してあげる、ではなく私自身のためにする。「やさしい日本語」に学ぶ多様性を育む方法

してあげる、ではなく私自身のためにする。「やさしい日本語」に学ぶ多様性を育む方法
文:森田 大理 写真:須古 恵

多様な人材が参加し、活躍する組織には何が必要なのか。「やさしい日本語」研究を手掛ける一橋大学 庵功雄教授に、バックグラウンドが異なる人々と共生・共創していくための秘訣を聞く

「たいふう19ごう は おおきくて とても つよいです。 き を つけて ください」

2019年10月、NHKの公式アカウントがSNSでこう呼びかけたことが話題となった。これは、日本語を母語とする人たち(日本語母語話者)が標準的に使用する言葉よりも文法や単語をシンプルにした「やさしい日本語」。外国人(以下、「非日本語母語話者」の意味でこの表現を用いる)に分かりやすいのはもちろん、日本人にとっても外国語より扱いやすく、言語的背景の異なる人たちが一つの社会で共生していくために有効なアプローチだと言えるだろう。

このような、違いを埋めるために活用される「やさしい日本語」は、企業が取り組むダイバーシティ&インクルージョンの施策とも共通点が感じられる。「やさしい日本語」の普及の道のりには、言語的背景の違いに限らず、国籍・性別・年齢などを問わず多様な人材が活躍するためのヒントがあるのではないか。そこで今回は、「やさしい日本語」研究を牽引する一橋大学国際教育センターの庵功雄(いおり・いさお)教授にインタビュー。「やさしい日本語」の歴史や活用のポイントから、企業が多様性を実現するためのコツを探った。

情報伝達手段としてだけではなく、社会に参加するための共通言語として

「やさしい日本語」が社会で活用される契機となったのは、1995年の阪神淡路大震災。

当時、公共の情報発信は多言語対応がされておらず、英語の案内すらほとんどなかった。そのため、日本語を習熟していない人々には命に関わる情報が十分に届かず、逃げ遅れた人もいれば、避難所はどこか、水や食糧はどこに行けば手に入るのかと困り果てた人もいたという。「やさしい日本語」はこうした出来事を教訓に、「緊急時に安全を守るための情報を多くの人に伝える手段」としてはじまったものだ。

一方、庵先生のグループが約15年にわたって研究しているのは、緊急時というよりは日常のコミュニケーション手段としての「やさしい日本語」だという。庵先生は、日本に定住している外国人が日常生活の様々なシーンで情報を理解できないことにより、機会を逃していると指摘する。

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「例えば役所で手続きをする際の書類やお知らせに書いてある日本語が難解で、公的サービスを受けることをあきらめてしまう。保育園や小学校から受け取る保護者向けの手紙が読めないため、学校生活に必要な準備をしてあげられない。業務マニュアルや上司の指示が十分に理解できず、仕事で評価されにくい。こうした状況を改善していくには、外国語に対応していくのも一つの手段ですが、日本語を理解しやすいものにすることも重要だと考えました」

外国語に対応して解決するのではなく、日本語をやさしくすべきというのには理由もある。ひとつは彼/彼女ら日本に定住する外国人は195もの国・地域から来ていること(※1)。また、在留外国人を対象にした調査によると、彼/彼女らが日常生活に困らない言語は英語44%に対して、日本語は62.6%(※2)だった。

観光やビジネス目的の一時的な来日はともかく、勉強や就業のために定住している外国人であれば、少なくとも簡単な日本語表現は習得している人が多いということだろう。また、庵先生は「やさしい日本語」の必要性を、「外国人に情報が伝わること以上に、外国人が日本語で発信できるようにするため」だと語る。

「自分が外国人の立場になって想像してみてください。もし日本で生まれ育った人が海外に定住するとして、どういう心理状態になったらその土地を自分の居場所だと感じられ、安心して生活できるでしょうか。少なくとも自分の言いたいことが伝わらない状態では社会に受け入れられた実感が持てず、何年経っても安心はできないはず。文法的バリエーションが豊富でなくても、発音になまりがあっても良い、『AはBです』のような単純な文をつないでいくだけでもいいんです。日本社会で暮らす誰もが分かる言葉で自分の意思を表現でき、周囲から受け入れられることが大切。それは多様な人々の社会参加を促すために必要なことです」

※1:出入国在留管理庁「令和元年末現在における在留外国人数について(2020年3月)」より
※2:出入国在留管理庁 文化庁「在留支援のための優しい日本語ガイドライン(2020年8月)」より

外国人=「やさしい日本語」は必ずしも正解ではない

では、一般の日本語と「やさしい日本語」は具体的に何が違うのだろう。日本語母語話者からすれば、細かな文法や文章の構造を意識せずに使っているため、何をどう変えれば「やさしい日本語」になるのか、分かりにくい側面もある。

しかし、現在庵先生は「やさしい日本語」を敢えて明確に定義していない。「文を短く区切る」「主語を省略しない」など、意識すべきポイントはあるそうだが、「やさしい日本語」の条件をはっきりと決めないのは、ルールやテクニック以前に大切なことがあるからだ。

「自分の話を相手が理解できているか随時確かめることや、理解度に合わせて表現を調整することが大切なんです。なぜなら『こうすれば100%相手に伝わる』ものなどないからです。第一、外国人といっても日本語能力は人それぞれで、簡単なあいさつレベルの人もいれば、日本語母語話者よりも流ちょうに日本語を使いこなせる人だっています。外国人には必ず『やさしい日本語』を使いましょうということでもありません」

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一方的な情報発信や相手の日本語能力を決めつけることなく、相手を理解しようとすること。これは、なにも外国人とのやり取りに限った話ではないだろう。日本語母語話者同士のコミュニケーションでも、時として説明不足や誤解は生じる。立場の違う人同士のやり取りほど起こりやすく、これは組織でダイバーシティ&インクルージョンを推進する難しさのひとつだ。

そうした意味で、私たちが「やさしい日本語」を使って日本以外のバックグラウンドを持つ人と向き合うことは、当たり前を見直すことや説得力を鍛える機会にもなると、庵先生は語る。

「例えば、日本の学校で見かける『校舎内では上履きに履き替える』というルール。多くの保護者や生徒は“そういうもの”と従っていますが、文化的背景が異なる生徒・保護者にはルールだからと言うだけでは理解してもらいにくいものです。『土足だと校舎が汚れるから』でも説明不足。土足で汚れるのは他の国でも同じですから、『なぜ日本では土足で校舎に入ってはいけないとされるのか』をきちんと説明する必要があるでしょう。

このように、社会や組織の常識を知る者同士であれば疑問に思わないことでも、その常識を共有していない人に納得してもらうには、本質的な意味まで掘り下げて伝えていくことが必要。そうすることが今の常識を絶対視しない発想をもたらし、良いものは残し、時代に合わないものは見直すきっかけにもなります」

また、庵先生は文化的背景の異なる相手とのコミュニケーションは、ビジネス上の商談と似ているとも言う。

「商談は、一方的に商品の良さを伝えるのではなく、相手にとってどんな価値やメリットがあるのかを伝えるのが大事ですよね。『やさしい日本語』によるコミュニケーションで大切なことは、ビジネスで求められることとも似ています。一般のコミュニケーションにも共通することだと思います」

人は誰しもマイノリティになりえるという視点を持てるか

相手に伝わるためには技術よりもマインドが大切だと語る庵先生。「やさしい日本語」の根底に流れるものは何も特別なことではなく、私たちが様々な人の属性にあわせて実践していることと変わりはないのだ。

「耳が遠いお年寄りに、大きな声で話しかける。小さな子どもに理解できるように、言い換える。『やさしい日本語』のポイントと同じことを、私たちは日常で自然にやっています。なぜ私たちがそんな行動を取るのかと言えば、相手と関わりたいという想いや、伝えたいことがあるからです。

“やってあげる”のではなく、“私が知りたい・伝えたいからやる”のです。もし社会や組織で多様性が進んでいないのであれば、彼/彼女らがコミュニティに参加する必要があるという認識はあっても、自分ごとになるまで捉えられていない人が多いからかもしれません。あなたがいないと困る、あなたに関わってほしいという気持ちがなく、形だけ配慮しても上手くいかないはずです」

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『「やさしい日本語」で話してみよう!』(公益財団法人栃木県国際交流協会)より

“やってあげる”の発想は他人事の状態。“困っている人を助けよう”も“誰もが生きやすい社会にしよう”も真っ当な意見だが、きれいごとだけで多文化共生の実現は難しい。ただ、そう分かってはいても、これまで関わってこなかった人々を社会や組織の一員として心から受け入れるのは、一筋縄ではいかないのが現実だ。だからこそ庵先生は、多数派の人々が、少数派の人々と共に生きる意義があると納得してもらう必要があると言う。

「例えば日本が近年積極的に外国人を受け入れているのは、少子高齢化による労働人口の減少が影響していると多くの人が理解していると思います。しかし、もう一歩踏み込んで考えてみてください。人口の減少は税収や需要の低下を意味します。つまり、定住外国人には、単なる労働力の提供者としてではなく、納税者としても消費者としても日本社会に参加してもらう必要があるのです。彼/彼女らに日本に根差して長期的に就業・生活し社会の一員になってもらうことは、巡り巡って日本で暮らす自分自身の未来にも良い影響があるのだと理解してほしいと思います」

相手のためだけでなく、自分自身のためにやる。庵先生が多数派の人々にその意識を持ってほしいと語るのには、もう一つ理由がある。それは、人は誰しもがマイノリティになりえるからだ。

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「例えば、建物や施設のバリアフリー化は障がい者のためだと考えると、健常者には関係のないもののように思えます。しかし、誰にでも事故や病気で歩行が困難になることや、年を取って身体能力が低下することが起こりうる。今のマイノリティのためではなく、自分も将来マイノリティになるかもしれないと考えることが必要ではないでしょうか。

その意味では、言葉も同じです。もしある日突然海外で働くことになって、母語話者と同じように発音できないだけで自分の仕事の能力を否定されたり、難しい言い回しやスピードで話についていけないことを馬鹿にされたりしたらどう感じるでしょう。いつか自分も同じ立場になるかもしれないと未来を想像して行動できるか。それがダイバーシティを推進するために必要な観点だと私は思います」

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

庵 功雄(いおり・いさお)

1967年大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。大阪大学助手、一橋大学講師、准教授を経て、現在一橋大学国際教育交流センター教授。専門は日本語教育、日本語学。

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