起業ブームに沸くフィンランドで何が起きている? 学生、元ノキア社員、政府が盛り上げるスタートアップシーン
以前、本サイトでも紹介したSkypeの創業者ニクラス・ゼンストローム氏との対談で、10億ドル規模のインターネットやソフトウェア関連会社の拠点として、スウェーデンが意外にも世界第3位であるという話があったように、今スウェーデンをはじめとする北欧でスタートアップシーンが盛り上がっている。
フィンランドも今スタートアップシーンがホットなエリアの一つだ。元々、ノキアやMy SQLが誕生した技術先進国として有名であり、最新のブルームバーグのイノベーションインデックスでは世界ランキングで4位となるなど、イノベーション大国としてもフィンランドは注目されている。
去る4月24日、そんなフィンランド発のイベント「SLUSH」が「SLUSH Asia」として日本でも行われ、大盛況で幕を閉じた。耳ざといテッククラスタの方の中には、足を運んだ方も多いのではないだろうか。リクルートでもイベント内でFireSide Chat(炉辺談話:いわゆるメインイベントに付随して行われるトークセッション)ブースを運営し、多くの来場者がスピーカーたちの意見に耳を傾けた。
そんなフィンランドではここ数年、空前の起業ブームが起きている。ヒットゲームを開発したSupercellやRovioといった、グローバル市場で成功を収める有名企業が生まれただけでなく、クリーンテックやヘルステックなどの分野も熱い。その起業熱の背景には何があるのだろうか?
ノキアの衰退が、スタートアップの成長につながる
まず、フィンランドにおけるスタートアップの盛り上がりの要因として無視できない点は、同国がかつて誇っていたテクノロジー企業ノキアの衰退である。90年代前半から携帯電話メーカーとして長らく世界の携帯市場で首位を維持していたものの、スマートフォン戦略における失敗により低落、そして2013年にマイクロソフトに携帯電話事業が買収された同社。事業の衰退と共に、過去10年間で実に1万名以上もの従業員がノキアから去ることとなった。このノキアの予期せぬ低落には国民の多くが失望したものの、一方で思わぬプラス効果を受けた場がある。スタートアップ業界だ。
「ノキアが行った解雇がもたらした唯一の利益は、スタートアップが盛り上がったことだ。多くの能力の高い元ノキア社員が、自ら事業を始める決意を下したのだ」 ノキアの元幹部であり、2010年に同社を去ったOlli-Pekka Kallasvu氏は、ウォール・ストリート・ジャーナル誌上でインタビューで以前このようにコメントしている。
ノキア社員のスタートアップへの転身が進んだ背景として、ノキア自身がそうした変化を積極的に後押ししたという点がある。同社は「Nokia Bridge」というインキュベータプログラムを立ち上げ、新しくスタートアップを立ち上げる元従業員に最大15万ユーロの資金を出資するプログラムを開始した。このプログラムを利用して、事業を始めた従業員も多い。独自のSailfish OSを搭載したスマートフォンJollaも、同プログラムのサポートを受けて元ノキア幹部が立ち上げたスタートアップの1つだ。
また、起業という道ではなく、エンジェル投資家やアクセラレータプログラムのメンターなど、起業家をサポートする側にまわった元社員も少なくない。結果的に衰退したにしても、グローバルに事業を成長、拡大させて事業の黄金時代を経験したノキア社員の経験とノウハウは、立ち上げからグローバル展開を目指し、急速な成長を志すスタートアップにとっても大きなサポートとなっているようだ。
技術力の高さは「研究開発」への投資にあった
また、スタートアップの盛り上がりを後押しする別の要因として、フィンランドが誇る技術力がある。特に注目すべきは、同国が研究開発に割くリソースの高さだ。たとえば、人口百万人に対して研究開発部門で働く人数は7482人と、世界のトップを誇る。
「賃金の低いアジア諸国と賃金面で競争することは不可能であるため、私たちに残された唯一の選択肢は常に数歩先を走ることでした」と2008年、元フィンランド首相マッティ・ヴァンハネン氏はCnetのインタビューで語っている。この研究開発に国家として注力する政策は、ここ最近のことではなく1980年代から進められてきたとヴァンハネン元首相は述べており、その長年の政策の結果によってフィンランドの技術力が押し上げられてきたことが伺える。
このように政府主導で研究開発に重点が置かれてきたことで、革新的な技術の研究が進められてきた歴史があり、それが現在のテクノロジースタートアップの技術力の基盤となっていると考えられる。
今後の成長が期待されるヘルステック
さて、それでは実際にスタートアップとして成長を見せている分野はどのあたりになるのだろう? フィンランド発のスタートアップとして、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは Supercell や Rovio であろう。前者は『クラッシュ・オブ・クラン』、後者は 『Angry Birdsシリーズ』というヒットゲームをリリースした企業として世界的にも有名だ。こうした成功例に触発され、後に続かんとばかりにゲームアプリやモバイルアプリの開発に挑戦するチームは多い。そんな挑戦者をサポートする組織の一つが、フィンランドを代表する教育機関であるアールト大学とマイクロソフトによるジョイントプロジェクトであるAppCampusだ。モバイルテクノロジーやデザイン、ユーザービリティのトレーニングと資金を提供するアクセラレータである同組織が開発をサポートしたアプリは何百にも及ぶ。
とはいえ、同国のスタートアップ界で注目されているのはゲーム・モバイルアプリだけではない。たとえば、今後の成長分野として注目されている産業の一つがヘルステックだ。ヘルステック分野のスタートアップをサポートする非営利団体Health SPAには、現在 400を越えるスタートアップが所属しており、200以上のスタートアップはアーリーステージであるという。
「2014年、この分野における複合収益は30億ユーロ以上であり、今後10年でその額を3倍にすることを戦略的に試みている」と、かつてAppCampusの運営に携わり、現在はヘルステックアクセラレータの Vertical Acceleratorのジェネラルディレクターを務めるPekka Sivonen氏は語る。
かつてノキアでグローバルイノベーションプロジェクトを率い、現在はスタートアップのインターナショナルな成長をサポートするアクセラレータプログラムNewCo Factoryのプロジェクトマネージャーを務める Jaana Pylvänen 氏もまた、Geektime上のインタビューで今後グローバルな視点で面白く、スケーラブルなイノベーションが見込める産業としてヘルステックを挙げている。
起業を目指す学生が主体となって運営する、北欧最大のテックフェスティバル「Slush」
ビジネスや開発経験の豊富なノキア社員、研究開発を積極的にバックアップする政府、ビジネス経験の多いメンターがサポートに参画する数々のアクセラレータプログラム。こうした人材や組織がフィンランドのスタートアップエコシステムで主要な役割を果たしているのは確かだが、同時に学生をはじめとしたエネルギーあふれる若者がスタートアップシーンに積極的に参加している点も注目に値する。
そんな若者のエネルギーが集まる場が、いまや北欧最大級のテックフェスティバルとなり国際的にも有名な「Slush」だ。2011年以降、起業を志す学生団体であるアールト大学の起業ソサエティがが主体となって運営されているSlushは、昨年には参加者数が1万4000名に上り大盛況を博した。2008年に開催した初回のSlushは150名規模のものだったというから、そのすさまじい成長ぶりを理解いただけるだろう。
Slushが急成長を遂げた背景としては、運営主体がアールト大学起業ソサエティに移った点が大きい。Slushの運営拠点となっているアールト大学内にあるコーワキングスペース Venture Garageには、アクセラレータとしても有名なスタートアップサウナが入っており、起業を目指す若者が集まる場となっている。
アールト大学は、国内で第三の規模を誇る国立大学であり、2010年にヘルシンキ工科大学、ヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ芸術デザイン大学が合併して創設された。工学、経済、芸術という三つの異なる領域が垣根を越えて、イノベーションを生み出すことを目指している。Venture Garageは、そんな既存の学問にとらわれない同大学の取り組みの代表的な事例であり、実際に学生をスタートアップシーンに巻き込むことに成功している。
ちなみに、スタートアップサウナは、2010年に非営利組織として設立され、北欧とロシアの起業家向けにワークショップやコーチングを提供するプログラムを運営していたが、その後ベンチャーキャピタルのInventureが加わったことによって、エクイティと引き換えに出資を行い、手厚いメンターシップも提供するアクセラレータプログラムへと成長した。145のスタートアップがこれまで卒業し、それらのスタートアップが調達した資金は総額で3700万ドルに及んでいる。
お互いに助け、励まし合う「Talkooの精神」
フィンランドのスタートアップシーンを見ていると、ビジネス、開発経験の豊富な者、政府、学生らが、互いの領域を越えて積極的にサポートし合っている非常にバランスのとれたコミュニティになっているという印象を受ける。
精神論になってしまうが、そのサポートスピリットにあふれるコミュニティの根底には、 もしかしたらフィンランドに根付いている「Talkooの精神」があるのかもしれない。「Talkoo」とは「小屋を建てる」という意味で、フィンランドの人口の少ない農村で、小屋を建てる際に、村民達が無償で互いに助け合っていた習慣に由来する。つまり、助けが必要な者には無償で手を差し伸べ、互いに支援し合う精神のこと。この「Talkoo」の精神を示すストーリーが、Slushの成長につながっている。
元々Slushは2008年にローカルに開催されたミーティングからスタートしたものだった。設立者のPeter Vesterbacka氏(現在Rovioのメンバーとして、新興国の営業を主に担当。来日することも多いので、テックイベントで赤いアングリーバードのパーカーを着ている同氏を見かけた日本人も少なくないだろう)とTimo Airisto氏はHPを辞めたあと、スタートアップの立ち上げを準備していた。その頃、ビジネスの経験があり若者とのネットワークも豊富だった彼らの元に、多くの若者が起業の相談にきたという。そして、彼らが若者に対してアドバイスを繰り返すうちに、もっと効率的に良い方法でこうした情報やノウハウの共有ができないかと考えて、発足したのがSlushだったのだ。
2008年に開催されたSlushは150名が参加するローカル規模のミーティングだったものの、二人の熱意と努力によって継続的に開催する。2011年にアールト大学の起業ソサエティが参画するようになるまで、彼らは少人数の仲間と共に、無償で、本業の傍ら多くの時間を割いてイベントの運営を続けていたのだ。その根底には「Talkoo」の精神があったと、Airisto氏は自身のブログで振り返っている。
そんな「Talkoo」の精神で結束するフィンランドのスタートアップコミュニティが今後、ノキアを越えた世界を驚かせるイノベーションを生み出していくことは大いに期待できそうだ。