営業しない。口を出さない。気にしない。富山の鋳物メーカー能作の「しない」経営

営業しない。口を出さない。気にしない。富山の鋳物メーカー能作の「しない」経営
文:森田 大理 写真:須古 恵

地方の下請け工場が、世界で注目されるブランドへ。100年以上続く鋳物メーカーの4代目社長に、事業変革の秘訣を訊く

中小企業庁によると、日本の企業数は長らく減少傾向が続いている。この現状は、企業の99.7%を占めると言われる、中小企業の動向が大きく影響しているのは間違いない。特に全国各地で地域の伝統作業を担う企業は、需要の減少や後継者不足など課題が山積みであるところも少なくないのではないか。
そんな中、富山県第二の都市である高岡市に、全国の中小企業経営者から注目されている企業がある。株式会社能作だ。もともと地域で長く続く鋳物(いもの)産業の担い手であり、かつては地域に多数存在する“下請け工場”の一つだった。しかし、現社長である能作克治(のうさく・かつじ)さんの代で大胆な事業変革を遂行。現在ではセレクトショップや大手百貨店などにも出店するようなブランドに変貌を遂げている。現在の姿に至るまで、能作はどのように変化を重ねてきたのか、高岡市の本社工場で話を聞いた。

「勉強せんかったら、この仕事よ」。地元の人からの一言が悔しくて

大正5年(1916年)創業。富山県高岡市に本社を構えるのが、能作だ。高岡は、銅器づくりで国内シェア90%を占める鋳物づくりの町。慶長16年(1611年)に加賀藩主前田利長が鋳物師(いもじ=鋳物の職人)をこの地に招いて以来の伝統産業だ。能作も、創業時より仏具・茶道具・花器など金属加工品の製造に力を入れてきた。それが2000年代に入り、自社ブランド製品の開発に乗り出し、インテリア用品やテーブルウェアをつくるように。錫(すず)100%の「曲がる食器」など、斬新なアイデアを次々に打ち出したのが、4代目社長である能作克治さんだ。

実は、克治さん自身は創業家である能作の生まれではない。福井出身で大阪の大学に進み、卒業後は大手新聞社に就職。結婚を機に妻の実家の家業である能作の仕事をはじめたという経緯がある。最初は周囲からよそもの扱いもされたという克治さん。しかし、自身の立場を利点に感じたこともあったという。

「高岡にやってきた当初、私は地域の人たちから“旅の人”と呼ばれていました。富山弁で県外から来た人を指す“よそもの”という意味です。おまけに妻の家を継ぐためにやってきた “むこはん(お婿さん)”ですから、高岡のことも鋳物のことも良く知らないやつだと見られていた。でも、そのおかげで私も素直に周囲のみなさんに教えを乞えたし、同業の職人さんたちも私のことをライバルとすら思わず『しょうがないな…』と技術のことを教えてくれたんです」

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当時の能作は、問屋からの発注どおりに生産することが仕事のすべて。そのため、後継ぎの克治さんに期待されていたことも、鋳物製造の現場で汗を流し技術で一人前になることだった。しかし、その時代のある出来事によって、創業以来の商売を続けるだけで良いのかという想いを募らせていく。

「製造現場に入って3年くらいたった頃に、地元の女性から『子どもを連れて見学に行きたい』と連絡をいただいたんです。興味を持ってくれたことが嬉しくて、意気揚々と案内しました。でも、そこでお母さんは小学校高学年くらいの子どもにこう言ったんです。『ちゃんと勉強せんかったら、この仕事よ』って。当時はバブル全盛期。工場の仕事は3K(きつい、汚い、危険)と言われ、やりたくない仕事の象徴のように言われていました。お母さんも悪気があったわけではなく、子どもにもっと勉強してほしかっただけなのかもしれません。もし東京や大阪の遠方から来た人だったら、私もそこまで気にしなかったかもしれません。でも、二人は高岡に暮らす親子。それが心にひっかかったんです」

克治さんが感じた違和感とは、地域の人たちが地元の産業に誇りを持っていないこと。もし自分も高岡に生まれていたら、小さなころから刷り込まれ、それを当然と受け入れていたかもしれない。でも、“旅の人”として客観的に鋳物産業の素晴らしさと苦労に触れたからこそ、地域の人からの見られ方に強い憤りを感じたのだという。

工場にこもって考えるより、エンドユーザーを知るお店の意見を聞こう

人々の生活様式も変わる中で、従来通り仏具・茶道具・花器をつくるだけでは立ち行かなくなる。2002年に社長へ就任する克治さんだが、その数年前から独自に製品開発をスタートさせる。当初は工場で試行錯誤を繰り返していたが、転機となったのはインテリアや雑貨を扱うセレクトショップから声をかけられたこと。ある展示会で克治さんが作った「卓上ベル」に目が留まり、販売したいと依頼があった。

「東京を中心に10数店舗を展開する会社からの相談に驚き、取扱説明書もつくって、箱詰めして、配送業者にお願いするところまで全部自分でやりました。でも、さっぱり売れなかったんです。3ヶ月でたった30個。散々な結果でした。けれど、そこでお店の人からこう言われたんですよ。『日本では食卓でベルを鳴らす習慣がないから厳しかったのかもしれない。でも、これを風鈴にしたら売れると思うんです』って。

正直に言って、今どき風鈴なんて本当に売れるのかと半信半疑でした。というのも、伝統産業が右肩下がりなのは、日本人の生活様式や好みが和から洋へと移っていることが大きな要因。私は洋式の製品ばかり考えていましたから。でも、ダメもとでオーダーに応えてみたら、今度は3ヶ月で3,000個の大ヒットです。なるほど、工場にこもって製造に専念してきた私が1人で考えるより、実際にお店でお客様に接している人の意見を聞くべきだ。そう気づいたんです」

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左:ベル、右:風鈴(写真提供:能作)

この経験により、克治さんは「できないとは言わない」というスタンスを強めていく。能作を一躍有名にした錫100%の食器も、取引先のショップからの意見がきっかけだ。

「能作の製品を卸していた自由が丘のお店で働く店員さんから、『もっと生活に身近なモノを扱いたい。食器はつくれますか』と言われました。しかし、うちで製造するには素材が問題に。調べてみると、高岡の鋳物の主力である銅は食品衛生法上使えないことを知りました(注:使い方によっては銅の成分が溶け出し、中毒を引き起こす恐れがあるため)。じゃあステンレスはどうかとも考えたけれど、高価で加工が難しい。そこで諦めずに、もっと他にないかと辿り着いたのが錫だったんです。

調べてみると、錫100%の製品は世界中誰もやっていなかった。それもそのはず。柔らかすぎて加工しづらく、ちょっと力を入れたらすぐ曲がってしまうから扱いが難しいんです。硬くて丈夫という金属素材の常識が通用しないのが錫の特徴。それなら、いっそのこと曲げて使える食器はどうかと逆転の発想を思いつきました」

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KAGOシリーズ(写真提供:能作)

こうして辿り着いたのが、曲がる器「KAGOシリーズ」をはじめとした製品群。入れるものに合わせて形を変えられる柔軟さや、金属なのに和紙や陶器のような温もりを感じられるところが反響を呼び、その画期的デザインによって「能作ブランド」は日本全国そして世界からも注目されるようになった。

なにごとも狙った通りにはいかない。だから、目標には執着しない

このように能作が自社ブランドを確立する過程で、4代目社長となった克治さんはある経営方針を打ち出していく。それが、「しない」経営だ。能作では、売上計画や利益計画の達成ノルマを社員に課さないという、ユニークな方針を貫いている。

「だって、私自身も計画通りにものごとを進めた訳ではないですから。今の能作の製品があるのは、お客様の声を聞き、目の前で起きていること一つひとつに丁寧に向き合ってきた結果。最初から狙って辿り着いたものではないのです。だから、私は社員のみんなにも目標を強制はしない。目標に執着しすぎると、目標達成のために仕事をするようになり、自分本位の行動をはじめる。それではお客様の期待に応えられず結果も出ません。何より社員には楽しく仕事をしてほしいんです」

また、そもそも能作では、目標を追いかけないどころか営業活動をしていない。これも克治さんの「しない」経営の一つ。実はこの方針は社員のためでもあり、地域のためでもある。高岡の伝統産業に携わる全ての人たちとの共存共栄を目指しているからこその敢えての姿だ。

「私が新しいチャレンジをしてきたのは、能作が地元に愛される企業となり、ひいては鋳物産業を地域のみなさんの誇りにしたかったからです。だからこそ、自社の成長と引き換えに伝統産業を駆逐していくような破壊的な事業展開であってはいけない。私は同業の職人さんや問屋のみなさんに育ててもらったところもありますから、地域のみなさんと競争するのではなく共創をしたいんです」

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2017年に完成した新社屋。カフェ・ショップも併設し、コロナ以前は見学者は年間13万人にも上った

自社の利益よりも地元に愛されることを優先した能作では、確かに営業社員が一人もいない。しかしこの戦略のおかげで、強力な存在を味方につけている。それは高岡市をはじめとした富山県民のみなさん。地域を代表する贈り物として重宝してくれることで、能作の名を県外に広めてくれているそう。富山県出身の著名人がお中元の品に能作を選んでくれ、それを受け取ったある有名企業の経営者と縁がつながったこともあるそうだ。

辛いことはしなくてもいい。でも「なにもしない」はダメ

社長就任から約20年で社員数は15倍、売上は10倍に。注目の成長企業として各種メディアでも取り上げられるようになった。男女問わず就職を希望する若者も増えており、克治さんがかつて願ったように、能作は地域に誇れるような会社へと確実に変貌を遂げている。

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子ども時代に見学に訪れた若者が大人になって就職を希望するケースも増えている

しかし自身に大きな成功体験があるからといって、あれこれと細かく指導するような教育をしないのも克治さん流。5代目の社長に就任予定の長女 能作千春さんは、現在専務取締役として新規サービスや組織改革を手掛けているが、克治さんは千春さんの取り組みにあまり口を出すつもりがないという。

「娘は娘で、産業観光に力を入れたり、結婚10年目が“錫婚式(すずこんしき)”と呼ばれることに目を付けアニバーサリー事業を立ち上げたり、SNSマーケティングをはじめたり…。私とはまた違う挑戦をしています。時代もどんどん変わっていきますから、彼女のチャレンジに私の感覚で口出しをしてもしょうがない。むしろ自律的にやらせた方が人は育つものですし、私がそうしたように、自由に挑戦した結果として事業の形が変わっていくのは当然のことだと思っています」

ノルマもなければ、口うるさく言われない。能作は社員の立場から見れば夢のような環境にも思えるかもしれない。克治さん自身も「辛い仕事なんて誰もやりたくないでしょ?」とおおらかに語る。しかし、能作が掲げる「しない経営」の本質は、社員が楽をすることではない。克治さんが掲げる沢山の「しない」は「(自社都合で)できないと言わない」ためだ。自分に限界を設けず自律的に動き続けるのは、言われたことに従うだけの仕事よりもよっぽど難しい。

「能作でやってはいけない“しない”は、“何もしない”ことです。現状維持に甘んじることや、失敗を恐れて挑戦しない状態では何も生まれない。もちろん、私も試行錯誤の中で小さな失敗はいくつもしてきましたよ。でも、イチイチ気にしない性格なので、忘れちゃいました(笑)。むしろ、無駄かもしれないと思ったものにも飛びついてみるようにしていますね。例えば、キャラクターとのコラボ製品。当初は能作のメインターゲットと趣味が合わず、ブランド毀損のリスクの方が大きい気もしていたんです。でも、一度試してみると従来とは異なる層にも能作を知ってもらう良い機会になった。こんなこともあるからこそ多少のリスクは覚悟の上でやってみた方が良い。失敗してもくよくよ気にせず、全ての出来事を機会と捉えてやってみる。その積み重ねがやがて良い結果に導いてくれると信じています」

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プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

能作 克治(のうさく・かつじ)

1958年福井県生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。大手新聞社のカメラマンを経て、1984年能作入社。2002年同社代表取締役社長に就任。世界初の「錫100%」の鋳物製造を開始。「曲がる食器」など独自の製品群が大手百貨店や各界のデザイナーなどから高く評価される。第1回「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」審査委員会特別賞、第1回「三井ゴールデン匠賞」グランプリ、日本鋳造工学会 第1回Castings of the Year などを受賞。

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