産廃処理からオーガニック農家へ。かつてのスケボー少年が循環型社会を志す理由

産廃処理からオーガニック農家へ。かつてのスケボー少年が循環型社会を志す理由
文:葛原信太郎 写真:須古恵

産業廃棄物処理、循環型農業、災害廃材を使った家具ブランド。誰かが「捨てた」あらゆるものを活用する野原健史さんに聞く循環型経済への足がかり

大量生産・大量廃棄を前提にした経済から、サーキュラーエコノミー(循環型経済)へ。多くの人がその必然性に納得する一方で、課題の壮大さに自分一人に何ができるのかと無力感を覚える人も少なくないだろう。

では、循環型経済への足がかりはどこにあるのか。産業廃棄物処理、循環型農業や災害廃材を使った家具ブランドの立ち上げなど、熊本を拠点に循環型経済に関わり続けている野原健史(のはら・けんじ)さんに話を聞き、そのヒントを探った。前篇では、産業廃棄物処理事業・循環型農業の立ち上げなどのストーリーから、自身のルーツと大切にしている価値観を伺った。

DIYで身につけた循環と分別の感覚

── 産廃、農業、家具と、さまざまな領域のお仕事をされていますが、これらをつなぐような野原さんのルーツはどんなところにあるんでしょうか。

すべては「スケートボード」から始まってますね。昔も今もずっと変わらず、俺はスケーターなんですよ。スケーターは、道具も場所も、とにかく何でも自分たちでつくっちゃうDIYを大切にします。俺も若いときは、地元の街の中に仲間と一緒にスケートパークをつくって遊んでました(笑)。

うちの父が産業廃棄物の処理事業を立ち上げて、高校の頃には父の仕事を手伝っていたんです。だから世の中には「まだ使えるけど捨てられちゃう」木材や金属があることを知っていた。処理場に入ってきたものを別の形で使うのは違法なんですけど、もっと手前の段階で譲ってもらえばいいんだ、とひらめいた。使えそうなものを予めピックアップしておいて、スケートパークをつくっちゃったというわけ(笑)。もちろん行政の人に怒られて解体されちゃうんですが、その「ゴミ」って結局、うちの処理場に来るんですよ。それらを使ってまたパークをつくる。循環でしょ?(笑)。

サーキュラーエコノミーについて語る野原健史さん

── そんなに若い頃から「循環」に関心があったんですか。

いや…まったくなかったですよ。でも、「分別」は関心がありました。ゴミの処理業というのは、ゴミを引き取ることでも代金をいただきますが、そのゴミから使える素材を素材メーカーに売ることでも収入を得ています。

紙や鉄などの素材は、その厚さや重さで買値が違うんです。事業者がゴミとして持ってくるときは、厚さや重さごとの仕分けなんてされていません。それをそのまま混ぜた状態で売れば「混載」として買値がぼちぼちなんですが、種類ごとに丁寧にわけると高い金額で買い取ってくれるんです。それを知っていたので、しっかりと分別するようにしていた。しかも、資源の買取価格は変動性なんで、なるべく高くなる時に売るようにしてたんですよ。売り上げは俺のお小遣いに直結するので(笑)。

やっていることを見てほしくて、オープンな産廃処理場へ

── ゴミへの意識が変わってきたのはどんなきっかけが?

「廃棄物処理施設技術管理者」という資格を取るために勉強をはじめてからです。これは施設の責任者になるために必要な資格で、高校を卒業して本格的に父の会社に入社し、立場があがっていくことで必要になったもの。同じ資格を目指しているのはみんな真面目そうな人ばかりで、「こんな俺が取れるのか…」とずいぶん不安になったものです。

無事に取得できましたが、その勉強をする中でいろんなことを知りました。ゴミっていうのは処理方法を間違えると、とんでもない環境汚染を引き起こすし、人の命を奪うことさえある。歴史の過ちを繰り返さないために法律があって認可制度がある。資格取得を機会に「ゴミ」という存在に真剣に向き合うようになりました。

そうするとお小遣いのためにやっていた「分ける」という行為が、循環にとても大事であることもわかってきました。身の回りの整理整頓と一緒で、細かく分類してどこに何がしまってあるかわかれば、それぞれに適切な対処方法を取れるし、使いたいときにすぐ使える。今は捨てるしかないものも、これから技術が発展すれば資源になるかもしれません。だからうちの処分場では、どこに何を埋めたかの記録を丁寧に残すようにしました。資源にできる技術が生まれたら、いつでも掘り返せるように。

地球が生み出した資源には限りがあるわけですから、循環させなければいつかなくなってしまう。今は処分場で止まってしまっているからこそ、処分場が変わることでの可能性も大きいはず。同時に俺たちがちゃんとやってるのをみんなに見てもらいたいと思って、処分場の敷地を仕切る壁をネットに変えたんです。後ろめたいことなんてなんもないんだから、あえてオープンに。

こういうの、大事だと思うんですよ。壁があると挨拶できないでしょ。挨拶は人と人との隙間を埋める大事なもの。だから産廃業の仕事を始めるときからずっと、ちゃんと挨拶をしたり、話したり、コミュニケーションを大事にしてきました。

挑み続ける理由は「みんなで笑いたいから」

── 農業を始めたのはいつだったんですか。

のはらグループに農業部門はもともとあったんですが、それほど力をいれていたわけじゃなかった。でも、自分の子どもがアトピーだったことや、後輩のパートナーがガンになったことが重なり、健康や体のことに目が向き始めました。そうすると、自然と「食」への関心も強くなったんです。

せっかく会社に農業部門があるんだから、これをちゃんと自分でやってみよう。心の底から「これなら食べたい」って思える物を食べたいし、家族や仲間に食べてほしいな、と。

そこで、それまで自分が引っ張っていた産廃業務を兄弟に引き継ぎ、極力農薬や化学肥料を使わない農業を知識ゼロからスタートしました。

まずはじめたのはお米だったんですが、最初の年は見事に失敗。虫は来るし、稲はまったく育たない。何事も失敗が成功につながるとよく言うけど、農業はそんな簡単に失敗できないんです。多くの作物は1年に1回しか作れないので、失敗すると次の年まで挑戦できない。しかも、失敗したときの損害も大きいので。だからとにかく勉強しましたよ。こう見えて、実はすごく知りたがりなんで、とにかく調べて、人に会いに行って聞いて、また調べて。

わからないことを誰かに聞くことを躊躇する人も少なくないですが、俺は全然恥ずかしくない。どんなことだって、知ってみることに悪いことなんてないと思ってます。野菜づくりでは、産廃業を引退した年配の方々にずいぶんと助けてもらいました。彼らは農薬を使って効率的にコントロールする現代農業が始まる前の、DIYな野菜づくりをよく覚えていたんです。

そういった昔ながらの知恵に加えて、土の成分をちゃんと分析して科学的にもアプローチする。そうやって、少しずつうまく栽培できる品種を増やしていきました。今ではありがたいことに、北海道から沖縄まで全国に俺らの野菜を待ってくれている人たちがいます。

野原健史さんと共に、熊本で循環型農業を手掛けているみなさん

── 野原さんがこれから成し遂げたいことはどんなことでしょうか。

いろいろとやりたいことはありますが、とにかくこれからもずっと「みんなで笑っていたい」ですね。若い頃はずいぶんとやんちゃもして、熊本っていう小さなお山のてっぺんにいた。でも、20代も半ばをすぎると、てっぺんで一人で笑っているだけじゃ何もおもしろくないと思うようになったんです。もっと面白くするには、自分が笑っているだけじゃなくて、周りを笑かして、みんなで笑えばいいと思った。おいしいものを食べたら、みんな笑顔になるでしょ?だから農業が楽しいんですよ。

そういうことを知ってほしくて、やんちゃな若い子を雇用して、農業を教えたりもしています。どんなに不良でも、じいさん・ばあさんとコンビにして仕事をさせると、ちゃんと仕事して学んでいく。更生したら卒業していきます。

── 関わる人たちも循環しているんですね。

長いこと産廃業をやっていたからか、今でもいろんな人が来ていろんな相談をしに来てくれます。この前も97歳のおばあさんが来た。亡くなった旦那さんが大工で、家にたくさん木材が余っていて困っているから引き取ってほしいと言うんです。おぉ、いいよいいよ、なんて言いながら話し始めたら、いつのまにか100歳の誕生日にチューしてあげる話になっちゃった(笑)。

みんなで笑いたいから、困りごとがあって笑えない人も笑かしたい。そのほうが自分が楽しいと思えるから。困っている人を笑かすには、何かしらの問題を解決しなきゃいけないんですよ。でも、それが自分がやったことのないことだったりすると、どうしたらいいのかわからない。

そういうときには、わからないと素直になって、やり方を聞く。一生懸命やってれば、やり方を教えてくれるし、人を紹介してくれたりする。それでさらにやれることの幅が増えていくし、自分がやるべきことも増えてくるんです。不思議なんだけど、自然とこうなった。やるべきことをやり続けていたら、いつの間にかここまで来たんですよ。

でも、熊本地震のときは流石に笑ってばかりもいられませんでした。九州はずっと「大地震は起きない」って言われていたんです。だから正直油断していました。まさか、熊本で地震が起きるなんて…。

(後編へ続きます)

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

野原健史(のはら・けんじ)

1971年生まれ。熊本で循環型オーガニック農業を実践する「のはら農研塾」を主宰。ゴミの最終処分場を営む家に生まれたからこそ挑戦できる農法は、人が捨てたものを循環させ、産業として上手に回る仕組みとして、業界内外から注目を集める。2021年には災害廃材でつくる家具ブランド「MASH ROOM」も立ち上げ、更に「循環」に力を注ぐ。

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