『自分で仕事をつくりだす』 健康に暮らし生きることが、仕事になる。それがナリワイという生き方だ

『自分で仕事をつくりだす』 健康に暮らし生きることが、仕事になる。それがナリワイという生き方だ

写真/佐坂和也 文/小山和之

「個人で元手が少なく多少の特訓ではじめられて、やればやるほど頭と体が鍛えられて技が身につき、ついでに仲間が増える仕事」——。伊藤洋志さんは、それを『ナリワイ』と呼ぶ。面白さ、健康、最後にお金といった優先順位で、自分が生きるなかで必要なものを仕事にし、直接的に生活を充実させる。そんなナリワイをつくりだす、伊藤さんの働き方について伺った。

本記事は『働き方変革プロジェクト』サイトに掲載された記事を転載したものです。

モンゴルに行きたかったから、モンゴルツアーの仕事をつくった

ー どうしてナリワイと言うようになったんでしょうか?

ビジネスではない『仕事』をつくりたいと思っていたからです。ビジネスはbusyが語源です。忙しいというのは嫌だなと、考え方を変えるにはまず言葉を変えようと、ナリワイという名前を付けました。

ー ナリワイとはどういう仕事を指しているんですか?

具体例をあげると、ナリワイの第一号はモンゴルのツアーです。モンゴルの暮らしや文化、遊牧生活を体験するというツアーです。2007年7月に1回目のツアーを行い、もう20回目くらいになります。

モンゴルツアーの様子

ー なぜモンゴルのツアーだったんですか?

僕がモンゴルに行きたかったからです。自分はどのみち行くので、じゃあ、ほかの人も行けるように間口を広げようと思って始めました。自分が生きるなかで必要なものを仕事にする。仕事で生活を充実させて、ついでにお金も稼ぐという感覚です。

学生時代に、モンゴルの遊牧民のための『モンゴル非電化プロジェクト』にボランティアで参加したのをきっかけに、モンゴルへ年に1,2回行くようになりました。そこから会社を辞めた頃に、そのプロジェクトの現地パートナーのモンゴル人起業家バギーさんに「遊牧民の文化を学べるようなツアーをやってはどうか」というお話を提案しました。当時、既存の旅行代理店のツアーにはそういうものがなかったので、じゃあやりましょうと、その年の冬から準備を始めました。

それまで3年間で3回モンゴルに行っていたので、企画の準備は知らない間にできていました。テーマを決めたり、旅行代理店と調整をしたり、2007年5月にウェブサイトを立ち上げたり。2007年7月の初ツアーは、参加者17人。半分は知り合いでしたが、半分はウェブサイトを見て応募してくれた人。こんなに集まるのかとびっくりしましたが、ものすごく喜ばれてこれは仕事になった! と思いました。

伊藤洋志さん

いろんな仕事をちょっとずつ。そんな働き方の方が自然

ー もともとは、会社員だったんですね。

歯科の人材紹介サイトの運営をする、東京のベンチャー企業に新卒で入社しました。そこで求人雑誌の立ち上げを担当することになったんですが、終電まで働く日々で、肌荒れが酷くなり、毎晩アイスクリームを食べないと眠れなくなってしまいました。ストレスが溜まっていたんでしょうね。創刊号ができて黒字化したのをきっかけに、入社11ヶ月で会社を辞めました。

ー 会社を辞めて、どうされたんですか?

大学では農学部だったんですが、そこで農業や林業を見ていて、現在の仕事のあり方に疑問を持っていました。日本は戦後、会社に就職しひとつの仕事に専念するような社会になりましたが、もともとはそうじゃなかった。今でも農家で夏は稲作、冬は酒づくりなど、副業や兼業は普通にあります。そんなふうに複数の仕事をちょっとずつするほうが自然なんじゃないかと思い、たくさんの仕事をつくりたいと考えていました。

私が新卒で就職したときはちょうど就職氷河期と呼ばれた時代で、ニートが社会問題として話題になっていた頃でした。そのときに考えたのは、ニートは怠惰だ、矯正が必要だと批判されるのがおかしい。就職して会社で働くというスタイルに合致しないだけの人も少なくないだろうということ。そしてその人たちの受け皿のようなものが必要だろうということです。

ー それからどういった活動をはじめたのですか?

まずは仲間を作ろうと思いました。というのも、僕は就職とともに東京に来たのですが、1年住んだのに東京の友達がひとりもいなかったんです。そこで世田谷ものづくり学校で開かれていた、社会人向けの講座に参加しました。そこには、同年代の生徒が30〜40人いたのですが、それぞれ何かしらの専門を持っていました。そこで僕は、それぞれの専門性を組み合わせて何かできないかと考えはじめました。

そこから、学校の比較的近くに大きめの家をシェアハウスとして借りて、そこにみんなが集まれるようにしたんです。2階建て庭付き4DKの古い一軒家で、家賃は15〜16万円。それを4人で借りました。そこに集まってご飯会をしたり、人を呼んできてイベントをやったり、ギャラリーとして展示をしたりといろいろな活動に活用しました。2007年のことです。

ー その年の7月に、最初のモンゴルのツアーを開催したんですね。会社員を辞めて、不安はありませんでしたか?

とにかく、仕事をどれだけ作っていくか、しか考えていませんでした。モンゴルのツアーは年2回が限界です。それ以上やると自分が楽しめなくなってしまう。じゃあ、次に何をやろうと、不安になる前にとにかく手を動かすしかないとやっていました。

『余っているもの』『無駄な支出』『人の特技』を組み合わせる

ー 何かをやろうというナリワイの『種』は、どのように見つけるんですか?

人と話しているときに、この人が持っている問題点は、別の友だちのこの人を連れてきたら一瞬で解決するんじゃないかと思うことがありますよね。

活用されていないものや人の能力といった、余っているものが世の中にはたくさんあります。また、社会の中には無駄な支出がたくさんあります。僕の考える『無駄』というのは、たとえば寝るためだけの家に払う家賃などです。それらを日常的に探しています。そこに、自分やほかの人の特技を組み合わせて、どう解決するかを考えています。

この3つを組み合わせると、だいたい仕事になります。『無駄な支出』のあるところには、そもそもお金が投入されています。そこに代替案を提示すれば、それで仕事になります。

ー モンゴルのツアー以外で、どんなナリワイがありますか?

モンゴルのツアーの次に始めたのが、田舎でパン屋さんを開業するための学校です。それから、京都の貸し別荘。床張りワークショップ。農家の農作物のネット販売と農家体験などです。

床張りワークショップの様子

ー 田舎でパン屋さんを開業するための学校は、なぜ始めたんですか?

これは、和歌山県熊野古道のパン屋さんに泊まり込みで行って、パン屋さんのおじさんから、パンづくりから経営、生活までを学ぶ、1週間の講座です。おじさんは、小麦から自分で作って、廃校でパン屋さんをやっています。参加者の中には製パンの専門学校に通っている人もいましたが、「土釜でパンを焼くのは学校では教えてくれない」といいます。参加者の多くは、本気で田舎でパン屋さんをやりたい人たちですね。

パン屋さんになるための専門学校は年間だいたい100〜200万円の学費がかかりますが、田舎でパン屋さんを開きたいと思っている人に必要な情報は教えてくれません。そういった観点では『無駄な支出』になってしまう。専門学校に行くよりも、田舎で実際にパン屋さんをやっている人の所で教わったほうがいいんです。

熊野古道でパン屋さんをやっているおじさんとは、学生時代に僕が懸賞論文に応募したことがきっかけで知り合いました。田舎に関する論文を、自腹で懸賞金を出して募集しているちょっと変わった方なんですよ。それに僕が応募しました。会社を辞めた時に、辞めましたと報告をしたら、「熊野古道まで交通費を出すから、懸賞論文の審査委員をやらないか」と誘われました。それで熊野古道へ行ったら、今度は「田舎に若者を連れてくるツアーはできないのか」と(笑)。

働き方を変えるための選択肢をつくる

ー 伊藤さんは友達が多く、コミュニケーション能力が高そうですね。

そんなことはないですよ。(笑)単に友達が増えるような仕事しかしていないだけです。実際、会社員時代の営業成績は悪かったですし、異業種交流会みたいなものに参加すると、いつもほとんど話せないで帰るくらいです。でも、人と仲良くなりやすい状況ってありますよね。例えば、一緒に床を張っていたら、自然と会話が生まれます。そういう状況をつくるようにしています。それにナリワイで提供しているサービスは志向性が近い人しか反応しないものばかりで、価格も内容に対してかなりお得なので見つけたお客さんもラッキーです。

ー 伊藤さんの仕事のつくり方は『犬も歩けば棒に当たる』のように、これがおもしろそうとやっていたら、いつの間にか仕事になっているというものなんですね。自分もやってみたい、という人がいたら、どうしたらできるようになりますか?

トレーニングをすることです。先ほどの『余っているもの』『無駄な支出』『誰かの特技』の3つを頭のなかで収集して、ひたすらデータベース化します。そして、日常生活の中で、「これは無駄だな」といったことを考えていきます。例えば、農家では梅を1キロ150円で出荷するのにスーパーでは1キロ1000円で売っているのを見たら、おかしいな、と思いますよね。じゃあどうしようか、とそこに頭を使います。

ー 生活の気付きが仕事になるんですね。

勝手にやっている研究活動のようなものです。現代社会で考えられる、個人のための新しい仕事の仕方を考えているという意識で、自分が実践してみて、そういう事例が積み重なって文化として残っていけばいいなと思っています。例えば、現代の農家が収穫したものを直接インターネット販売をするというのは、江戸時代の農家が問屋を通さず行商するのと同様の仕組みです。そういった残っていく仕事の仕方を考えていきたいですね。

ー ナリワイを通じて、個人の働き方を変えようとしているんでしょうか?

変わるための選択肢を作れればいいと思っています。全員がやる必要はないけれど、もしやりたい人がいれば、真似しやすいようなモデルを作っていければと。例えば、僕が好きでやっているモンゴルのツアーは、『ある土地へみんなで行って、その土地の生活技術を学ぶ』ツアーのモデルになります。出発前にミーティングしてグループメールで事前にやりとりをして、現地へ行って技術を学ぶ、というやり方は確立している。それを、タイの山岳民族の村で実践している人がいます。その人は、会社を辞めて、僕の所に相談に来て、一緒に企画しています。こんなふうに様々なナリワイを確立し、やりたい人が応用できる事例を増やしていければ、いろいろな人の生活がおもしろくなるのでは、と思っています。

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