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【前編】パラリンピックを目指す社員の想いが生んだ支援制度 リクルート村上慶太・榎本智幸

Recruit , 人材活用 , 人材育成 , 働き方 , 多様性

文:東美希 写真:須古恵 (写真は左から、村上、榎本)

自分に合った働き方をするために、会社を変えるという方法もある。そのために社員個人はどう動くべきなのかーー「アスリート支援制度」ができるまでの軌跡から必要な過程を紐解く。

株式会社リクルートオフィスサポートは、障がい者雇用の促進を目的とするリクルートグループの「特例子会社」。2008年入社 の村上慶太はパラリンピック出場を目指す車いすバスケットボール選手だ。同社のアスリート支援制度を利用して会社員としての業務に取り組みながらパラリンピック出場を期している。

リクルートオフィスサポートのアスリート支援制度は、週の2.5日は出社、残り2.5日は競技活動に取り組めるというシステム。スポーツ選手としてもビジネスパーソンとしてもキャリアを積み、選手生活をリタイア後も働き続けられる制度になっている。

実はこの制度はトップダウンで作られたものではなく、「パラリンピックに出場したい」という村上自身の想いをきっかけに生まれたもの。社員個人の夢がどのようにして会社の制度として採用されるに到ったのか、その経緯を村上と同社コーポレート部門の榎本智幸が語った。

村上慶太さん

フルタイムで働きながら競技を続け、強豪チームへ移籍

19歳の頃、交通事故で車いす生活に。もともとスポーツが好きだった村上は、車いすであっても体を動かしたいという想いから、水泳やロッククライミング等、様々な障がい者スポーツにチャレンジしたという。数ある競技の中から、車いすバスケットボールにのめり込んだ理由は、「一番難しかったから」。思ったようにプレイできないことが悔しく、練習を重ねるうちに夢中になっていった。

期を同じくして、当時通っていた職業訓練校の先輩の勧めもあり、障がい者雇用を促進する特例子会社リクルートオフィスサポートに入社。働きながら、車いすバスケットボールを続けた。

村上 入社した頃は、サークルのような車いすバスケットボールチームに所属していて、まだ趣味の範疇だったんです。なので、仕事が終わった後に埼玉にある体育館まで行き、1時間程度練習するのがやっとでした。今思えば、そのときに「もっと早く帰りたい」と、当時の担当マネージャーだった榎本さんにお願いしたのが、そもそもの始まりかもしれません。

榎本 「新人でまだ仕事もこれから学んで自立していくタイミングなのに、趣味のために早く帰りたいなんてどういうことだ?」と彼の気持ちは知りつつも疑問に思っていました。

村上 そうですね、覚えがあります。もちろん早く帰してもらうことは叶わず、フルタイムで働きながら練習に参加していました。それでも、チームの中ではよいポジションに行け、試合にも出場できた。けれど、所属チーム自体がそれほど強いチームではなかったため、試合に勝てなかったんですよね。僕は車いすバスケットボールで勝つ喜びを知らなかった。知りたい、もっとバスケットボールに本気になって、上を目指したいと思い、1年かけて強豪と呼ばれるチームに移籍しました。

村上慶太さん

壁となったのは「働き方」

フルタイムで働きながら能力を伸ばし、チーム移籍も叶った。順調に選手としての成長を果たしている村上だが、さらに彼自身の働き方を考えるきっかけとなったのは、同じチームに所属しているプロアスリート選手との練習時間の差だという。

村上 移籍したチームにはプロアスリートが数名在籍していました。会社に所属し、仕事として練習ができるという雇用形態のアスリートです。つまり、僕が会社で働いている間も、プロアスリートの人たちはずっと練習をしているということです。仕事を終えてから練習に向かう僕とは、練習量の差は圧倒的でした。その状況で、彼らに追いつけるはずがない。でもどうにか追いつきたくて、有給を利用したり、一緒に働くメンバーに協力してもらったりしつつ、早く帰れるように業務フローを調整して練習に参加していました。当時はまだ制度を変えたい、作りたいとは考えておらず、自分のやれる範囲で工夫してなんとかしようとしていました。

榎本 当時、私は彼とは違う部署に異動していたので「仕事もバスケも頑張っている」という噂を聞く程度でしたね。周りの社員も協力的だったようです。

競技への強い想いが支援制度提案のきっかけに

個人のできる範囲で働き方を工夫して練習に参加する日々。がむしゃらに仕事と競技活動を両立させる中で、「もっと練習がしたい」という気持ちは日に日に大きくなり、社内のあちこちでアピールするように。会社に制度として支援を提案することになったのは、上司からの勧めがきっかけだった。

村上 あるとき、社内の懇親会があり、社員全員の前で話す機会をいただけたんです。テーマは「5年後、10年後の自分に向けたメッセージ」。なんとかトレーニングの環境を整えたいと思っていた僕はアピールの場になると考えてその話をしました。

榎本 私もそのスピーチを聞いていました。しかし、かつて「早く帰りたい」と言われた時と同じで、やはり彼のバスケットボールは趣味の範疇、という認識は変わりませんでした。

村上 スピーチをしたあたりの時期は、とにかく「バスケの練習がしたい!」と積極的にアピールしていました。懇親会のあと、折角のチャンスだから!と、社長に直談判もしましたが、すぐに何かが変わるということはありませんでした。

その後、「キャリアをどう積んでいくか」という話を上司としたときにも、バスケットの練習環境を整えたいと伝えました。ただ、そのときは会社員としてのキャリアを追うのか、アスリートとしてのキャリアを追うのか、僕の中ではまだ定まっていなかった。バスケだけを追いかけることは、会社員としてのキャリアをストップさせるということになるのかもしれないし...と、ずっと迷っていました。そのことを素直に上司に相談したところ、「じゃあ、まずは会社員とアスリートが両立出来るように支援制度を会社に提案してみないか」と言われたんです。その後押しから想いが固まり「パラリンピック出場」を目標とし、「自分が強化選手に選ばれるためには何をすべきか」「そのためのプレイタイムを働きながら得るためにはどうすればいいか」という計画を練り、アスリート支援制度の提案書を作成しました。

村上慶太さん

榎本 そのとき、私は経営企画の部署に異動しており、広報と社内制度を管理する部署の責任者でしたので、提案書は私が受け取りました。でも、内容をみて、申し訳ないけれどこれは制度化できない、と思いました。「我々アスリートを応援する制度を作ってもらえませんか」ではなく、「自分のために制度を作ってほしい」と、主語が自分だけの提案だったからです。そういう個人の希望をすべて通していては会社は回りませんから。難しいなぁと思いました。

村上 提案したとき、手応えのなさは感じていました。持ち帰って検討します、とサラッと流されてしまったことを覚えています。

ビジネスパーソンとしてのキャリアも積める「リクルートオフィスサポート流」のアスリート支援

リクルートオフィスサポートは「個の尊重」「社会への貢献」「可能性の追求」を経営の三原則としている。立て付けさえ上手くいけば、制度化へ動くことができるのではないか。そう考えた榎本は「個の尊重」のために、「可能性の追求」を図った。そして、会社の理念と、村上の願いを結びつけることで、「アスリート支援制度」を具体化させていく。

榎本 実は、社長が村上の懇親会のスピーチと直談判を覚えていて、その後何度も社長から「村上を応援してやれないか」と相談されていたんです。加えて、私も村上の姿勢に熱意を感じはじめていた。村上に制度化についてヒアリングすると、「資料を集めてきます」「関係者にリサーチします」と前のめりで返事が来る。集めてきたデータの質も高く、スピードも速かった。全てのことに熱意を持って行動していて、ひとつ質問すると10個くらい回答が返ってくる。本気度を感じるには十分でした。

榎本智幸さん

村上 榎本さんから「制度化するに当たって何を決めればいいか」と聞かれたときは、ほんとうに嬉しかったですね。入社してすぐ、「早く帰らせてくれ」と言っていた頃から10年以上経っていましたから。僕の提案を実現しようとしてくれていることがひしひしと伝わってきて、自分がやれることは100%の力でやろうという気持ちでした。当時は車いすバスケットボールの理事もやっていましたし、自分が使える人脈はすべて使って、情報収集していました。

榎本 ヒアリングを繰り返しながら、まずは支援の内容を考えるところからスタートしました。当時、会社とプロアスリート契約している人たちは100%競技活動に時間を使えるように支援されるのが主流だったんです。けれど、村上が迷っていたように、その手法だとビジネスパーソンとしてのキャリアを積みにくいため、競技生活が終わったあとに道が絶たれてしまう可能性がある。それならば、キャリアを断たないように支援して、その不安を少しでも無くしてもらいたいと思いました。きっとそれが、リクルートオフィスサポート流のアスリート支援になるだろう、と。それで出来たのが「50%ルール」というものです。

村上 「50%は社員として働き、50%はアスリートとして生活する」というルールです。そのルールに則り、僕は今、週の半分は会社員として働き、残りの半分を練習に当てています。2020年にパラリンピックに出場することだけを考えれば、主流である100%競技に使うやり方がいいのかもしれない。でも、障がい者スポーツのアスリートは、その後の道があまり豊富ではない。なので、半分は会社員として働いたほうが、先の生活が担保されるので、不安がないですね。

榎本 50%ルールと、資格要件だけを決めて、制度が始まったんです。そうしたら、それまで見えていなかった課題がどんどん出てきたんですよ。

後編へつづく

パラリンピックを目指す社員の想いが生んだ支援制度 リクルート村上慶太・榎本智幸

  1. 前編
  2. 後編

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

村上慶太(むらかみ・けいた)

リクルートオフィスサポート
経営企画室 広報グループ
19歳の頃、交通事故での怪我により車いすに。車いすバスケットボールを始める。訓練校に通い、2008年に特例子会社リクルートオフィスサポートに入社。現在は広報の仕事と兼務で応援派遣として人手の足りていない部署へ行き、要請された業務をパートタイムで行っている。現在は車いすバスケットボールチーム・千葉ホークスに所属。ポジションはガード。

榎本智幸(えのもと・ともゆき)

リクルートオフィスサポート
経営企画室 室長
1982年リクルート入社。2002年にリクルートオフィスサポートへ転籍。事業推進室、在宅雇用開発室などを経て、現在は経営企画室を担当。

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