仕組みで行動変容を促すこと

阿部:諸説ありますが、私はナッジを、「ヒューリスティックを用いても、バイアスが起きないような行動変容を促す仕組み」と定義しています。ヒューリスティックとは、人の思考に直観と熟考のふたつのモードがあるなかで、瞬時に答えを出せる直観を使った意思決定プロセスのこと。基本的に人間は、直観で情報処理することのほうが多く、それにはバイアスがかかりがち。そこで、人を良い行動に促すナッジという手法が生まれてきました。ナッジのポイントは3つあると考えています。

(1)強制・強要せずに、本人の意思で自由に行動(義務ではない、ペナルティーや罰則は最小限)
(2)お金などの経済的インセンティブは最小
(3)仕組みは簡単で安価。

佐々木:ナッジは経済的インセンティブが最小というのを初めて知りました。自分はインセンティブを付けて行動変容を促すことに目が向いていたかもしれません。

西田:人はパッと行動しがち。そこに、バイアスが起きないようそっと押してあげるというのがポイントですね。そして簡単で安価という点に、何か自分でも取り組めそうだと感じました。

検証:リクルートのオフィスで「ナッジ」の実例は見つかる?

行動経済学(ナッジ)を活用した具体例

西田:実際に社内で試している行動経済学を応用したナッジの実例をご紹介させてください。賞味期限切れの食べ物や飲み物が入っていた会社の冷蔵庫。牛乳がヨーグルトになっていたことも。ペンと用紙を冷蔵庫のドアに設置したことで、従業員が名前と日付を用紙に記入して物を入れてくれるように。冷蔵庫の利用が改善されました。

阿部:ペンや用紙が手元にない場合、自分の机に戻り、わざわざ書いて持ってこようという気持ちにはなりませんよね。先に面倒を取り除くのはよいことです。理由も書いてあり、本人が自主的に動くことを促しています。

行動経済学(ナッジ)を活用したゴミ箱の具体例

西田:分別をあまり気にせずにゴミを捨てるため、あるビルではゴミ箱の配置をどの場所も「右側が燃えないゴミ」「左側が燃えるゴミ」に統一し、直観で認識できる工夫をしています。また、捨てる時に必ず見るゴミ箱の投入口に種類を示す掲示物を貼ることで、ゴミの分別が改善されました。

阿部:燃えるゴミを赤、燃えないゴミを青と、色分けして直観的に判断できるようにしていますね。

行動経済学(ナッジ)を活用した具体例

佐々木:システム基盤として行動経済学を活かした実例もご紹介させてください。従来、従業員の電話番号と各種端末などの利用者情報がバラバラに管理されていたため、全体管理の手間がかかり、正確性が担保しづらい状態でした。そこで、社内イントラネットの内線番号帳をリニューアル。ID関連の情報を集約し「端末の利用者情報登録」が管理されていれば電話番号は自動連動されるなど、重複管理の手間を削減。これらの統合された情報が可視化されたことで、従業員が自分やチームメンバーの情報を見て、間違いに気付くと、自律的に情報を更新してくれる動きが発生。人は見えるようになると、気になって正しくしたくなるんだという気づきがありました。

阿部:これに加えて、最終の更新日時も見えると、更新日時が古すぎて恥ずかしいといった気持ちも働き、自主的な更新がさらに進むかもしれません。20220406_v005

佐々木:行動経済学ならではの視点ですね! 真似してみたいです。他には、各部署でICTツールの独自導入が進んだ結果、それぞれでの検討・運用コストの重複や、ガバナンスリスクが問題に。会社として利用を推奨できるICTツールのラインナップをガイドライン化。ルールではないので「この場合はどうすればいい?」と相談が入り、従業員ニーズも拾えるように。ツールのシャドーIT化※※も防げるようになりました。
※Information and Communication Technologyの略。情報通信技術の意
※※企業・組織側が把握せずに従業員または部門が業務に利用しているデバイスやクラウドサービス

阿部:これは、厳密に言うと経済学における情報提供ですが、ガイドラインなので強制ではなく、従業員は短時間で判断できるのでナッジと捉えてもよいと思います。忙しいなか自分でTeamsとZoomの機能などを十分に比較検討する暇はない。本来は別のツールを使うべき業務ケースでも「Teamsはマイクロソフトだから良いだろう」と直観バイアスで選択してしまいそうな人に対し、ガイドラインが考え方をサポートしているところがナッジっぽいです。

行動経済学(ナッジ)を活用した具体例

阿部:この他、「モバイルによるオフィス相談申請」や「Outlookと連動した会議室予約」も紹介いただきました。これらは、利便性の高い仕組みで従業員の行動を後押しする仕組みですが、システムをきちんと組み上げたオフィスオートメーションによる工夫です。例えば、会議室予約でナッジを活用するなら、「予約した本人に会議開始5分前にメールがいく」というような、もっと単純で簡単な方法でよいと思います。

西田:ナッジとオフィスオートメーションは違うんですね。

気持ち良く働くために、「ナッジ」を職場でどう活かす?

人は強制されると、反発したくなる心理が動く

西田:リクルートはボトムアップの文化で、「これはルールです」と伝えても、「なぜそうするのか?」がないと浸透していきません。そこで生まれたのがご紹介した施策でした。

佐々木:総務やICTは、口うるさい組織だと思われやすいですからね(笑)。

阿部:人間は強制されると反発したくなる「心理的リアクタンス」が作用するのだと思います。

西田:私たちは、「総務はサービス業である」と考えています。サービス業でルールを強制することって、あまりないですよね。ホテルのように自然に皆が気持ち良く行動できる仕組みを日々考えています。

阿部:日常的なクリティカルでないところで、「こうしてください」と言われると、どうしても人は煩わしさを感じるもの。総務はサービス業であるという姿勢で、「こうしてください」と言わずに、従業員を良い方向に導くアプローチは、総務という立場に適していると思います。

西田:これまで、アナログな施策ですが、各ビルのルールに合わせたゴミの分別に取り組んできました。しかし、会社が大きくなるなか、総務に関するさまざまな施策において、ナッジのような工夫を量産することでカバーできるのか不安です。ナッジを活用するのか、それともシステム化して体系的に大きくメスを入れたほうがよいのか、その見極めポイントはありますか?

佐々木:エラーが発生した際の影響がどれくらいクリティカルかの閾値次第で考えてもいいのではないでしょうか。エラーが少しでも起きた場合に致命的な状態になるのか、大半の人が大丈夫であれば、多少の間違いが発生しても許容できるものなのか。少しもエラーを許容できないという場合には強制力を働かせることを検討する必要があるかもしれません。

阿部:非常に難しい問題ですが、「人があまり深く考えず直観的に動けるようになるには、どうすればいいか」という志向で考えていくしかありません。どこかでは、強制でやらざるを得ないこともあると思います。

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人が持つ3種類の直観。そこへの働きかけを考える

佐々木:これまでのお話を聞きながら、普段自分たちが取り組んでいることは「ゆるやかな強制」「インセンティブを使った行動変容」に近いかもしれないと感じました。理系人材が多い組織にいるので、システマティックにどうエラーを防ぐか、どんなインセンティブを提供するのか、という方向に意識がいってしまう。ナッジを掛け合わせてやり方を考えてみることで、思考の幅がもっと広がっていきそうです。

阿部:ナッジは小さな問題から大きな問題まで応用可能性は広く、アイデアや工夫次第なんです。

佐々木:ICTのメンバーは皆、真面目できっちり考えがち。でもユーザーはもっと直観的に意思決定している。そこに合わせて考えたら、いろいろな方法が生まれてくるかもしれません。この直観に対して、こういうナッジが効きやすいなどありますか?

阿部:直観、ヒューリスティックにもタイプがあります。ひとつは、頭のなかで考えている、イメージがあるものに反応しやすい「利用可能性ヒューリスティック」。次に、代表的な例を見て判断する「代表性ヒューリスティック」。それから、最初に得た情報で判断する「固着性ヒューリスティック」があります。代表性ヒューリスティックの例でいうと、「赤」という漢字を緑色のペンで書くと、情報処理に時間がかかると言われています。まず、どんなタイプの人なのか、どのヒューリスティックが活用されやすそうかを踏まえ、その人が熟考できない場面でどう支援するとよいかを考えるところから始めてはどうでしょう?

自分の選択経験のなかに創意工夫のヒントが隠れている

佐々木:自分の選択経験を振り返って考えてみるとよいかもしれません。

西田:自分のユーザー体験を起点に、その選択をする時、何を思い考えたのかという視点に立って、そこから創意工夫する。ナッジの幅を広げていける気がしました。

佐々木:思い出したのですが、以前、自分の部署で「サンキューカード」を交換する取り組みをしていました。安価で簡単な仕組みですが、効果が大きかった。感謝された人の仕事内容が共有されたことで、自然と相互理解が進んだり、カードを送る人は周囲の仕事をしっかり見ていないといけないので、周りの仕事に目を配る人が増えたり。組織開発系のところにナッジがあふれていそうですし、使えそうです。

西田:よく聞く取り組みですが、そんな効果があるのですね! 自組織の仕事を他組織に見える化する取り組みは良いかもしれませんね。

阿部:ナッジって、そんなに難しく深く考えなくていいんです。行動経済学は人間行動が起点の学問。自分だったらこう思い、こう行動するというところから理論立てています。このシーンなら、自分だったらこう行動するけど、理想とする行動と何が違うのか? 行動変容を起こすために何が足りないのか? そういうところから考えてみる。このくらいの軽さで、自然体で考えるのがナッジ。ぜひナッジを使って働く環境を進化させていってください。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

阿部 誠(あべ・まこと)

東京大学 大学院経済学研究科・経済学部 教授

1991年マサチューセッツ工科大学大学院 博士号取得後、2004年から現職。専門はマーケティング・サイエンス、消費者行動、行動経済学。ノーベル経済学賞受賞者との共著も含めて、マーケティング学術雑誌に論文を多数掲載。2003年にJournal of Marketing Educationからアジア太平洋地域の大学のマーケティング研究者 第1位に選ばれる。主な著書に『大学4年間のマーケティングが10時間でざっと学べる』『東大教授が教えるヤバいマーケティング』(ともにKADOKAWA)、共著書に『(新版)マーケティング・サイエンス入門:市場対応の科学的マネジメント』(有斐閣アルマ)がある

佐々木政昭(ささき・まさあき)

リクルート ICT統括室 人事・共通システムユニット

外資系ソフトウェア会社を経て、2005年リクルートに入社。本誌制作システムのリニューアル、『ホットペッパービューティー』立ち上げ、リクルートIDの全社展開などを経験。その後、リクルートライフスタイル ICT・セキュリティユニット長を経て、20年4月より現部署でユニット長を務める。リクルート全体が利用する共通システムのDX化など、社内のIT施策の企画・推進を担う

西田華乃(にしだ・かの)

リクルート 総務統括室 ワークプレイス統括部 HR領域統括グループ

化粧品メーカーを経て、2006年リクルートエージェント(現:リクルート HRエージェントDiv.)に入社。総務部門のスタッフとして、全国事業所のファシリティマネジメントに従事。また、自然災害・感染症などの各種リスク対応や社内イベント対応等、総務業務全般を経験。21年4月より現部署のグループマネジャーを務め、ワークプレイスの調達から各種サービスの設計に携わる

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