「青春時代がコロナ禍でかわいそう」とは言わないで。18歳の映画監督が語る、私が映画を撮ったわけ
全編スマートフォンで撮影した初監督作品が、映画祭で招待上映。高校生映画監督 村田夕奈さんの活動からZ世代ならではの価値観を学ぶ
1990年代中盤以降生まれの「Z世代」が、いよいよ社会で活躍をはじめている。彼らはどんな社会背景を持って育ち、どのような価値観を持っているのだろうか。今回話を聞いたのは、映画監督の村田夕奈さん。今春の大学進学を控えた現役高校生で、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられて以降、18歳で成人となった初めての世代でもある。
村田さんは、高校2年時に初監督作品「可惜夜(あたらよ)」を制作。演者やスタッフは同級生に声を掛けて集め、撮影は全編スマートフォンという手法でつくられた同作品は、映画祭「MOOSIC LAB(ムージック・ラボ)2023」で特別招待上映されるなど、注目を集めている。現役高校生がなぜ映画を撮ろうと思ったのか、またどのように実現していったのだろうか。村田さんの活動や想いを紐解きながら、現代若者の価値観や強みを探った。
1年で映画を230本鑑賞できたのは、インターネットとSNSのおかげ
── 村田さんが映画監督を志した原点について教えてください。
もともとはテレビドラマが大好きだったんです。幼稚園の頃から母の隣で一緒に観ていたくらい。小学校でも、友だちと昨日観たドラマについて感想を話したり、好きなドラマの台詞を書き起こして“ドラマごっこ”をしたりするような子どもでした。ドラマ本編だけでなく、NGシーンなどメイキングを放送する特番も大好きで。そこに映し出された制作現場の様子を観て、つくる側に行きたいという気持ちが芽生えました。でも、その頃は監督ではなく役者志望だったんです。というのも、未成年がつくる側に行ける手段が、当時の私には役者くらいしか思いつかなかった。私、芦田愛菜ちゃん・鈴木福くんと同学年なんですよ。同じ歳の2人が小さいころからテレビの中で活躍しているのを観てきたこともあって、私も観る側ではなく“向こう側”に行きたいと思えたのかもしれません。
── 役者志望から、なぜ映画監督に?
中学2年で東京の芸能事務所に入り、残りの中学生活は研修期間を過ごしていました。でも高校進学直前の2020年にコロナ禍がはじまってしまい、群馬で暮らしている私はレッスンやオーディションなどで東京に行くことができず、思うように活動できませんでした。私はそれが悔しくて。芸能もそれ以前の習い事も、振り返ってみると全部中途半端で自分が満足できるレベルに到達していない。自分に自信が持てないから、役者の夢も堂々とは友だちに話せなくて、そんな自分がまた嫌いで…。だから、何かこだわってやり抜きたいなと思い、沢山映画を見て勉強することを目標に立てたんです。
── 1年間で230本もの映画を鑑賞されたそうですね。これだけの本数を観るのは相当のモチベーションがないと難しいでしょうし、何を観るか選ぶのも大変ではなかったですか。
もともとはYouTubeチャンネルの「シネマンション」にハマったおかげでもあるんですよ。動画内やコメント欄に知らない作品や監督の名前が並んでいて、話についていけないことが悔しかったんです。この界隈のなかで自分も楽しく会話ができるようになりたい。映画を漁るようになったのはそんな想いもあってのことです。モチベーションの維持は、SNSのおかげですね。鑑賞記録をつける感覚で、Instagramのストーリーに映画の感想を上げていたら、徐々にコメントがつくようになって。私のチャレンジを見てくれている人がいると思ったら、モチベーションが湧いてきました。
そうやって映画の知識をつけてから、オンライン上で映画ファンのコミュニティに参加してみたら、思ったよりも楽しくお話ができた。それがきっかけで次第に映画関係者が集まるような会にも参加するようになりました。すると、みなさんと話をするうちに業界の厳しい現状も分かってきたんです。以前から業界の将来を危ぶむ声は多かったうえに、コロナで大打撃。映画文化を守っていくにはどうすべきかという議論を聞くうちに、私も作り手として少しでも貢献したい思いが強くなっていきました。
校則NGの突破とチームの団結がなければ、映画は実現できなかった
── では、監督した作品「可惜夜」の制作はどのようにはじまったのでしょうか。
いきなり映画をつくろうと行動できたわけじゃないんです。私が映画好きなのはInstagramでつながっている人ならストーリーを観てなんとなく知っているし、仲の良い友達には「映画撮りたいなあ」って話すこともあったんですけど、あと一歩踏み出す勇気がなかった。そんなある日、放課後の教室で友達の誕生日をお祝いしたことがあって、その様子を撮った動画をつないでCM風に編集したものを見せたら、みんながすごく面白がってくれて。「どうせなら遊びじゃなくて、コンクールに出せるやつを撮りなよ」と勧めてくれた。友達が背中を押してくれたことで、動き出したんです。
── 今の10代は身近にYouTubeやInstagram、TikTokがありますし、動画を撮ること自体は日常にありふれているとはいえ、映画となると勝手が違うことも多いですよね。何が大変でしたか。
映画制作の技術やノウハウがないことはそこまで気にしていませんでした。制作した「可惜夜」は、大人になりたくないけれど、いつまでも子どもではいられない高校生の揺れ動く気持ちがテーマ。粗削りなところも含めて今の私たちにしかできない映画を撮りたかったから、技術的なクオリティよりも感性を大事にしたんです。だから、撮影したカメラは全てスマートフォンですし、三脚は家にあったものを使いました。手ぶれを防ぐ「ジンバル」という機材を買うお金がなかったから、カメラが揺れないように慎重に動きながら撮影したシーンもあるくらいです。
作品を成立させるうえで一番こだわりたかったのは、学校での撮影。でも、私たちの学校はスマホの持ち込みは禁止だし、正式な部活や同好会ではないとしても、校内での活動は許可を得ないと進まないじゃないですか。一度作品制作のためのお願いしたときの学校からの回答は、「指定した教室の中で撮影するならOK、スマホの持ち込みはだめ」というものでした。でも私はそこで逆に火がついて、どうしたら私たちの真剣さが伝わるのか、大人の首を縦にふらせられるかという「反骨心」に近い気持ちが芽生えてきたんです。
── どうやって突破したんですか。
私たちがやりたいことを観てもらうのが一番だと思い、映画の前に練習の意味でミュージックビデオ(MV)をつくることにしたんです。すると、私たちの活動が校内で徐々にうわさになって、先生たちの耳にも入るように。それが校長先生にも届き、前向きに検討してくれた結果、機材の持ち込みと撮影場所の許可が出ました。
── 映画制作で正面突破するのではなく、戦略的に寄り道したんですね。
でも、そのMVの制作自体が予想以上に大変で。参加してくれた同級生たちは、仲の良い友達もいれば、たまたま席が後ろで「一緒につくらない?」と誘った子もいましたし、SNSでフォローしあっているくらいのゆるいつながりの子もいました。全員が同じ動機で参加しているわけじゃなくて、もともと演じることや映画づくりに興味があって手を挙げた人もいれば、高校生活の思い出づくりとして参加してくれた子もいる。普段から仲が良くて協力してくれた人もいる。最初に顔合わせをしてこの事実に気づき、「あ、このままだとヤバい」と思いましたね。
そこで、私はMVを2本撮ることを提案し、「映画をつくりたいチーム」と「思い出作りチーム」に分けて取り組んでもらいました。モチベーションが近い人同士なら空中分解しづらいだろうし、ひとまず完成まで持ち込めば達成感で一つになれるかと思ったんです。そうやってできたMVの鑑賞会では、お互いの作品を讃え合う雰囲気に。「自分たちでもこんな作品がつくれるんだ」「次はちゃんと映画を撮りたい」という前向きな言葉が出てきて、結果的にその後の映画制作にもプラスに働いたんです。
コロナがあったからこそ、私は自分の好きなことに向き合えた
── 完成した作品は、「高校生のためのeiga worldcup2021」に出品されています。自分の作品を全く知らない誰かに観てもらう経験はいかがでしたか。
このコンクールは、YouTubeの限定公開で鑑賞する形式だったのですが、公開1日で再生回数が1,000回を突破したことにびっくりしました。私宛に届くダイレクトメッセージやコメントには、鑑賞した人それぞれの言葉で綴られた感想が並んでいて、自分が伝えたかったテーマが思った以上にしっかりと受け止められていることに嬉しくなりました。
── その後、「可惜夜」は映画祭「MOOSIC LAB2023」でも特別招待上映されました。村田さん自身はこの映画祭の予告編・オープニング映像も担当しており、活動が広がっていますね。
eiga worldcupでは入選止まりで、何か大きなタイトルが獲れたわけではないんです。でも、ここで沢山の人に自分の作品を観てもらえたことで、いろんな機会をいただくようになりました。「MOOSIC LAB2023」での上映も、「可惜夜」を観た人の中に映画祭の主催者とお知り合いだった方がいて、推薦してくださったのがご縁に。私が映画を好きになる過程でひそかに憧れていた映画祭だったので、まさかいきなりここにたどり着くなんて思ってもいませんでした。
── 勇気を出して飛び込んだ機会が、次の機会を呼び寄せるという村田さんの経験は、リクルートが従業員に向けて発信している「機会は、もっと、広い。」というメッセージにも通じており、大変共感します。この春には高校を卒業されますが、村田さんは今後どのような機会に飛び込む予定ですか。
4月から、大学の映画学科で本格的に映画を勉強する予定です。本気で映画や演劇を志す人たちが集まるこの場所を志望したのも、実際に自分の手で映画をつくったからですね。「可惜夜」をつくる前は、映画監督になりたいという想いはあっても他人には自分の夢を語れなかったんです。言葉にしたことが実現できない状態になるのが怖くて、進路指導で将来の夢を聞かれるのも嫌でした。だから、自分の夢を曖昧にしたままでも志望理由が成立するような学校・学科への進学を考えていた時期もあります。そんな私が、映画に特化した進路に堂々と進む決断ができたのは、少しだけ行動が伴ってきたからだと思います。
── 今振り返ってみると、映画づくりに踏み出せたのは何が原動力になっていたと思いますか。
半分は自己実現への意欲ですけど、残りの半分は周囲の友達への感謝ですね。私たちって、コロナではじまりコロナで終わった高校生活だったんです。球技大会も文化祭も中止。「コロナに青春を奪われた」って落ち込んでいる友だちもいました。でも、そんな日々も含めて私にはみんながキラキラして見えた。私は周りの友達の存在に救われたからこそ、二度と戻ってこないこの日常をカメラに納めたくて映画をつくろうよと言えた気がします。私の映画監督への道はコロナがもたらしてくれたものかもしれないですね。
── コロナ禍がポジティブな影響をもたらした側面もある、と。
学校生活でもそうですよ。「これって本当に必要なんだっけ?」と見直され、本質に目を向けられたものも多いです。例えば全校集会が密を割けるために放送に変わりましたけど、そもそも話を聞くためだけに集まる意味ってあったのかなって。あとは、一人でいることに他人の目を気にしなくなったこと。一人で過ごすことが自然な時期だったからこそ、各々が自由にやりたいことに没頭できたのは、私にとって大きな意味がありました。そんな風にコロナが転換点になって新しく何かに挑戦した人は、私の世代なら少なくないと思う。だからこそ、私は他の世代の人たちから「高校生活がコロナでかわいそう」なんて言われたくないんですよね。
プロフィール/敬称略
※プロフィールは取材当時のものです
- 村田 夕奈(むらた・ゆな)
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群馬県在住の高校3年生(2023年2月現在)。2020年の1年間で230本の映画を鑑賞し、映画好きになる。高校2年時の2021年に、初監督作品「可惜夜」を制作。同作品は「高校生のためのeiga worldcup2021」で入選。映画祭「MOOSIC LAB2023」で特別招待上映された。