日本の若者に“選択肢”を示したい。奈良のラーメン店から始まった23歳起業家の想い

日本の若者に“選択肢”を示したい。奈良のラーメン店から始まった23歳起業家の想い
文:栗村智弘 写真:今井駿介

大学在学中、コロナ禍に思い立ってラーメン店『すするか、すすらんか。』を開業。西 奈槻さんが「日本の若者に“選択肢”を示す。」をビジョンに掲げ、新会社・やるかやらんかを創業した理由

近鉄奈良駅から10分ほど歩いたところにある『すするか、すすらんか。 』。名物の麻婆豆腐ラーメンが好評を集め、県内屈指の人気を誇るラーメン店の一つだ。

代表の西 奈槻 (にし・なつき)さんが同店をオープンしたのは、コロナ禍の最中にあった大学2年生の頃。その後2022年4月には、Z世代に特化したリサーチやプランニング支援などを行う新会社・やるかやらんかを創業した。

それらすべての活動の背景には、かつて音楽活動で世界を目指した経験から生まれた「人の心を動かしたい」想いがあると西さんは話す。揺るがないビジョンのもと、学生時代から積極的な行動を続けられるのはなぜなのか。その人生の一端に触れながら、同氏が「日本の若者に選択肢を示したい」と考える理由を紐解いていく。

ノリの裏にあった「人の心を動かしたい」気持ち

── 西さんがラーメン店『すするか、すすらんか。』をオープンしたきっかけを教えてください。

コロナ禍が訪れたことがきっかけです。大学にも通えず遊びにも行けなくなってしまった結果、とにかく暇になってしまって。あまりに暇すぎたので、“ノリ”で始めることにしたんです。

──飲食店経営の経験がないところから、いわば衝動的にラーメン店を開業しようと思い立った、ということでしょうか……?

はい。本当に思いつきと勢いだけ。いくら稼ごうとか、これくらいお店を大きくしたいとかの見通しは、一切なかったです。すぐに大学の友人を誘い、開店のための準備をスタートしました。

── そこまで勢いよく動けた理由はどこにあったのでしょうか?振り返って思い当たることはありますか?

あとから振り返ると、当時の“ノリ”の根底には「人の心を動かしたい」という想いがあったのだと最近になって気づかされました。この想いはずっと自分の中にあるモチベーションの一つでもあるんです。一番わかりやすいのは、高校3年生まで続けたドラムの経験です。

ドラムを始めたのは小学6年生の頃。出会った瞬間からめちゃくちゃハマって、 中学校では吹奏楽部に入りました。そこは毎年東京ディズニーランドや埼玉スーパーアリーナで演奏するほどの強豪校で。自分は3年時に部長を務め、全国大会6位になる経験をしました。

高校ではより高いレベルの環境で練習したいと考え、部活ではなく大人たちがいるチームへ進みました。そこに所属していた人たちが、みんなアメリカへ勝負しにいっていたので、自分も自然とアメリカを目指すようになり。高校生のときには一人でアメリカへ渡り、ひたすらオーディションを受けていた時期もあります。「ドラムで飯が食えるようになりたい」と本気で考え、定期テストを休んでまでアメリカに行っていたくらいでした。

ドラムに励んでいた当時の西奈槻さん
ドラムに励んでいた当時の西さん

── ドラムで「人の心を動かしたい」という想いが育まれた、と。

はい。たとえば、友達がわざわざ自分の演奏を見に来てくれて、その後感想をLINEで送ってくれることがあって。一見すると些細なことですけど、自分にとってはそれがすごく嬉しかったんです。「少しでもその友達の心を動かせたんだ」という実感にもつながっていました。

また、仲間たちが自分の熱量に引っ張られるように、それまでより懸命に練習したり、夢中で演奏に取り組んだりする姿を目にしたこともありました。自分にとっては、それも人の心を動かせたと感じられる出来事の一つでしたね。

そうした経験を積み重ねていくうちに、いつからか「人の心を動かすために何をするか」が人生における自分の軸になっていった。そのうえで、ドラムは高校生でやめる決断をしたんです。

ドラムをやらない決断から、ラーメン屋をやる決断まで

── それほどまでに打ち込んでいたドラムをやめることに、抵抗や葛藤はなかったのでしょうか?

全くなかったといえば嘘になりますが、納得してやめることはできました。自分の意志で選んだことに後悔は全くなく、いま振り返っても良い選択をしたと思っています。

やめた理由は、アメリカで見た“景色”にあります。そこにはドラムを心から愛している人、これ以上ないくらい好きな人たちが、文字通り世界中から集まっていて。そんな人たちを目にするなかで、技術というよりも想いや愛情の部分で、「自分はこの人たちに一生敵わない」と思ったんです。「本当に自分が輝けるのはドラムの世界ではない。きっと、別の場所にある」。そう肌身で感じたことが、やめる決断につながりました。

── 「人の心を動かしたい」気持ちは変わらない。そのうえでドラムではなく、別の方法でそれを実現したいと考えたということでしょうか。

はい。ドラムをやめる決断をしたからこそ、「人の心を動かしたい」という“目的”が改めて明確になった。そして、そのための“手段”をより広い視野で考えられるようにもなりました。

実際のところ、ドラムをやっていた時の感覚と、いま会社の経営をしている感覚は、自分のなかではほとんど同じなんです。それはきっと、どちらも同じ目的に向かってやっているからなのだと思います。

ドラムをやめる決断をしたからこそ、「人の心を動かしたい」という“目的”が改めて明確になったと話す西奈槻さん

── ドラムをやめて大学へ進んでからは、どんなことに取り組んでいたのでしょうか?

入学して最初の一年間は、人の心を動かすために何をするか、その手段を探すために試行錯誤していた期間でした。自分からサークルを立ち上げたり、色々なコミュニティで仲間を作ったり。

通っていた農学部のあるキャンパスは、総勢でも3000人程度。気がついたら、そのほとんどと知り合いになっているような状況でした。色んな出会いから刺激をもらい、それはそれで充実していましたね。

── その一年間が終わろうとするタイミングで、コロナ禍がやってきてしまったのですね。

そうです。大学の講義はすべてオンラインに切り替わり、ほとんどの時間を家の中で一人で過ごす日常になってしまった。起きている間ずっとぼーっとしているような、何の刺激もない毎日でした。「このまま人生終わりたくないな」と真剣に考えるようになって。“暇”に耐えられなくなったんです。

── その“暇”こそが行動を起こすきっかけになった、と。

はい。まずは、これだけ世の中が止まっていても動き続けている人を探して、会いに行こうと考えました。何かヒントがもらえるんじゃないかと。

「動いてる人って誰だ?」と考えた時に、思い浮かんだのが「経営者」でした。世の中がどうなろうと、会社は今日も明日も続いていく。だから、経営者は今もみんな動き続けているはずだと考えたんです。

自分の身の回りの経営者を調べまくって、ひたすらDMしました。そのなかで3人目に出会ったのが、今の店舗が入っている建物の大家さんでした。聞けば、2年前から何もやっていない空きスペースになっていると。その場で「使ってみる?」と言われて、迷わず「はい」と答えました。

コロナ禍に「このまま人生終わりたくないな」と真剣に考えるようになったと話す西奈槻さん

── その時点では具体的に何を始めるか決めておらず、ラーメン店をやろうとも思っていなかったのでしょうか?

そうです。ラーメン屋を選んだ背景には、大学の友人で現在は『すするか、すすらんか。』の料理長を務めている奥野の存在がありました。

奥野の得意料理が、麻婆豆腐だったんです。僕は彼の作る麻婆豆腐が当時から大好きで、よく彼の自宅まで食べに行っていたほど。

何かお店をやろうと決めた時、直感的に「彼の麻婆豆腐とラーメンを組み合わせたら人気が出るのではないか」と思いつきました。奥野もすぐにやりたいと言ってくれて、その次の日には開店の準備に取りかかりました。

まず始めに、必要な免許や工事、そのための費用などを調べました。その結果、1ヶ月後にはオープンできそうだと考え、それを目標に準備を進めていったんです。実際にオープンしたのは、着想から1ヶ月後の2020年10月3日。開業にかかったのは、全部で50万円ほどだったと思います。コロナ禍で遊べなくて貯まっていたバイト代のほとんどをつぎ込みました。

DIYで内装を行ったラーメン店「すするか、すすらんか。」
1号店のならまち本店はイチからDIYで内装を行ったという

「正解」ではなく、「選択肢」があることを伝えていきたい

── その後2022年4月に、やるかやらんかを創業されています。どんな理由から創業されたのでしょうか?

自分のビジョンがさらに明確になり、その実現へ向かううえで必要だと考えたからです。

ビジョンが明確になった理由の一つが、中川政七商店の会長・中川淳(なかがわ・じゅん)さんと出会えたことです。中川政七商店が運営する『N.PARK PROJECT』(奈良におけるスモールビジネスの実践を支援する取り組み)を通じて、『すするか、すすらんか。』のサポートをいただくことになり、それが出会いのきっかけでした。

先ほども触れた通り、僕にとってラーメン屋をやることはあくまで手段の一つです。「美味しいラーメンを一杯でも多く届けたい」という想いは間違いなくあるけれど、それが最終的な目的にはならない。

だとすれば、自分がやりたいことは何なのか。何度も中川さんにお話を聞いてもらいながら、少しずつ自分が目指す先の輪郭をつかんでいきました。そうして浮かび上がってきたのが、やるかやらんかのビジョン「日本の若者に“選択肢”を示す。」だったんです。

── このビジョンには、どのような想いや意気込みが込められているのでしょうか?

自分だからこそ示せる選択肢を、世の中に一つでも多く示す。その積み重ねによって、より自分らしい行動を取れる若者が増えてほしいという想いを込めています。

大学に通いながらラーメン屋を経営した経験を持つ人は、日本中を探しても数名程度しかいないと思います。でもやってみてわかったのは、「それも選択肢として全然あり」だということ。その実体験から、本人が思う以上に自分にとっての選択肢はたくさんあるし、可能性は無限大だと気づかされました。

やるかやらんかのビジョンは「日本の若者に“選択肢”を示す。」と話す西奈槻さん

だからこそ、僕は世の中に対して「これが正解だよ」ではなく、「もっと選択肢があるかもしれないよ」と言いたいんです。そのために、まずは自分たちがやってみせる。そのうえで、これまでになかったような新たな選択肢を作り、社会に届けていく。そうやって「日本の若者に“選択肢”を示す。」というビジョンを実現していきたいと考えています。

── ビジョンの実現のために、やるかやらんかをどのように成長させていきたいかの展望を教えてください。

会社のミッションとしても掲げている「やってみせる・巻き込む・拡大する」の順序で、成長させていきたいと考えています。

会社としては、今はまだ「やってみせる」のフェーズにあります。「選択肢を示す」ために、まず自分たちが成功事例にならなければいけません。ロールモデルになることで、自分たちのやり方が一つの選択肢になることを世の中に示していきたいです。

── 「巻き込む」「拡大する」のフェーズでは、具体的にどのような取り組みを考えているのでしょうか?

そこに集まる人の選択肢が広がっていくような場所を作ることに、力を注ぎたいです。

これまでにも、『すするか、すすらんか。』で働いてくれた人が「ここで働いたことで、自分の人生の選択肢が広がった」と伝えてくれたことがあって。その経験から、何か一つ場所があることが、そこに集まる人にとっての新たな選択肢につながっていくかもしれないと、考えるようになったんです。

選択肢の広がりにつながるなら、その場所は必ずしもラーメン屋である必要はありません。ホテルでも良いし、遊園地でも良い。将来的には、たとえば自分たちが建てたビルのなかに、『すするか、すすらんか。』をはじめさまざまな自社ブランドが集まっているような、複合的な施設を作ってみたいという展望もあります。

いずれにせよ、お客さんも働く人も、そこに集まったすべての人たちの心が動かされ、その人たちの可能性がひらかれるような場所を世の中にたくさん作っていきたい。その目標をまずは、奈良で実現したいと考えています。

── ここまでのお話を聞いていて、西さんが本気で「人の心を動かしたい」と思っていることが伝わってきました。なぜそこまで強く思えるのか、最後にその理由について聞かせてください。

それは「自分自身が人生を楽しみたいから」の一言に尽きると思います。人の心を動かそうと夢中で取り組んでいるときの自分が一番好きなんです。

自分の好きな自分でいたい。至ってシンプルに聞こえるかもしれないですが、それが最大の理由です。「自分が楽しみたい」という純粋な気持ちがあるからこそ、子供の頃からずっとブレずに、「人の心を動かすこと」に夢中で取り組んでこれたのだと思います。そして、これからはさらに自分の人生を楽しめるように、やれることを全部やっていきたいです。

株式会社やるかやらんか 西奈槻さん

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

西 奈槻 (にし・なつき)

2000年奈良県生まれ。口癖は「やるか、やらんか。」「バイブス」。高校時代は、プロのドラマーを目指して渡米。2020年10月、コロナ禍にならまちの隠れ家・麻婆豆腐ラーメン専門店『すするか、すすらんか。』を開業し、2021年には近畿大学内の学食にも2店舗目を出店。2022年4月に、奈良を拠点に事業運営を行うプロデュースカンパニー株式会社やるかやらんかを設立。【日本の若者に“選択肢”を示す】をビジョンに掲げ、若者をターゲットとした空間のプロデュースと、クリエイティブやSNSを駆使した、企業のブランディングプロデュースを行う。2期目からは、2025年までに奈良を変える会社として、ラーメン以外の業態でも店舗展開を行う。他ジャンルのクリエイティブチームを運用し、若手の視点から奈良全体のリブランディングを計画している。

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