石油からテック業界へ。未来の産業づくりに活気づくノルウェーのスタートアップシーン

石油からテック業界へ。未来の産業づくりに活気づくノルウェーのスタートアップシーン

文:佐藤ゆき

ノルウェーのスタートアップシーンの活気がここ数年で増している。欧州でスタートアップが盛んな都市といえば、ロンドンやベルリン、パリ、ストックホルムなどがまず挙げられるが、ノルウェーもまた首都オスロを中心に、スタートアップの数が増え、資金調達額も伸びている。

特にノルウェーは既存の大手テクノロジー企業や研究機関の出身者がスタートアップに移ったり、有名な技術系大学の学生がスタートアップを始める、または参加する例が増えており、強固な技術力を強みにして世界で勝てるプロダクトを作っているのが特徴的だ。

今回は、そんなノルウェーのスタートアップシーンの現状についてまとめてみたい。

石油産業の衰退によって、優秀なエンジニアがテック業界へ

ノルウェーのスタートアップへの投資額はここ数年右肩上がりだ。オスロ市がまとめたレポート*1によれば、2017年ノルウェーのテック企業に投資された件数は78件、総額1億ドル(約110億円)を超え、前年よりも160パーセント増を記録している。ノルウェーの人口は約520万なので、人口一人当たりの額で比較すれば日本を若干上回る(ジャパンベンチャーリサーチの調査によると、2016年のベンチャー企業による資金調達総額は2099億円)。

筆者は2015年に初めてオスロを訪れ、その時にも何人かのスタートアップのファウンダーに話を聞いたが、2017年夏に再度オスロを訪れたときにスタートアップ関係者に会った際には「ノルウェー国内でも資金調達の環境がずいぶん整ってきた」という声を何度か耳にした。以前は、スタートアップをするにはまずシリコンバレーに行くべきだ、というのがノルウェー国内の起業家界隈における「常識」だったというが、今では「国内で資金を調達して、チームを作って、基盤を固めてから米国市場に展開する」というのがトレンドになっているようだ。

その背景には、ノルウェー国内の産業構造の変化がある。今回、取材した中で多くの人がスタートアップシーンの成長の理由として言及していたのが「石油業界の衰退」だ。

2014年から16年にかけておきた原油価格の急落は、石油産業への依存が高かったノルウェーの経済に大きな影響を与えた。業界の労働者の5分の1を占める約5万人が職を失い、石油業界の売り上げは40パーセントも下落した*2

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石油産業の街として栄えてきたノルウェー南西部のスタヴァンゲルの倉庫街に描かれるストリートアートは、変化に直面する業界の労働者を表現していた。(筆者撮影)

「もちろん、石油産業の衰退がすべてではないけれど、スタートアップ業界に大きな影響を与えたことは確かですね」。オスロを拠点に、長期療養の子供の代わりに授業に出席してくれるアバターロボットを開発するスタートアップNo Isolationのコーファウンダー・CTOのマリウス・アーベル氏はいう。

その理由は、人材の移動だ。将来の見通しが暗い石油業界から、未来志向のテック・スタートアップ業界へとエンジニアを中心にした人材が多く移動したという。大学を卒業したばかりの若者も同様だ。かつて石油業界は「安定が保証されたエリートコース」だったというが、その安定が崩れてしまった今、別の道を探す必要が出てきた。スタートアップに参加したり、自分たちで起業することを考える学生も増えてきたのだという。

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石油産業を基盤に栄えてきた南西部のスタヴァンゲルも、将来を模索している。「Innovation Dock」は2017年新たにできたコワーキングスペースだ。(筆者撮影)

石油業界の衰退は、ノルウェー国民の危機意識に火をつけた。石油産業で栄えてきた南西部の都市スタヴァンゲルでも、多くの労働者が街を去ったり、別の職業を模索し始めた。その中で、テック・スタートアップを育てようという投資家も現れ、彼らは地元のスタートアップに投資をして、次の産業を生み出すことに必死だ。地元の起業家によれば、コワーキングスペースや起業家向けのイベントもここ数年で増加したそうだ。

オスロは「世界三大ビデオバレーのひとつ」ーー成長するビデオ関連スタートアップ

こうした模索が続く中で、自分たちの強みも見出してきた。その一つが、ビデオ関連のスタートアップの強さだ。

小型でミニマルなデザインのスマートウェブカメラを開発するオスロのスタートアップHuddlyは、オスロのビデオ関連スタートアップの中でもとりわけ注目を浴びている存在だ。小型ながら広角のアングルと高解像度を実現し、Slackなど新しいワークツールへの統合を簡単にするなど、スムーズなユーザーエクスペリエンスの設計にもこだわっている。まだ製品のローンチ前だが、既に数十人のメンバーがそのソフトウェア、ハードウェアに取り組んでいる。

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オスロ大学のキャンパス内にあるインキュベータスペース StartupLab(筆者撮影)

そんなHuddlyのヨナス・リンデCEOは、オスロのスタートアップシーンを「ビデオバレー」と形容する。リンデCEOによれば、オスロはシリコンバレー、オースティンとともにビデオ関連のスタートアップが数多く集積する場所として、世界でも認知されているという。

ビデオ関連の技術は、レンズやセンサーなどを含めたハードウェアの設計、光の質を落とさないためのアルゴリズム、サウンドの処理、システムの設計などその守備は幅広い。こうした広範にわたるビデオ関連技術のエンジニアやデザイナーが、オスロには集まっているという。

ビデオバレーが生まれた背景には、もともとビデオ関連の技術に強い地元の大手企業Tandbergや大手テレコムTelenorの存在がある。契機となったのは、2010年。アメリカの大手企業シスコがビデオ会議システムに強いTandbergを34億ドル(約3700億円)、キャッシュで買収したことだった。

この大型買収によって、オスロのビデオ技術コミュニティに大きな資金が入ることになり、Tandbergの株式を持っていた人の中で起業する人も出てきた。また、Tandberg買収後、シスコはさらにエンジニアを増やしたため、ビデオ関連の技術にたずさわるエンジニアが業界で増える結果にもなった。

スマートウェブカメラHuddlyのリンデCEO自身も、もともとはTandbergの社員であったという。「シスコによる買収で、自分たちの強みに自信をつけた社員たちがその後起業していったんだよ」と彼はいう。

世界中の若い世代で人気を博している、ウェブブラウザ上のビデオ会議アプリケーションappear.inもオスロ発のスタートアップだ。もともとは、大手テレコムTelenorが開催したハッカソンがきっかけで生まれたアプリケーションだ。Telenorもまた、かつてTandbergとともに世界初のVoIPサービスを開発した経験があり、ビデオ関連技術に強い。

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映画鑑賞ヘッドセットを開発する若い学生チーム MovieMask(筆者撮影)

オスロ大学のキャンパス内にあるサイエンスパークに入っているインキュベータStartupLabには、いくつものビデオ関連スタートアップと出会うことができた。Huddlyもこのインキュベータ内の一角を拠点にしている。

StartupLabでは、映画鑑賞ヘッドセットを開発する若い学生チームMovieMaskにも出会った。見た目はVRヘッドセットのようにも見えるが、彼らは3Dではなく2Dの映画鑑賞エクスペリエンスを提供する。彼らが開発した特許取得済みのレンズシステムが搭載されており、ユーザーは自分のスマートフォンをセットすれば、スマートフォンの4倍の解像度の映像を楽しむことができるという。

時代のトレンドはVRだが、彼らはあえて2Dにこだわった。「映画好きの人が移動中でも気軽に高画質の映画鑑賞を楽しめる」というコンセプトを掲げ、ニッチなマーケットを狙う。

北欧最大の独立研究機関 Sintef からスピンオフ、「人間の目」に代わる3Dカメラを開発する Zivid

3DカメラZividのプロトタイプのデモ

StartupLabで出会ったもう一つのビデオ関連スタートアップは、Zividだ。フルカラーで高解像度、リアルタイムに映像を映す3Dカメラを開発しているチームだ。彼らは、ノルウェー北西部のトロンハイムにある北欧最大規模の応用研究機関Sintefからスピンオフしたチームだ。

数年前まで、Sintef内でのプロジェクトで3Dカメラのプロトタイプ作りに取り組んでいた。転機となったのは、ドイツのシュトゥットガルトの展示会「VISION」でプロトタイプの3Dカメラを展示したときだった。参加者から多くの注目を浴び、マーケットのニーズが大きいことを実感したと、CEOでありコーファウンダーのヘンリック・シューマンオルセン氏はいう。シュトゥットガルトから戻ったシューマンオルセン氏は、製品化を急ぐべきだと上司に訴えた。

その後、Sintefが作ったベンチャーファンドからの出資を受けたり、国内の連続起業家のサポートなども受けて、開発の速度を上げ、2018年リリースをした。

製品の3Dカメラは「人間の目」の代わりとして、さまざまなユースケースに対応できることが強みであるという。工場でロボットがオブジェクトをつかむ、設備の状態を点検するなど、従来人間の目が対応していた役割を担うことができる。

現在は、Sintefからスピンオフし、会社として独立している。Sintefは株式の一部を保有するのみで、Zividが技術と特許を所有する。Sintefから留まるように説得されなかったのかと聞くと、長期的な視野に立って、スタートアップを生み出すことはSintefの戦略の一つであるとのことだった。彼らにとっても、スピーディーに事業を進めていく上では、独立した方が動きやすいというメリットがあった。また、StartupLabでは、同じようなマインドセットの起業家にも会えるし、彼らとさまざまな情報交換ができることはとてもありがたいという。

グローバル展開は「当然」、多様性を強みに世界の人材を惹きつける

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クイズアプリを開発するKahoot! のオスロ本社 (筆者撮影)

ノルウェーのスタートアップのもう一つの強みは、国外への展開は当然と考えるマインドセットがあること、そして国外の人材も惹きつけている点だ。ノルウェーは人口520万と、自国のマーケットが限られるため、国外への展開に積極的であるのはスタートアップだけではなく、国内の産業界に共通する姿勢であるともいえる。国民の平均的な英語能力もとても高い。

クイズアプリを開発するKahoot!は、そもそも最初からノルウェーの市場ではなく、米国市場をターゲットにして急速に成長しているスタートアップだ。簡単に4択クイズを作成し、グループでクイズをすることができるアプリを開発する。米オースティンのフェスティバルSXSWでのローンチで大きな注目を浴び、これがきっかけで米国でのユーザーが急増した。

Kahoot!の主な利用者は学校教師だ。教師が設定したクイズは生徒のモバイル端末上に表示され、生徒は回答を選択する。メインのスクリーンにはそれぞれの回答に生徒の名前が表示され、正解率のランキングも表示される。ポップな音楽効果もあって、ゲーム感覚で楽しめる点が人気の理由なのだとKahoot!の担当者は教えてくれた。現在、月間3000万ものユーザーがKahoot!を利用しているという。学校で使う分には無料だが、今後は法人顧客のバージョンを広めることで収益を作っていきたいとのことだった。

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StartupLabのオフィスの壁に飾られる、卒業したスタートアップたち。Kahoot!のように最初から国外市場で成長する例はまだ少ないものの、国外展開は当然と考え、早い段階で国外展開を加速するスタートアップは多い。

また、組織としても国外の優秀な人材を惹きつけており、それがグローバル展開は当然という考えにもつながっている。インキュベーターのStartupLabには、80近くのチームが入居しているが、その200名を超えるメンバーの国籍は60カ国を超える。

優秀な人材を惹きつけられる理由の一つは、技術的なチャレンジの大きさだ。スマートウェブカメラHuddlyや3DカメラZividのように、最先端の技術を使って世界で勝てるプロダクトづくりに取り組んでいるチームは、それだけ「野心的な」人材を惹きつけることができるのだ。一般的にエンジニア不足で悩むスタートアップは多いが、人材の獲得には困っていないとオスロで出会った何社ものスタートアップがコメントしていたのは、非常に印象に残った。

国内の産業構造の変化とともに、ノルウェーのスタートアップシーンは急速に勢いを増している。変化に強く、未来を築くために前向きな彼らの姿勢から日本も学べることが多いのではないだろうか?

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