過疎化が進む地域に人材と活気を。成功のカギは「創造的過疎」にあった

過疎化が進む地域に人材と活気を。成功のカギは「創造的過疎」にあった

株式会社プラットイーズのサテライトオフィス「えんがわオフィス」 

写真/生津勝隆 文/岡田カーヤ 

過疎化、少子高齢化、雇用、農業や林業の後継者不足など、日本の多くの中山間地と同じ問題を抱えている徳島県神山町が、地方創生の成功事例として注目を集めている。過疎化をただ眺めているのではなく、クリエイティブで多様性のある働き方を推進する「創造的過疎」。

神山町がその言葉のもと地域づくりを行ってきた結果、若い世代の移住者が増えるとともに、2010年にたった1社の東京のITベンチャーから始まったサテライトオフィス移転は2017年現在までに16社にまでなった。地域に活気が生まれると、さらに新しいことにチャレンジしたい人が集まり、レストランやカフェ、宿泊施設などのサービスが相次いで誕生している。

人口およそ5,500人で、町の全面積の8割が山地という典型的な中山間地である神山町へ、どうして多くの企業が集まり、若者たちが移住を決めるのか。そのヒントを探った。

大南さん
大南信也さん

多様性を受け入れた「開かれた町」をつくる

中山間地にあって決して交通の便がいいとはいえない神山町は、どのようにして"選ばれる町"となったのだろう?その理由を神山町のキーマンであるNPO法人「グリーンバレー」理事長の大南信也さんに尋ねると、「それはワクワクする雰囲気があるからじゃないですか」と屈託なく答える。

大南 信也(以下・大南)「これまでは行政側がつくったプランを住民たちがやるというのが普通のパターンですが、近い将来"住民自身が企画して運営する時代"がくるだろうと考えていました。そのためには、現在から未来を見るフォアキャストではなく、未来から町の姿をイメージするバックキャストに視点を転換して、今すべきことを取り組むことにしたんです」

そこから生まれた活動のひとつが「神山アーティスト・イン・レジデンス」だった。毎年3人のアーティスト(うち2人は外国人)を神山町へ招聘して、アート作品を住民と一緒につくりあげていくプログラムを1999年から実施した。観光資源にするためだけに作品をつくるのではなく、住民たちがアーティストのサポートをすることで、お互いに関係性を構築。2〜3年すると、神山町の環境が気に入ったアーティストの中から移住希望者が現れたため、古民家を探す手伝いをするうちに、移住に関するノウハウも蓄積されたのだという。

大南「アートが神山にもたらしたものは、"多様性"であり"寛容性"だと思います。神山の町民は、おかしなものをつくるアーティストを最初は"変わった人"と見ているけれど、長い期間一緒にいると"ひとりの人間"として見るようになる。さらに、一緒に動き始めると最初は"無駄なもの"として見ていたアートを、おもしろく感じ、ああいうものがあってもいいなと思うようになる。すると、町の中に多様なものを受け入れる寛容性ができあがるから、結果的に人が出入りしやすい町になってきたと思うんです。最初の発想は"アーティストが常に行ったり来たりする町はおもしろいやろうな"くらいのぼんやりしたイメージだったんですけどね」

神山町にもシリコンバレーのようなワクワク感を

こうした活動はもともと「神山町国際交流協会」として有志で集まったメンバーで活動していたが、2004年にNPO法人「グリーンバレー」へ改組。実績がかわれ、神山町移住交流支援センターの運営を受託されるようになる。これを機に町が必要とする業種や起業家を逆指名して移住を促すプログラム「ワーク・イン・レジデンス」がスタート。2010年に第一号となる東京のITベンチャーがサテライトオフィスを神山町に構えた。これをきっかけに、過疎化による人口減少は不可避ではあるが、外部からのクリエイティブ人材の誘致や、サテライトオフィスやコワーキングスペースをつくり多様な働き方を提唱することで、働く場としての価値を高めていくなど、農業や林業に頼らないバランスのとれた地域づくりを行うという「創造的過疎」の考えが神山町に広がっていった。

コワーキングスペース
コワーキングスペースの様子

大南「足りない職種を集めていったら、いろいろな人が集う新しい町が生まれるんじゃないかという思いで始めたわけです。これはこれからの町をつくっていくために必要なプロセスでした。僕自身は、これまで未来を描くとき具体的な形として決めこまず、ぼんやりと"ワクワクした町"を思い描いています。ちょうど、アメリカでシリコンバレーが生まれたときのように」

1977年から1979年までカリフォルニアのスタンフォード大学大学院に在籍した大南さんは、シリコンバレー創世記に、新しいことが生まれそうな胎動を感じながら2年間を過ごした。その経験は代えがたいもので、農地ばかりで"なにもない場所"であっても、クリエイティブな人材さえ集めれば、なにか新しいことを起こせるとわかるには十分な時間だった。そのイメージを神山町にも重ねている。

大南「なにかが起こりそうだという予感があるから人は集まる。そういう人が集まるから、イノベーションが起こる確率はさらに高まる。ひとりでできることは限られているけど、複数になればなるほど知恵の交換が起こり、自分だけではできなかったことも解決できるという状況が起こってくる。だからまずはこの場所に"可能性を見出している人"を集めて、最初の"核"となるものをつくる必要があったんです」

いくつかの核ができたら、そこでいろいろなことが起き始める。2010年に厚労省の就労支援事業としてグリーンバレーが始めた「神山塾」も人材が集まるきっかけとなった。神山塾の受講生は、半年間、神山町の空気に触れながら滞在して、棚田の再生やアート事業などのプログラムに携わる。受講生が卒業後、神山町へ移住を決めることも少なくない。現在、神山町で営業しているオーダーメイドの靴店や惣菜店も神山塾の卒業生だ。

地域内で経済を循環させることが、地方創生の本質

2008年、等身大の神山を伝えるwebサイト「イン神山」に移住情報の掲載をはじめた。それをきっかけに、神山に興味をもつ人は増えて、移住者が徐々に増加していった。

2013年に有機野菜とフランスの自然派ワインを扱うビストロ「カフェ・オニヴァ」を開業した齊藤郁子さんもそのひとり。東京のIT企業に勤務していたが、神山の人と自然に魅せられて移住を決意。東京と神山を行き来しながら元造り酒屋の改装を進めオープンに至る。

カフェ・オニヴァ外観
元造り酒屋の建物を改修した、カフェ・オニヴァの建物

身体に良くて美味しいものを追求するだけでなく、薪ボイラーを入れたり、床暖房や給湯のためのエネルギーを地元の杉の間伐材で賄うなど持続可能なライフスタイルを実践。また、4人のメンバーの働き方にも工夫を凝らす。週休3日を実践し上下関係のないフラットな組織を作り、夏場は1ヶ月休暇を取りチーム全員でヨーロッパのワインの生産者を訪れてたり、美味しいものを食べ歩いたりと体験を共有する。冬場は3ヶ月休暇を取り、それぞれのプロジェクトに取り組む時間をつくる。「人はアウトプットだけではなく、インプットも必要。10年、20年後、どのように生きていきたいかチームでもよく話しあいます」と齊藤さんはにこやかに笑う。「いま興味をもっていることは、美しい里山暮らしの文化を引き継ぎ、次世代に繋げていくこと。山の中にフィンランド式のサウナを作ったり、馬を飼ってみたいと思ってます」

カフェ・オニヴァ
カフェ・オニヴァにて、スタッフの皆さん

同じく2013年、東京・恵比寿に本社を構える映像のシステム開発を手がける「プラットイーズ」がサテライトオフィスを開設。築90年の空家を改修した「えんがわオフィス」には、神山町や徳島市出身者などの雇用者も含む20人のスタッフが働いている。広報の橋本敏和さんはいう。「サテライトオフィスの候補地を探していたとき、うちの代表がたまたたま訪れた神山で、大南さんと話して"ここにオフィスがあったらおもしろいかな"と即決。私自身、東京から移住してきましたが、ストレスなく気持ちよく働いています」

今後は、地域にねざした取り組みとして"地域アーカイブ"事業に力をいれていく予定だという。四季のうつろい、昔から続く祭り、人々の営みなどを4Kカメラで撮影。映像に残して未来へと伝えたいと考えている。

農作業
えんがわオフィススタッフ

2016年にスタートした「フードハブ・プロジェクト」は、こうした創造の循環から生まれた大きな動きだ。次世代の農業者の育成をしながら、自社の畑で有機野菜を栽培。食堂「かまや」と併設の「かまパン&ストア」で地域の食材をつかった食事の提供と加工品の開発も行う。このプロジェクトは神山町にサテライトオフィスをおくweb制作会社モノサス、神山町役場、神山つなぐ公社が共同で立ち上げた。「ターゲットは町の人。これまでは都会の不特定多数に届けていた野菜を、神山の人たちで食べることで農業を支え、地域でお金をまわしていく取り組みです」と農業長の白桃薫さんはいう。

地域内にサービスが生まれれば農業が元気になる。農業は美しい景観をつくり、その景観は観光客を呼び寄せ、レストランや小売などのサービスが必要とされて、新たな人の流れと経済循環が生まれる。
過疎地域において人口減少は避けられないこと。けれども多様性を受け入れながら、地域の課題を創造的に解決して新しい循環を生み出してきたこの町では、新しいことが始まりそうな楽しげな雰囲気がそこかしこで感じられた。

かまや商品
フードハブ・プロジェクトのオリジナル商品「カミヤマメイト」やシロップなど

大南「普通、農産物は食材として都市部へと出荷します。すると地域に残るはその代金だけ。農産物のブランド化に成功したら、1,000円だったものが2,000円になるかもしれない。でも、その材料を使った料理は都市部では1万円の価値として提供されている。なぜかというと、そこで付加価値としてサービスが発生するから。今までの構図でいけば、地域は生産基地でしかなくサービスという付加価値がありませんでした。せっかく農業、林業、漁業で稼いだお金が、サービスを買うために地域外に流出してしまっていたんです。サービスがないばかりに経済が活性化しなかったのなら、地域内につくるしかない。最終的に目指すところは農産物単品のブランド化でなしに、"循環のブランド化"だと思う。そうすれば経済効果がいろいろな場所に及んでいく。地域内でどのように経済を循環させるかこそが、"地方創生の本質"だと思っている」

かまパン
フードハブ・プロジェクトが運営する「かまパン」

プロフィール/敬称略

大南 信也(おおなみ・しんや)

1953年徳島県神山町生まれ。米国スタンフォード大学院修了。青い目の人形アリスの米国への里帰りを契機に国際交流から地域づくりをスタート。アーティスト・イン・レジデンスなどを実施。2004年設立のグリーンバレーで移住促進やサテライトオフィスの誘致を進める。神山に集うクリエイティブな人たちや住民が一緒になって、経済を含めた循環する町を目指し活動している。

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