“eスポーツ”はこの10年でどう変化したか?SCARZの歩みから見る変遷と可能性

“eスポーツ”はこの10年でどう変化したか?SCARZの歩みから見る変遷と可能性
文:栗村智弘 写真:須古恵

eスポーツ産業の黎明期にチームを立ち上げ、その後数々のタイトルを獲得。日本を代表するプロチーム・SCARZのオーナーと考える、国内eスポーツの現在地と未来

これまでに多くのタイトルを獲得し、日本で最も有名なeスポーツチームの一つとして知られる『SCARZ』。国内のeスポーツチームとしては史上初めてヨーロッパ国籍の選手を獲得するなど、先駆的な取り組みでも注目を集めている。

オーナーを務める友利洋一(ともり・よういち)さんが同チームを立ち上げたのは2012年。以来、国内eスポーツの発展や移り変わりをその最前線で体感し続けてきた。

10年以上にわたり活動する友利さんの目には、国内eスポーツの現状はどう映っているのか。また、ファン層の拡大や若手プレーヤーの台頭の背景にはどんな要因があるのか。アマチュアから始まったSCARZの歴史と展望、その背景にある友利さんの想いに触れながら、国内eスポーツのこれまでとこれからを考える。

風向きが変わったのは2018年

── SCARZはアマチュアチームとして2012年に立ち上がったとお聞きしました。国内における、当時のeスポーツの認知度や取り巻く環境は、どのようなものだったのでしょうか?

今と比べて、限られたゲーム好きだけが集まる活動でした。プレーヤーやファンの男女比率でいうと、当時は圧倒的に男性が多かった印象です。

生業にしているのはごく一部の有名プレーヤーだけで、産業としても未成熟な段階。私自身も、eスポーツだけで生計を立てるのはまだ難しい時期でした。

── プロチームとして始動した2015年になると、認知度や環境にも変化が現れてきたのでしょうか?

はい。その頃には“プロゲーマー”という存在も徐々に知られるようになっていました。

とはいえ、今よりも認知度が劣る時期だったことには変わりありません。イベントを開催したものの、参加者がほとんど集まらなかったこともありました。プロゲーマーを目当てに足を運んでくれるようなファンがおらず、何度も苦い思いをした記憶がありますね。

追い風が吹き始めたのは2018年頃です。メディアでeスポーツが取り上げられる機会が一気に増えて、存在自体が広く知れわたっていった。ゲームに特に関心がない人でも「聞いたことはある」くらいの認知度にまでなった印象です。スポンサー営業をしていて、取引先からのポジティブな反応が増えたことからも、風向きの変化を実感していました。

国内eスポーツのこれまでに至る風向きの変化を語る友利洋一さん

── 風向きの変化の背景にはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

あくまで主観ですが、選手やチームがSNS上での発信を積極化したことは、一つのきっかけになったのではないでしょうか。“バズる”ことも少しずつ増えて、メディアの目に止まる機会も増えていった。各チームが発信する画像や動画のクオリティにこだわるようになったことも、功を奏したのかもしれません。そうして少しずつ、より多くの人の目に触れるようになったのだと考えています。

その他にも、有名企業のスポンサー参入や法整備による賞金増額など、さまざまな要素があるはずです。それらの積み重ねが具体的な変化として現れ始めたのが、2018年の時期だったのだと思います。

── 2020年になるとコロナ禍が訪れました。そのことは、国内eスポーツの発展にどのような影響を与えたと考えていますか?

ネガティブな影響より、ポジティブな影響の方が多くあったと個人的には捉えています。その一つがファン層の拡大です。

目に見える変化として、コロナ禍を通じて女性ファンが増えたと感じています。ゲームジャンルにもよりますが、選手のファンミーティングに参加してくださる女性の数が増え、グッズの売上も伸びました。オフラインのイベントが復活してからは、なおその傾向を実感できています。

先ほども触れたとおり、国内eスポーツのファンは男性の割合が高い傾向にありました。女性ファンの増加は、それだけ裾野が広がり、より幅広い層のファンがつき始めている兆しともいえます。また一つ、風向きが変わったような印象を受けていますね。

── ファン層が広がった背景として、たとえば在宅の時間が増えたことなどが影響したのでしょうか?

たしかに自宅で過ごす時間が増えて、ゲーム実況を見て過ごす時間が増えたことは理由の一つかもしれません。

人気の配信者さんが取り上げているゲームのなかには、eスポーツの対戦で扱われているものも多くあります。それが入口となって、eスポーツ関連の動画にたどり着いたり、実際にそのゲームをプレーしたりといった人が、少しずつ増えたのではないでしょうか。

また、eスポーツの対戦で扱われている人気タイトルは無料のものが多く、誰でも始めやすい。プレーの参考を調べていくと、自ずとeスポーツの選手がプレーする動画にリーチすることも少なくありません。そうした流れで、SCARZをはじめさまざまなチームや選手のことを知ってくださった方もいるはずです。

“マイナス”からのスタートだからこそ燃えた

── 国内eスポーツ全体に関することをお聞きしてきましたが、ここからはSCARZというチームの歴史や特徴についてお伺いします。アマチュアからプロへと転換する決断の背景には、友利さんのどのような想いがあったのでしょうか?

プロチームとしてやっていく決断をした2015年当時、私は26歳でした。一番強くあったのは「人生一度きりだから、やりたいことをやろう」という想いです。

SCARZを2012年に立ち上げてから、それまではアマチュアチームとして活動を続けていました。いわば趣味の延長線上で、仲間で集まって楽しくやることが最優先。当時はゲーム会社に勤めていて、その傍らで運営していたんです。

一方で、心のどこかで「SCARZの活動だけで飯を食っていけるようになりたい」という気持ちもあって。ゲーム制作を事業にしている会社があるなら、ゲームをプレーすることで稼いでいく人や団体があってもおかしくないはずと思っていたんです。いま考えると少し安易な発想ですが(笑)、「一度で良いからそれに挑戦してみよう」と勤めていた会社を退職し、プロチームとしてやっていくことを決断しました。

── アマチュアチームとしてSCARZを立ち上げたときから、「これで食っていけるようになりたい」という気持ちはあったのでしょうか。

はい。とはいえ、いま振り返るとどこかで「無理だろう」と決めつけていましたね。 「ゲームをやることが仕事になる」ことへの理解度も低く、日本にはプロチームもほとんど存在しなかった時代。自分のなかでなんとなく、諦めの気持ちもあったんです。

でも最終的には、「それでもやっぱり挑戦してみたい」という気持ちが上回りました。2015年頃には海外ではすでにプロチームが数多くあり、それで生計を立てているプレーヤーもたくさんいた。それもあり、子供の頃から漠然と持っていた「ゲームをやることを仕事にしたい」という夢が、自分の努力次第で叶えられるのではないかと思ったんです。

── 20代半ばでかなり思い切った決断ですよね。迷いや葛藤はなかったのでしょうか?

まったくなかったですね。年齢的にも良いタイミングだと考えていましたし、「やるなら今しかない」という想いしかありませんでした。

とはいえ、「そんなの無理だ」と周囲から言われることもあって。チーム運営のための借金も抱えていたので、ゼロどころかマイナスからのスタートでしたね(笑)。ただ振り返ると、そういう状況だったからこそ、逆に燃える自分もいたのだと思います。

SCARZをアマチュアからプロへと転換する決断の背景や想いを語る友利洋一さん

あとはプロチーム化のタイミングで、チーム運営に徹する選択をしたことも、結果として良かったと思っています。それまでは私もプレイヤーとして活動していたのですが、「今後はオーナーとして、裏方の部分も含めてチームに貢献していこう」と決めました。そのほうが、長い目で見たときに自分のやりたいことを実現できるはずだと考えたんです。

── ご自身がプレイヤーとして続けていくことへの未練や心残りはなかったのでしょうか?

少なくとも、今はまったくありません。自分が勝ったときの喜びと比べて、チームの選手たちが勝ったときの喜びはそれと同じくらい、あるいはそれ以上に大きなものだと気づいたからです。応援に近い感覚もあるのですが、その立場でしか得られない嬉しさや悔しさが、今の自分にとっては生きがいになっています。

プロチーム化を決めた時から、自分よりも若い世代の子たちに世界一をとってほしい、そのための後押しがしたいという想いもあって。いま実際に若い選手たちが活躍する姿を見るたびに、あの選択は間違いではなかったと実感しています。

eスポーツを通じて、若い世代の夢を後押しする

── 10代から20代前半を中心に、eスポーツ選手として活躍する若者は以前と比べて増えてきているのでしょうか?

国内eスポーツ全体として、10年ほど前と比べてかなり増えていると思います。

SCARZでも、たくさんの若い選手が活躍しています。50名ほどの選手が所属しているのですが、そのうち8割ほどが10代から20代前半です。6月に行われた『VALORANT Challengers Japan 2023』という大会で優勝し、アジア大会への切符を獲得したのですが、そのメンバーにも10代の選手が含まれていました。

VALORANT Challengers Japan 2023で優勝を果たしたSCARZのメンバー
エディオンアリーナ大阪で開催された同大会で優勝を果たしたSCARZのメンバー

── 若い世代が増えてきている背景には、どのような要因があると考えますか?

まず考えられるのは、身体能力に関する要因です。なかでも、ほぼ全てのゲームタイトルにおいて必要とされるのが動体視力。10代後半でピークを迎え、そこからはトレーニング次第となっていきます。動体視力の発達と衰えは若い選手の活躍に少なからず影響しているはずです。

加えて、純粋にeスポーツの認知度が上がっていることも、大きな理由の一つかもしれません。「将来なりたい職業ランキング」にランクインしているケースなどを見るたびに、子供たちにも広く知られる存在になってきたのだと実感します。

今は10代前半くらいから、明確にeスポーツ選手になりたいという夢を持って、練習をしている子供たちもたくさんいます。プロ野球選手になりたくて野球の練習に励む、それと同じ感覚です。

これは私がチームを立ち上げた10年ほど前には、ほとんどなかった光景です。少しずつeスポーツが浸透していき、子供たちの目にも必然的に触れるようになってきた。その現れとして、若い選手が次々に台頭してきているのだと感じます。

── 「活動を通じて若者の後押しがしたい」という話がありました。そのために、今後SCARZとして特に注力していきたいことはありますか?

一番力を注ぎたいのは、より強いチームとなることで、競技レベルの底上げをすることです。

私たちは活動を通して、eスポーツを一過性の流行ではなく、文化として根付かせていきたい。そうなれば取り巻く環境がさらに整備され、より多くの若い世代が「eスポーツ選手として活躍する」夢を叶えられるようになる。それこそが、私たちだからこそできる「若者の後押し」になるはずです。

文化を作っていくためには、より大きな影響力を持ったチームへと成長しなければなりません。そのために必要なのは、やはりもっと勝てるようになること、そのための実力です。プロのeスポーツチームとして、今より強くなることを常に目指していく。これはプロチームとして始動したその日から、最も大事にし続けている指針の一つです。

── SCARZがより強いチームになった先に、友利さんはどのような未来を想像していますか?

SCARZ、ひいては日本中から、世界で勝負できる選手やチームが今よりも多く出てくる姿ですね。実際にこの10年ほどで、eスポーツで日本から世界を目指すことの現実味は濃くなりました。以前は、そもそも世界一を目指すための道さえないという状況でしたが、今は勝ち続ければたどり着ける。世界への道はいくつも拓かれています。

その影響もあり、今後は始めから世界への挑戦を見据えてプロになる若者も、さらに増えてくるはずです。その夢を一つでも多く叶えられるようなチームに、SCARZも近づいていきたい。

それこそが、私が若い世代に対してできる、最大限のサポートなのだと信じています。

プロゲーミングチーム『SCARZ』メンバーたちのサイン

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

友利洋一(ともり・よういち)

『SCARZ』オーナー、株式会社XENOZ代表取締役。2012年にアマチュアチームとしてSCARZを立ち上げ、2015年にプロチーム化。自身もゲーム制作会社から独立し、2016年4月に同チームの運営元となる株式会社XENOZを設立。2021年3月のリブランディングを機に「KEEP IT REAL」を新たにチームスローガンとして掲げ、世界基準でも第一線を張れるチームを目指す。

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