「人的資本経営」の実現に向けた課題とは? ~学習院大学教授 守島基博氏と考える“潮流と未来”

「人的資本経営」の実現に向けた課題とは? ~学習院大学教授 守島基博氏と考える“潮流と未来”

学習院大学経済学部経営学科 教授/一橋大学 名誉教授 守島基博氏とリクルートで考える人的資本経営とは?

1)「人的資本経営」とは何か?

守島基博教授(以下、守島教授):本日は、「人的資本とは一体何なのか」ということについてお話できればと思っております。

津田 郁(以下、津田):リクルートで労働市場に関する研究員をしております津田です。リクルートから「人的資本経営の潮流と論点2022」というレポートを出させていただきましたが、こちらには、経営者の皆さんに向けた企業経営についての最新情報と提案をまとめております。

本日は、人的資本経営とは何か、そして情報開示と価値を高める戦略について簡単に解説させていただきます。

守島教授:まず「人的資本経営」の定義と、本プロジェクトとの共通点についてお話しします。

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経済産業省のホームページに掲載されている定義では以下の通りです。
「人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」

そして本プロジェクトの定義はこちらとなります。
「人材を経営上の最も重要な『資本』と捉え、全ての人的資本を活かし、その価値を持続的に向上させる人材戦略の実践を通じて、経営目的の実現と企業価値の向上をはかる経営のあり方」

共通しているのは、人的資本を非常に重要な経営の資源として捉え、それを獲得・活用することで企業成長を促すものということです。しかし、「これまでも日本企業は人を大切にする経営をしてきたのではないか? それと一体何が違うのか?」という疑問を持つ方もいらっしゃると思います。

異なる点は、2点あります。
1点目は、昨今の企業変革・イノベーションというのは、「人の頭の中」から出てくるということ。つまり人的資本の担う分野が企業価値創造の根幹になってきているといえるでしょう。そして、もう1点は少子高齢化が進み、さらに働く人の多様化によって、人的資本の確保が困難になってきているということです。

その結果、企業の人的資本投資とリターンに投資家・株主の関心が集まるという変化が起こっています。


津田:今ご紹介いただいた人的資本の定義に追加させていただくとすれば、企業が保有する資本のなかで唯一「心を持つ資本である」こと。そして、心を持っているからこそ任せる仕事・期待・関係性によって同じだけの投資をしても、リターンが異なってくるという点が挙げられます。

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これが人的資本経営の面白さであり、難しさでもあると思っております。

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人的資本経営の全体像を図解してみると上記のようになります。人的資本の情報開示と人的資本の価値を高める戦略とが相互に作用することで人的資本の持続的な価値向上、それがひいては経営目的の達成・企業価値の向上につながっていくとイメージしています。

ただ、非常に重要なのはその土台となる部分。つまり人材を最重要資本と捉えること、そしてすべての人材を活かすことです。

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人的資本経営を実現するためには、「優秀な人とダメな人がいる」という考え方ではなく、「全ての人が強みと弱みを持っている」と捉えること。そして、その特性を理解して開発・活用していくことが、あらゆる人の能力を引き出し、活かしきることにつながっていくと考えていくべきです。

2)今、「人的資本経営」に取り組むべき背景とは?

守島教授:ここで、日本企業は本当に人を大事にしているのかを確認してみましょう。

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諸外国と日本企業の人材育成投資額を比較してみると、圧倒的に日本が遅れを取っていることが分かります。特に2008年以降は、諸外国では増加・現状維持という状況にも関わらず、日本のみ投資が減少しています。

また、労働生産性については、ひとりあたりの生産性はOECD38ケ国中28位(生産性本部データ2021)となっていることも併せてみると、人材を生産性が高い形で活用できていないことが分かります。

戦略人事(戦略と連動した人材マネジメント)を行っている企業の割合が、約4割「日本の人事部調査」(2021年、対象:3,091人の人事労務担当者)ということも分かっています。

これらのデータを見ると、「日本企業は人を本当に大切にしているのか」、「人的資本を生産性高い形で活用できているのか」という疑問が浮かんできます。

ここで改めて、企業はなぜ今、人的資本経営に取り組むべきかを3つの視点からご説明します。

1:変化の時代、企業価値創造・向上には人的資本がカギに
 変化の時代、企業価値を創造し、向上させるためには人的資本がカギであるという認識。
カネさえあれば経営ができる時代から、人材がいないと経営ができない時代になっている。

2:企業価値創造のためには、戦略人事が不可欠
 経営戦略と人事戦略や人材マネジメントを連動し、戦略目標を実現する人事を行うこと。
経営目標を達成するために人事を行う。そうしないと、企業価値の創造と向上が望めない時代になってきた。

3:人的資本と人的資本投資に関する情報公開が投資家から求められている
 人的資本と人的資本投資に関する情報の公開(得られるリターン)
投資判断にあたって、人的資本の価値を重視する投資家が増えてきた。
  例:「人材価値の開示、投資選別基準に・・」(日経、21/2/19)

こうした変化が起こっている現状を考えると、企業はまさに今、人的資本経営に取り組むべきだといえるでしょう。

3)「人的資本経営」の推進課題とは?

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津田:次に人的資本経営を推進する上での課題についてお話しします。
企業の人事担当者3,000名以上のアンケート回答を見ても課題は明確で、「従業員のスキル・能力の情報把握とデータ化」に課題を持っているということが分かります。その割合は54.5%にものぼります。価値向上ではなく、そもそも価値の把握をすることからスタートする必要があるというわけですね。先ほどの土台部分でお話ししたように、人に関心を持つことが人的資本経営の第一歩といえます。

人的資本経営を実践していく上での課題について、人事担当者からいただいたフリーコメントを一部抜粋してご紹介します。

“ひとを財産として真剣に向き合うこと”
“人材を使い捨てにしていないか、非人間的な働き方を強いていないかを抜本的に見つめなおす必要があります”
“社員は財産という考えを定着させたい” 
“一人ひとりへの気配りと目配り”  “個人の意見を尊重できるか”
“経営陣の従業員に対する関心” “経営陣の意識改革”
“経営層、社員、それ以外でも各人が人的資本という考えを受け入れ、実践に向けて努力する必要がある”
“従業員一人ひとりのキャリアプランを会社側が把握しなければならない”

このように、まずは土台部分となる人の状況を把握すること、人に関心を持つことから始めなければというのが多くの人事担当者が抱えている課題感です。

4)人的資本経営の実現に向け取り組むべきこととは?

守島教授:次に私のほうから「今後、具体的に何をすべきか」について、企業・個人・社会という3つの観点に分けてお話しします。

―企業が取り組むべきこととは?

人材価値向上・活用のための投資を増加させることが必要です。
人材価値向上のためにはOJTだけではなく、フォーマルな育成プログラムを作り、キャリア形成支援をしていくべきだと考えます。

価値を「向上」させるだけではなく「活用」していくには、例えば、適材適所(の考え方に基づく活躍)支援・そのための人材データベースの構築・公平な評価や処遇・ワークライフバランスを取りやすい体制作りなどがあります。こうしたことを実現するために、これまでの日本型雇用モデルを改革する必要があると考えています。

その方向性のひとつが「ジョブ型雇用(職務内容や責任の範囲、労働時間、勤務地などを明記したジョブ=職務を準備し、そのジョブを遂行できる人材と契約を結ぶ雇用形態)」です。

最近、多くの企業が「ジョブ型雇用」への転換を目指すと宣言していますが、その実現は非常に難しいというのが実情です。なぜかと言うと、ジョブ型雇用は単に人事制度を転換すればいいだけではなく、企業運営の方法・現場管理職とマネジメント・さらには働く人の意識(キャリア観など)も変えなければ、実現できないものだからです。

―個人が取り組むべきこととは?

企業と個人だけが頑張っても、社会全体での変革がないと人的資本の価値は高まりません。例えば、円滑な労働移動による人材の適切な配置・企業に頼らない人的資本向上への投資・学校制度の改革・リスキリング(学び直しの機会提供)などが挙げられます。

必要なのは国として新しい時代に人的資本で戦っていくための体制作りであり、インフラや法、制度の大転換が必要だと考えています。

5)人的資本経営におけるアジェンダ「人材戦略」と「情報開示」

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津田:続いて、人的資本経営において企業が取り組むべきアジェンダについてお話しします。私たちは、「人的資本の価値を高める戦略」と「人的資本の情報開示」のふたつがアジェンダであり、これらを相互に作用させることが重要であると考えています。

先ほどお話しした人的資本経営の土台である「人材を最重要資本と捉える」、「全ての人材を活かす」。それができた上でプロアクティブに進めるためには、人的資本の価値を高める戦略と、人的資本の情報開示の両輪を回すことが欠かせません。

ただ、「開示と戦略の両輪をどう回せばいいのか」というのが、世界的にもまだ明確になっていないテーマです。

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津田:国内外の動向としては、SECのルール改正のインパクトが大きく、2016年以降、次々に人的資本に関する開示指針が展開されています。

気候変動に関する情報開示では、TCFDといったガイドラインが参考になります。一方、人的資本においては、多くのガイドラインが誕生しており、何がグローバルスタンダードになるのかは今後の動向を見守る必要があります。また、労働市場の制度・慣習も国や地域によって異なるため、それを踏まえた上で情報開示を進めていく必要があります。

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●人的資本経営と人材マネジメントに関する人事担当調査(2021)第1弾:「ISO30414」に基づいた主要11領域の調査結果

津田:ここではISO30414を紹介します。このガイドラインでは、人的資本の情報を11領域で整理しています。さらにそれぞれの領域には詳細な項目があります。

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●人的資本経営の潮流と論点 2022

津田:多様性の領域を例に挙げれば、従業員の多様性(年齢、性別、その他の多様性に関する指標)や、経営陣の多様性。

組織の健全性、安全性及びウェルビーイングであれば、労災によるロスタイム・件数などが指標として挙げられます。

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津田:次に、情報開示の現状をご紹介します。人的資本の測定状況は約65%、うち社外開示は15%未満という状況です。

測定状況65%の内訳は「自部署(主に人事部)のみで活用」が19.7%、「社内のステークホルダー(経営層や従業員など)のみに開示・報告」が30.1%、「社内および社外へ開示・報告」が14.9%です。社外に向けた開示はこれからシェアが上がっていく予測があるため、各企業が方向性を考え、示す時期に来ていると考えています。

では、人的資本の「情報開示」のポイントとは何か。2点ご紹介します。

―ポイント1
データの羅列ではなく、その企業の考え方も含め一貫性のあるストーリーにして伝える

企業の考え方を含めたストーリーとは、経営理念・人材マネジメントなどに対する考え方も含んだストーリーを伝えるという意味です。単にデータの羅列では意味がありません。例えば、人的資本についてどういった投資をしているのか。取り組みのKPI・スコアはどうなのか。仮に良くないスコアが出ていたとしても、そのスコアについてどう捉えていて、今後どう進めていくつもりなのかなどを説明し、データ&ナラティブで伝えていくことがポイントです。

―ポイント2
ステークホルダー資本主義のもとで、あらゆるステークホルダーと対話を始めること

情報開示をすることがゴールではなく、開示をきっかけに対話をしていくなかで「社会と一緒に人的資本を高めるために何をしていけばいいのか」と考えること。それを人的資本経営の戦略に反映させ、機能させていくことが情報開示の役割なのではないかと思っています。

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津田:戦略部分から開示へ向けての活動として、人的資本の価値向上の取り組みを社内外のステークホルダーへ開示する。開示部分から戦略に向けては、ステークホルダーと建設的な対話をしてフィードバックを活用して戦略を磨くという活動が挙げられます。

情報開示と人的資本の価値を高める戦略の両輪を回していくことが、人的資本の価値を持続的に高めていくために欠かせない行動であると私たちは考えています。

6)人的資本の価値を高める戦略とは?

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津田:続いて、人的資本への投資とは何かを分解すると、人材価値の向上・人材価値の活用・人材価値の循環という3つの観点があります。人的資本への投資というと「人材価値の向上」についてよく議論されますが、人的資本の価値を最大化するためには残りのふたつの観点もセットで検討する必要があります。

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津田:人的資本の価値向上のステップを、3つに分けてご紹介します。土台部分のStep1では、多様な個の尊厳への配慮と価値認識・相互選択的(選び・選ばれる)関係性の構築が重要だと考えています。企業の人材観や人材に対する接し方について言及しています。

Step2では、採用・人材配置およびミドル層のマネジメントスキルを高めるポイントについて紹介しています。

Step3では、従業員に対する具体的な働きかけの内容をまとめています。個とチームのエンパワーメントでは、働く人が仕事を推進するなかでのポイントを挙げています。セルフ・リスキリングは、職場を一歩離れた場面での内省や学び直しについてのポイントを紹介しています。

それぞれのステップで考えられる多様な取り組みの詳細を、レポートにまとめさせていただきました。ご覧いただければと思います。

●人的資本経営の潮流と論点 2022

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津田:今回の調査・分析を通じて私たちは、「人的資本の価値向上をするために変化対応力を高めることが重要」だという結論に至りました。

守島先生からもあったように、今後、企業は機動的に戦略人事を実現する必要があると考えています。なぜなら、企業はこれから新しい戦略をどんどん生み出して、機動的にワークさせていく必要があるからです。そして戦略・体制・仕事が連続的に変化した時、従業員がその変化に対していかにコミットしてくれるかというのが、戦略実現のポイントです。

企業だけでなく働く個人についても、長い職業人生のなかで何度も、スキルや人々との協働方法の革新が求められるようになります。戦略達成をする企業・個人の土台になるのが、「変化対応力」と考えて、今後も分析を行っていきます。

変化対応力に代わる要素は、企業ごとに異なります。例えば「創造性」や「自律性」こそ重要と考える企業もあるでしょう。そのため、経営者の皆さんには「自社が高めるべき人的資本は何か?」を突き詰めて考えることに取り組んでいただけたらと考えております。

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津田:人的資本の議論は、情報開示に偏ってしまいがちですが、開示だけに議論が終始するのはもったいないと思っています。人的資本経営の本質は、働く人の活性化・才能の開花です。個人的には、「やっぱり日本は世界で一番人を大切にしている・人材を活用している国だ」と言われるような状況を作りたいと思っています。

サステナブルなマネジメントモデルのもとで、一人ひとりがイキイキと働き、イノベーションがたくさん生まれている未来を作っていくことができれば幸いです。今後もこのテーマについては、守島先生にもご指導いただきながら磨いていきたいと考えております。

7)未来の企業経営に向けて

津田:理論的な部分はお伝えしてきましたが、未来の企業経営に向けて、具体的にどんなふうにしていけばいいのか。企業の実践事例・経営者は何をすべきか・個人の働き方について、お話できればと思っています。

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津田:まずは弊社、リクルートの取り組みを紹介させていただきます。左側にCuriosity(好奇心)右側にValue Creation(社会価値)。会社というのは、一人ひとりの好奇心を社会価値に変える場所だと私たちは考えています。そこから仲間ができ、社会価値につながっていく。

好奇心と社会価値が循環するエコシステムが、まさにリクルートの経営のあり方。これまでもそのようにしてきましたし、今後はさらに加速させていきたいと考えています。

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津田:こちらは、半期に一度行っているサーベイですが、自律・チーム・進化という3つの指標をモニタリングしています。自律はもちろん重要ですが、今のビジネス環境では自律だけでなくいろいろな知恵を組み合わせないと解決できないことが多いため、この3つを見ているのです。

活用の方法としては、エンゲージメントサーベイの結果をグループ平均・チーム平均で見ながら、将来のあり方をチームで対話していくという形です。まさにこれから社外に順次発表させていただこうという段階ですが、先行してお話をさせていただきました。

守島教授:好奇心をバリューに変えていくというプロセスを、人材戦略・人事戦略でサポートしていくというのは面白いですね。IT系の企業、マイクロソフトなどにも1on1・ノーレイティングなどの他、心理的安全性に関わる人事施策がたくさんあります。

単体で考えると人事施策ですが、働く人の心の部分をどう解放するか、それを会社のバリューに結びつけていくかという施策であるわけです。

昔、IT系企業でゴージャスな無料ランチが提供されるということが話題になりました。その目的は、心のマネジメントだったと思うのです。人的資本は心を持っている資源ですから、そういったことも含めて心をつかみ、活性化させる施策を行い、それによってイノベーションやアイデアが生まれていくという流れが作れます。そういう活動を、西海岸のIT系企業は積極的にやってきたと思います。

津田:では、企業経営者はまず何をすべきか。守島先生のお考えはいかがでしょうか。

守島教授:先ほど津田さんもおっしゃっていたように、企業によって人的資本経営のカギとなる要素は異なります。例えば石炭の採掘会社は安全衛生が重要です。その場合、投資家は「安全衛生」をキープするためにどのような投資・活動をしているかを見て、うまくいっていれば投資をする。安全衛生が保たれていれば、採掘量が上がっていくわけですから、企業バリューの向上につながっていきます。

IT系企業では、イノベーションが企業バリューの源泉になります。同じような形で考えて、自社のカギとなる要素を見つけ出し、会社の価値向上のために高めていく方法を考えていくべきだと思います。

津田:企業ごとに高めるべき人的資本が違うので、経営者が最初にやるべきことは「自社のバリューを高める人的資本のカギは何か?」を探すことですね。では、具体的にどう見つけていけばいいのでしょうか。

守島教授:ステークホルダーとの対話も重要ですが、私は働いている人との対話が重要だと考えます。従業員と対話をすれば、「バリューを生むための“ブロック”になっていることは何か?」が分かるからです。

津田:ありがとうございます。ここ最近で見事な企業変革をした事例として世界的に有名なのは、マイクロソフトですよね。経営者自ら従業員の前に行き、事業戦略を話して、彼らが何を考えているのかを傾聴する。あれだけの大企業がそうした姿勢を見せ、実行するというのは非常に印象的でした。

守島教授:マイクロソフトで、もうひとつ私がすごいと感じるポイントは、従業員の成長・学習に対するサポートの手厚さです。人的資本は価値向上と価値活用が両方大事ですが、価値向上を企業経営の重要指標に入れてしっかり投資し、学習した人に称賛を与えている。人的資本経営という意味で非常に素晴らしい事例だと思います。

津田:称賛が評価にも反映される、細かな制度設計がポイントになっているのかもしれません。日本でも取り組みをしている企業はあるはずですが、あまり注目を集めていません。なぜでしょうか。

守島教授:それは、大切にしてきた「働く人」が中年の男性ばかりだった時代にフィットしたものだったからです。今は「働く人」の実態が変わってきているのに、それにフィットしたソリューションがありません。先ほど方向性のひとつとしてジョブ型雇用を紹介しましたが、すべての企業にとって、それが答えかというと、それも議論が必要です。

津田:働く人の中身が変わってきているので、企業側は関わり方・引き出し方が変わってくることを理解して、人的資本経営を進めるべきということですね。先ほど個人の働き方にも言及いただきましたが、働く個人の第一歩としてはどうしていけばいいとお考えでしょうか。

守島教授:やはり、自ら学ぶことが重要だと考えます。今は、ひとつのビジネスが生まれ、なくなるスピードが速くなっているため、より経営スピードが加速し、企業が用意した教育だけではどんどん遅れていってしまうからです。

個人についてはキャリア自律やキャリアオーナーシップが重要といわれますが、私は「学習力」が足りないと感じています。学校改革についても先ほど触れましたが、日本の教育は「学び方」を教えていない点が問題だと感じています。

「新しいことを学ぶには何をすればいいのか」ということと、インターネットなどから適切に情報を収集し、面白そうなものを見つけて本を買って、学習する。それを個人が、自律的にやっていけるかどうかです。

津田:今回のモデルにも、セルフ・リスキリングという言葉を入れましたが、パッシプ(受動的)ではないプロアクティブ(積極的)な学びを得る力が、個人にこれからより求められてくるということでしょうか。

守島教授:そうですね。ただ、こういう議論になると必ずいわれるのが「ずっとパッシブな教育を受けてきた人が、急にプロアクティブにはなれないだろう」ということです。それも理解できますが、「ある程度自分で学んでいかなければ変わっていけない」という自覚はもって欲しいと思います。

また「抵抗する人は仕方がない」という議論も理解できますが、今後企業は「このままではいけない、変わっていかなければならない」というメッセージを送り続けるべきだと思いますね。

津田:SAPジャパンさんの事例で印象的だったのは、非常に多様性ある教育プログラムを用意されていて、自分で決めて学んでいけるようにしていることです。それに加えて、丁寧な1on1・リアルタイムフィードバックなども実施している点が素晴らしいと感じました。

 

【セミナーを終えて】
守島教授:本日皆さんに申し上げたかったのは、人的資本経営は情報開示だけではないということです。情報開示は重要な側面ではあるものの、その根底には人を戦略的に確保する・活用することが重要です。ただ、そのやり方は変わっていかなければならないので、これから皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

津田:リクルートは62年前の創業期から、「人を大切にする企業」と「働く人」双方を応援してきた企業で、自身も「個を活かす」マネジメントを磨き続けてきたことから、以前より人的資本経営というテーマに取り組みたいと考えておりました。

今回のレポートは企業側でしたので、今後は個人にフォーカスし、現在行っている大規模な調査を活かし、働く個人こそが企業の競争優位性を生み出す時代になるため、個人に向けた示唆を発表していければと思っています。

今回だけでなく、第二弾、三弾と新たな時代に向けた企業と人のあり方を考え、社会に示していければと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2022年3月24日「人的資本経営の潮流と論点 2022」レポート記者発表会より採録)

関連ページ
●2022年3月24日「人的資本経営の潮流と論点 2022」レポート記者発表会
●調査リリース「人的資本経営の潮流と論点2022」他
●人的資本経営の潮流と論点 2022
●人的資本経営と人材マネジメントに関する人事担当者調査(2021) 第3弾:人的資本の価値を高める3ステップの提案 従業員の自律を促し「変化対応力」を育む要素を解説
●人的資本経営と人材マネジメントに関する人事担当者調査(2021)第2弾:「人的資本経営」の実践に向けた課題
●人的資本経営と人材マネジメントに関する人事担当調査(2021)第1弾:「ISO30414」に基づいた主要11領域の調査結果

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

守島基博(もりしま・もとひろ)

学習院大学 経済学部経営学科 教授 / 一橋大学 名誉教授

人材論・人材マネジメント論専攻。1980年慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会研究科社会学専攻修士課程修了。86年米国イリノイ大学産業 労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・人的資源論でPh.D.を取得後、カナダ国サイモン・フレーザー大学経営学部助教授。90年慶應義塾大学総合政策学部助教授、98年同大大学院経営管理研究科助教授・教授、2001年一橋大学大学院商学研究科教授を経て、2017年4月より現職。20年より一橋大学名誉教授。主な著書に『人材マネジメント入門』『人材の複雑方程式』『21世紀の“戦略型”人事部』『全員戦力化 戦略人材不足と組織力開発』『人事と法の対話』などがある

津田 郁(つだ・かおる)

リクルート HRエージェントDivision顧客ロイヤルティ推進部 リサーチグループ マネジャー/研究員 

2011年リクルート海外法人(中国)入社。グローバル採用事業『WORK IN JAPAN』のマネジャー、リクルートワークス研究所研究員などを経て21年より現職。現在は労働市場に関するリサーチ業務に従事。専門領域は組織行動学・人材マネジメントなどの組織論全般。経営学修士

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