「市場が狭い」は思い込み?世界で勝負する前掛け専門店に学ぶ、新たな需要のつくり方

「市場が狭い」は思い込み?世界で勝負する前掛け専門店に学ぶ、新たな需要のつくり方
文:森田 大理 写真:須古 恵

日本で消えつつあった仕事着「前掛け」の需要を掘り起こし、国内外で人気に。ハリウッド映画にも商品が登場した前掛け専門店エニシングの道のりから、昔ながらの商材で事業を持続させる秘訣を学ぶ

誕生は室町時代と言われ、酒屋・米屋・八百屋など商売人の仕事着として広く日本で普及した「前掛け」。日本一の前掛けの生産地、愛知県豊橋では、戦後の最盛期に1日1万枚出荷していた時期もあった。しかし、時代とともに仕事着は洋式のエプロンやユニフォームへと変わり、生産は低迷。そんな消えてしまいかねなかった前掛けを、あえて専門に取り扱う会社がある。

有限会社エニシング。同社が手掛ける日本伝統の「帆前掛け」は、日本国内のみならず世界で愛用者が増えている。2021年に世界公開された映画『007ノー・タイム・トゥ・ダイ』では、エニシングの前掛けが登場人物の衣装として採用され話題となった。また、リクルートの2つのギャラリーで開催中の展覧会、Creation Project 2021 144人のクリエイターと豊橋の職人がつくる「百年前掛け」では、製作を担当している。同社はなぜ一見すると先がないようにも思える商材に目を付け、どのようにマーケットを広げていったのだろうか。いわゆるプロダクトライフサイクルの衰退期で活路を見出すヒントとして、代表の西村和弘さんに話を聞いた。

前掛けはTシャツよりもブルーオーシャン

西村さんがエニシングを立ち上げたのは2000年。創業当初はTシャツの販売からスタートしている。それ以前は食品会社に5年間勤務。前掛けとは全く無縁だった経歴だが、扱う商材は変われど一貫して目指してきたことがある。それが、後に前掛け専門店へと発展することにもつながっているそうだ。

「大学3年生のときにアメリカへ留学した経験から、日本をもっと世界に広める仕事がしたいと考え、就職や起業をしてきました。人の生活に身近な衣食住のどれかで働こうと決めて、就職は食品会社へ。独立するときも飲食店をはじめる選択肢も考えていました。けれど、経営者の先輩方から『初期投資の大きなビジネスにいきなりチャレンジするのではなく、まずは小さく始めなさい』とアドバイスされて。それで始めたのが漢字をプリントしたTシャツの販売でした。Tシャツは世界中で着られているし、“日本を宣伝するメディア”になるなと考えたんです」

そこから、漢字Tシャツの延長線で他のアイテムも扱うことに。漢字をプリントした帽子など、7つほどあったアイテムのうち一つに、たまたま前掛けをセレクトしたことがエニシングの運命を変えることになる。

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「はじめは、月10枚売れるかどうかという程度でした。それが、段々と大口の注文が入ってくるようになって。そこで問屋に発注したものの、『前掛けなんて大量に仕入れるものじゃないし、次の入荷も未定』と言われたんです。でも、エニシングから前掛けを買ってくれるお客様がいたのは事実。酒蔵など昔ながらの場所で使われるのはもちろん、ビリヤードの滑り止めチョークで服が汚れないように前掛けを使う人もいる。地面に膝をついて写真を撮るために購入されたフォトグラファーもいる。少ないながらも確かにニーズはあったんです。だから、生産者に直接あたってみることにしました」

愛知県豊橋市が前掛けの主要な生産地であることを突き止めた西村さん。現地を訪れ、60~70代の職人たちが細々と生産している現状を目の当たりにする。自己紹介をすると、エニシングがオーダーしていた前掛けはすべてこの地でつくられていたことも判明。しかし、意気投合できるかと思いきや、職人たちの反応は意外なものだった。

「これ以上足を突っ込むのはやめておきなさいと諭されたんです。『足袋が靴下に、畳がフローリングになったのと同じ。前掛けなんて売れる時代じゃない。次の世代にも迷惑がかかるから、俺たちの代でもう終わりにしたい』と、言われました。
でも、帰りの新幹線で同行してくれた社員とこんな話をしたんです。『俺らが前掛けをたくさん売ったら、職人さんたちは続けてくれるかもしれない。だったらやる意味があるんじゃないか』って。それにニーズがあることは分かっていたし、自分たち以外にプレイヤーはほぼいない。こんなブルーオーシャンは他にないんじゃないかとも思ったんですよね」

企業の販促品だった前掛けを、高品質な商品として現代に復活

豊橋を訪れた翌日から早速「前掛け専門店」を名乗り始めたエニシング。販売戦略において西村さんが注目をしたのは、贈り物などの個人需要だ。それは、戦後の最盛期に主流だった前掛けの需要とは大きく異なるという。

「昭和の前掛けは、飲料メーカーなどが販促品として大量生産して全国に広がったものです。そのため、なるべくコストをかけずに大量につくることが求められていた。でも、エニシングに来ていたオーダーは、開業のお祝いとしてつくったり、娘さんからお父さんへの記念日のプレゼントにされたりと、『世界に一枚、心のこもった贈り物がしたい』という熱量の高い注文が中心。だったら、個人向けに質の良い商品をつくることが私たちの進むべき方向性だと考えました」

取引先向けの販促品(BtoB)として大量生産されるものだった前掛けに、贈答品や個人の愛用品(BtoC)としてのニーズがあると気づいたこと。これが大きな起点となった。売る相手が変われば、力の入れどころも変わる。そこで西村さんが注力したのは、分厚く丈夫でやわらかい生地を使った「一号前掛け」を蘇らせることだったという。時代の流れと共に生産されなくなった商品の復活だった。

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Creation Project 2021 144人のクリエイターと豊橋の職人がつくる「百年前掛け」展より。一号前掛け生地を使った作品を実際に手に取って見ることができる。(2022年1月22日まで開催中)

「とにかくコストを下げることばかりを求められた結果、前掛けの生地はどんどん薄くなっていった経緯があります。そのため、昔を知る高齢のお客様から『生地がペラペラだね』『昔の方が良かった』と言われたこともありました。百貨店のバイヤーさんから『うちで扱えるクオリティではない』と断られ、悔しい想いをしたこともあります。だからこそ、生地や染めや腰に巻く紐を繰り返し改良して、品質を上げることにこだわり続けた。その一つの到達点が一号前掛けの復活でした」

良いものをつくるには、作り手である職人の協力が必要不可欠。はじめは後ろ向きだった職人たちのもとに足しげく通い、信頼関係を築いていった。また、生産の現場から出たことがなかった彼らを展示会などに連れ出し、前掛けを手に取る顧客の声を聞かせたこともアプローチの一つ。次第に職人たちの本気度も上がっていき、30年間生産が途絶えていた一号前掛けを復活させることに成功する。

「ある展示会にふらっと訪れた人が、一号前掛けを手に取ってこうおっしゃったんです。『こんなに分厚くて柔らかい生地を仕立てられるなんて、すごいですね』と。後から知ったのですが、着物の著名な先生でした。また、トートバックなどを扱う帆布のバイヤーさんから『こんな生地見たことない』と褒めてもらったことも。その道のプロに認めてもらえたことも、エニシングの戦略に手応えを感じさせてくれました」

「Made in Japan」だけでは、海外で成功できない

エニシングは、BtoBの商材をBtoC向けに転換させただけではない。西村さんが兼ねてより志してきた、「日本を世界に広める」というビジョンのもと世界展開にチャレンジ。新たなユーザーの獲得に尽力してきた。

最初に降り立ったのはニューヨーク。2007年から飛び込みの営業活動を開始し、年に一度は現地の展示会にも参加した。しかし、海外戦略は当初から順調だったわけではない。

「物の良さは認めてくれるんです。あるときは豊橋の職人さんをニューヨークに連れて行って、“日本の職人がものづくりのこだわりを語るトークショー”を開催。そうしたら、持って行った前掛けがその場で完売し、職人さんの前には握手を求める行列ができたほどでした。でも、そこから先がなかなかつながらなかった。“にぎやかし”で終わってしまうことが多く、本格的なビジネスに発展させることに苦戦しました」

転機となったのは、2015年。アメリカからヨーロッパへとターゲットを移したことだ。

「ロンドンのラーメンレストランを手掛けたデザイナーさんからアドバイスをもらったんです。『エニシングの前掛けはヨーロッパの方がうける。一度ロンドンの展示会に出てみた方が良い』。そう言われて、試しに雑貨の展示会に出ました。すると、ショップオーナーさんからの問合せが続々と入ったんです。ヨーロッパは、規模は小さくてもこだわり抜いた商品を置く雑貨屋が多い。ちょうど日本で個人経営のオーナーさんがエニシングの前掛けを気に入ってくれるのと似ています。手間暇かけた良いものを扱いたい。そうした想いが一致したのかもしれません」

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実は、映画『007』の衣装にエニシングの前掛けが使われたのも、ロンドンの雑貨店で扱っていたことが縁なのだという。ロンドンで手応えを感じ、次はパリへも展開。参加資格が厳しいことでも知られる世界最高峰の見本市「メゾン・エ・オブジェ」に、2020年から2年連続で出店している。こうしたチャレンジの中で、世界レベルのコンサルタントやマーケターとも出会い、様々な学びを得ていったという西村さん。日本の前掛けが海外で戦うには、何が大切だったのだろうか。

「現地の人たちが何を考え、どう生活しているのかを知り尽くすこと。『Made in Japan』に甘えてはいけないということです。彼らは前かけを『日本製だから』買っているわけでもなければ、日本文化を心から愛して買っている人だけでもありません。日本にいる私たちだってワインを飲みながらパスタを食べているときに、常にイタリアを感じたりしませんよね。美味しいから買う、実用的だから買う、生活に溶け込むから買うのです。

だからこそユーザーを知るためにみなさんの声に耳を傾ける。これがシンプルだけど一番重要です。かつてエニシングが前掛け専門店になったときに、小売店の売り場に足を運びお客様の反応を観察していたときと何も変わりません」

新しい需要をつくり続けることが、事業の持続可能性を高める

このように、エニシングは需要が縮小していた商品をあえて復活させ、新たなファンを獲得することに成功している。他方、世の中を見渡せば、既存事業が苦戦を強いられる中で新たな商品・サービスの開発に取り組む動きも多い。変化の激しい時代を生き抜くためには、どのような道を進むべきなのだろう。

「最近ではSDGsやDXのように、時代を象徴するキーワードが次々と登場していますよね。もちろん大切なことだとは思います。でも、あれこれと“形だけ”手を出すくらいなら、やること・やらないことの線を引き、本当に自社に必要なことだけに絞っても良いのではないでしょうか。エニシングにとってはそれが前掛けでした。

前掛け用の生地である帆布を使えば様々な製品がつくれますが、あまり手広く展開するのではなく、私たちはあくまでも前掛けに注力。まだ世の中には、前掛けを使ったことがない人も買ったことがない人もたくさんいるからです。かの有名なピーター・ドラッカーが『事業の目的は顧客を創造すること』と言ったように、前掛けの新たな需要をつくることがエニシングの存在意義だと思っています」

自分たちで創造した需要に対応すべく、2019年には豊橋に自社工場「エニシング前掛けファクトリー」を設立。現在はメーカーとしての機能も保有している。西村さんたちが復活させた一号前掛けは、過去30年間生産されていなかったからこそ現代では使われなくなった技術も多数活用されているのも特徴だ。たとえば、生地を織る織機は100年前のもの。事業を発展・継続させるうえで古いものに頼り続けることはリスクではないのだろうか。

「壊れたら買い変えるのではなく、壊れないように日々丁寧にメンテナンスをするのです。そうすれば現行の織機は向こう100年使えると専門家から助言いただきました。これは、日本の大工さんが道具を手入れしながら長く使い続けてきたことと同じです。今あるものを修理しながら使い続けるという昔ながらの発想は、むしろ今で言うサステナブルなのではないでしょうか」

また、古くからの商材で事業を続けるために、道具だけでなく職人の後継者育成にも心血を注ぐ。西村さんがはじめて豊橋を訊ねたとき、職人は60~70代だったが、いま自社工場で製造に携わるスタッフは20~40代。若手が技術を継承しているのだ。

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「彼らがこの仕事をしたいと思ってくれるのも、すべては前掛けの需要があるから。良いものをつくればしっかりと評価されるという土壌があるから、頑張り続けられると実感しています。だからこそ、私はこれからも新しい需要を創造し続けなければいけません。直近ではパリに拠点を立ち上げ、海外展開を更に進める予定です。そして、日本酒が“SAKE”として世界に広まったように、いつの日か“MAEKAKE”が世界の共通語として認知されるようにしたいですね」

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

西村 和弘(にしむら・かずひろ)

1973年広島出身。中央大学在学中に1年のアメリカ留学を経験。大学卒業後、江崎グリコ株式会社に入社、5年間の勤務を経て、エニシングを起業。2005年、日本伝統の仕事着「前掛け」の販売を開始し、国内外で販路を拡大。2019年、前掛けの産地、愛知県豊橋に新工場をオープン。現在は、年間10万枚の前掛けの製造販売を行い、イギリス大英博物館やニューヨークMOMAミュージアムなど世界30か国へ販売。2021年、映画007最新作にも登場。

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