古き良き日本文化に惹かれ、日本に帰化したスウェーデン人庭師

古き良き日本文化に惹かれ、日本に帰化したスウェーデン人庭師

文:高山裕美子 写真:斉藤有美

「グローバル人材」の必要性が日本国内で叫ばれているが、グローバルに働くというのは具体的にどのような働き方、姿勢を指すのだろう。個別例を見ていくと、その在り方は実にさまざまで、パーソナルなものだ。今後の連載では、市場や職場において日本に縛られることなくグローバルな視点をもって仕事をしている人々を紹介していきたい。

高校生の時に日本にホームステイし、「わび・さび」に代表される日本独自の美意識に心奪われた、スウェーデン人のヤコブ・セバスティアン・ビヨーク(Jakob Sebastian Björk)さん。22歳で再来日し、日本の文化、美学を学びたいと、庭師になることを決断。現在は愛知県でベテラン庭師の親方に弟子入りして、修業に励む毎日だ。昨年の7月には日本に帰化し、村雨辰剛という名前になった。

プライベートでは和服を着、落語を愛し、日本酒には目がなく、カラオケでは北島三郎の「故郷」を歌う。27歳のイケメンすぎる庭師に帰化を決意させた、日本文化の魅力について話を聞いた。

日本の古い文化に憧れた子ども時代

― 生まれたのはどちらですか?

スウェーデン南部のマルメという都市のそばの田舎町です。

― どんな子どもでしたか?

小さい頃から、古いものや伝統文化に興味がありました。スウェーデン人が伝統や文化を大切にせず、新しいものを次々と取り入れることに違和感を感じていました。悲しかった。いつか、自分の国とまったく異なる環境の場所に行ってみたいと思っていました。

― それが日本だったんですか?

最初はアジアで調べていたのですが、日本が一番、気になったんです。島国ですし、日本には独自の文化があり、それが魅力的だったんですね。でも、自分が住んでいるところには、ほとんど日本の情報がなかった。本屋で辞書を探しましたが、それすらもありませんでした。日本語を勉強したくてもできなかったんです。それで、ネット上で知り合った日本人にチャットで日本語を教えてもらったりして。それがきっかけで友だちとなり、「日本においでよ」と誘われ、16歳の夏休みに逗子と横須賀に3ヶ月滞在しました。さんざん調べていたので、憧れていた日本に対して、想像と現実ではそんなに大きなギャップはありませんでしたね。歴史的な建造物など、古い日本文化に触れていると居心地がよかった。特に惹かれたのは、「わび・さび」という考え。古いものや自然のものに価値を見いだしている。そういった感覚的な美意識が素晴らしいと思いました。日本に住むことはその時にすでに決めていましたね。

― なぜ、庭師になろうと思ったのですか? もともとガーデニングには興味があったのでしょうか?

ガーデニングには、まったくといっていいほど興味はありませんでした(笑)。21歳の時に英語とスウェーデン語の教師として再来日を果たし、将来的には日本の文化に携わる仕事がしたいと思ったんですね。日本庭園には日本独自の美意識が生きている。「これだ!」と思って、23歳の時に弟子入りをお願いしました。真夏だったんですが、初日に熱中症で倒れて病院に運ばれたんです。このままだと迷惑をかけてしまうと思って、1日目で「辞めます」と親方に伝えました。けれどもその後、辞めたことをずっと後悔した。1ヶ月後、僕の後に入った若い人が辞めたと聞き、親方に「もう一度、チャンスをください」と頼み込みました。そうしたら親方は雇ってくださったんです。

― マンションが増えたこともあって庭自体が減り続けており、庭師の需要は小さくなっています。加えてハードワークということもあって、継承者も少なくなっています。

弟子入りを決めた時は、「やりたい!」という思いでいっぱいだった。先の不安よりも、可能性を信じていました。仕事は厳しかった。野外での仕事ですから天候に左右されますし、冬は寒いし、夏は暑い。重いものを運びますから体力的にもハードです。親方、兄弟子など上下関係も絶対です。けれども、日本のそういった徒弟制度は僕にとっては憧れでした。日本に多くの伝統文化が残っているのは、この制度があったからだと思います。ヨーロッパにも中世の頃にはありました。でも今ではほとんど残っていません。スウェーデンでは、大工になるには専門学校に進んで技術を学びます。徒弟制度とは異なりますね。

スウェーデン人庭師。庭師になろうと思ったきっかけ。

伝統文化を継承するための徒弟制度

― どのようなところが、徒弟制度は優れていると考えますか?

毎日、親方のやっていることを近くで見ていると、特別な人間関係ができてくると思うんです。深い"絆"のようなものが生まれる。親方はその文字の通り、本当に「お父さん」のような存在です。仕事以外でもなんでも相談させていただいていますし、親方に育てていただいているという実感があります。兄弟子も面倒見のいい兄のようで、まるで家族みたいです。専門学校では技術を学ぶだけですが、こういった徒弟制度は精神面でも成長させられる気がします。

― 庭師の修業はどのようなことをするのでしょうか?

現場は8時からなので、会社には7時に行っています。日が暮れたらその日の仕事は終了です。見習いから始めて、1年目はずっと掃除でした。掃除しながら親方や兄弟子の仕事を見て、覚えていきます。2年目からははさみをもたせてもらえました。間違った切り方をするとすごく怒られますね。一人前になるには5〜10年といわれます。クロマツを自分一人で手入れできるようになったら一人前ともいわれていますね。また、国家試験に造園技能士の資格があり、今、1級を目指しています。高いところに登って、木を切るのはまったく怖くないです。田舎で育っていますし、木登りが好きでしたから。木の枝に体重をかけて、バランスを取りながら木を切っていきます。

― 仕事で初めての家にお伺いする時に、村雨さんの姿を見て驚かれる方もいらっしゃるんじゃないですか?

大抵の人は驚きます。申し訳なくなりますけど(笑)。お伺いした家の奥様が休憩時間に飲み物を用意してくださることがあるんですが、親方と兄弟子はお茶で、僕はジュース、ということもあります。多分、外国人だからだと思いますが、僕自身はお茶のほうがずっと好きなんです(笑)。でもそういう心遣いは日本人しかできないことだと思います。一番うれしいのは、僕の仕事を見て「外国人なのに上手だね」とか、「仕事が美しいね」といわれることですね。

― 庭師の魅力とはどのようなところでしょうか?

庭師、といっても、庭もいろいろあるので幅広いんですが、私が目指しているのは日本庭園を担う庭師ですね。日本古来のセンスと関わりながら仕事ができることが何よりも魅力です。日本では木を形で見て、美しい枝ぶりなど型が決まっているんですね。どうやって剪定していくか、形を整えていくかが重要です。一番、大切なのはお客さんの希望ですね。普段、時間ができるといろんな庭を見て勉強しています。京都は「わび・さび」の文化が生きた茶庭が多いですし、石庭が独特な龍安寺など見所がたくさんあります。島根県の足立美術館にも足を運びましたが、とても美しかった。それぞれに魅力があり、知れば知るほど奥が深い。木を切りながら、(昔の人は庭を見ながら歌を詠んだのかな)と想像したりして、自分が今、やらせていただいていることのありがたさを感じています。

スウェーデン人庭師。庭師の魅力。

― 昨年の6月に日本に帰化されました。

自分でも説明するのが難しいんですが、最初に日本に来た時からどこか落ち着くというか、日本が合っていたんです。生涯を日本で過ごしたいと。今では、スウェーデンに1週間も帰国していると、味噌汁が飲みたくて仕方がなくなります(笑)。

― 村雨辰剛という名前はどこからつけたんですか?

帰化できたら日本名が欲しいと思っていました。どんな名前がいいか、ずっと考えていましたが、自分で自分の名前をつけるのには抵抗がありました。お相撲さんは親方に名前をつけてもらいますから、自分も親方に名前をつけてもらおうとお願いしたんです。最初は「責任が重すぎる」と断られたんですが、親方のお父さんが村雨さんといって、作家のような名前でかっこよかったのでこれにしようと。『南総里見八犬伝』に出てくる架空の日本刀の名前が村雨なんですよね。ただ、僕の人生が名前負けしないようにしないといけないなぁと(笑)。辰剛の辰は自分が辰年ということから、剛は親方の名前から勝手に取りました。最近は自然に自分の名前がいえるようになりましたね。

― 日本の同世代の人たちとは対照的に、盆栽などシブい趣味をお持ちですよね。

盆栽のほかに生け花も習っています。日本古来の美意識に関わることに興味があります。あとは歴史が好きで、日本の歴史ものの映画や大河ドラマを見ています。一番好きな時代は戦国時代で、武田信玄に憧れます。上杉謙信と敵対していたのに、武田信玄が亡くなった時に上杉謙信が悲しんだという話が、人間くさくていいですよね。着物が好きなので、着る機会を作るために落語に出かけたりしています。古典の落語はわからない内容もありますが、繰り返し聞くことで段々、わかってきて楽しいです。あとは体を鍛えているので、トレーニングも日課にしていますね。

― 今後、挑戦したいと思っていることは?

茶道は日本庭園と密接な関係にあるので、やってみたいことの1つです。庭師はみな、茶道と華道をやらなくてはならなかった時代もあったそうです。生け花は木の切り方が一緒なので、繋がっていますしね。

― Twitterではまるで日本人のようにいろいろ呟いていますね。「『天城越え』大好き」とか、「苺大福うまい」とか、「日本のカジノは肩脱ぎの姐さんの丁半博打にすべき」とか。

はははは。演歌は大好きなんですよ。北島三郎さんの「職人」とか、心に染みますね。僕自身はあまり歌はうまくないんですけどね。

― 今の日本に対して思うことはなんでしょうか?

日本は今後、独自の文化をもっと大切にして、いいものは残してほしいと思います。古いものを壊してしまうと、2度ともとには戻りませんから。私が感じる日本の良さを、Twitterでもなんでも発信しきたいと思っています。日本人は相手を思いやる気持ちや気遣いがすごい。そういったことも、日本を愛してやまない理由のひとつですね。

スウェーデン人庭師。村雨辰剛さん。

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