テクニックより、人として普遍の人格を磨くこと。為末大が語る「人生100年時代」

テクニックより、人として普遍の人格を磨くこと。為末大が語る「人生100年時代」

文:森田 大理 写真:柳詰 有香

2017年、政府主導の一億総活躍社会実現へ向けた「人生100年時代構想推進室」が発足。本格的な「人生100年時代」を我々はどう生きるべきか。

「人生100年時代」の生き方を説く「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著/東洋経済新報社)出版以来、多くの人たちが「人生100年時代」というキーワードを意識するようになった。一方で「そうは言っても...」と、戸惑いを隠せない人も多いだろう。そこで今回は、元陸上競技選手の為末大氏にインタビューを行った。

2012年の現役引退後は自身で会社を経営し、講演活動、執筆、テレビコメンテーターなど、マルチなセカンドキャリアを生きる為末氏。彼の考える「人生100年時代」を生きるヒントを伺った。

自分とは異なる世界に触れ、「ズレ」を知ることが必要

為末大さん

― 「人生100年時代」は、長寿命化によってキャリアや暮らしを変えるタイミングが何度も訪れる時代だと言われています。アスリートを引退し、34歳で第二の人生を送りはじめた為末さんは、「人生100年時代」をどうお考えですか。

変化が避けられない時代と考え、常に今の自分とは違う世界に興味を持ち続けることが大切な時代になると思います。僕自身の引退後の活動も、陸上競技以外の世界を知りたくていろんな人に会っていたのがもとになっています。ただ、正直に言ってスポーツの外で活動をはじめたころは、日々敗北感を感じていました。

― 少し意外です。為末さんが感じた敗北感とはどんなものだったのでしょうか。

陸上競技しか知らない僕には、お会いした方々の話している内容が良く分からなかったんです。そして、自分の知っている世界と外の世界は、まるっきり違う価値観で動いていることをはっきりと認識しました。陸上選手はいかに速く走れるかがすべて。でも、陸上競技から離れた世界ではいくら速く走れたとしても「すごい」とは言ってもらえません。どこに身を置くのかによって、何がすごいかは変わる。そう強く自覚したことで、引退後には違う力が必要になると考えられたことが、今振り返ると良かったのかもしれないですね。

― 今のキャリアにおける評価のものさしが絶対ではないと知ることが、次のキャリアへ移行する助けになったということですね。

そうですね。自分の信じてきた価値観と異なるものさしで自分を捉え直すことはとても難しい。ですから、現役を引退した選手の多くは、自分が競技以外に何ができるかが分からず、「これからどうやって食べていけば良いか」と悩みがちです。そのときに危ないのは、自分の交友関係の8〜9割がスポーツ関係者だという人。どうしても視点が偏ってしまい、「スポーツがなくなったら自分には何も残らないのではないか」と悲観的になってしまいます。

違う世界・違う価値観で生きる人の多様な意見を聞くことで、自分の可能性は広げられます。これまで築き上げた関係や成果に固執すればするほど、自分の可能性を狭めてしまう。特にアスリートの場合は、現役時代に良くも悪くも注目を浴びるので、違う道を生きるために自分をリセットすることの抵抗感が強いと思います。そういう意味で、僕自身はスポーツ関係者ではない人たちとの交流が非常に助けになりました。

違いを認めるのと同時に、共通点を見つけることも大切

為末大さん

― 為末さん自身、100歳以上生きるとしたら、今後の人生はどのように生きたいと思われますか。

難しい質問ですね。世の中が激しく変化する中、遠い未来までしっかりとした計画を立てるのは難しいと思っています。ただ、変化に備えるスタンスは常に意識していますね。

そこで大事なのは金銭的な余裕ではなく、様々な人と交流を深め、見識を広げること。人と会って刺激を受け続けられる人生にしたいです。ただ、各領域の専門家からその道の神髄に触れるようなお話を聞くには、「この人なら深い話をしても分かってくれるだろうな」と相手に信頼していただくことが必要ですけどね。

― なるほど、ですが各領域を深めた人と対等に話すのは容易なことではないのではないでしょうか。

もちろん、仰るとおりだと思います。前提として、先ほどお話ししたように自分とは違う世界に興味を持ち、知ろうとする姿勢は最低限必要でしょう。加えて、僕の経験上、自分自身が己の道を深く掘り下げ、突き詰めていることも、信頼していただくために大切になってくると思います。

たとえば、アスリートと研究者は全く別の世界に生きているようで、似ている部分もある。「100回失敗しても101回目に成功することを信じて練習や実験を継続することが大事な局面もある」とか。専門分野こそ違いますが、根っこの部分は共通していることが多いんです。そういったところで相手と通じあえたとき、心を開いて本音で話してくださることが多いですね。

― 外の世界へと視野を「広げる」ことと、自分の世界を「深める」こと。ふたつを両立することが人生100年時代の変化に備える力になりそうですね。

そうですね。僕のような元アスリートの場合は極端な例だと思いますが、一般にも共通することは多いと思いますよ。たとえば、定年を迎えた人や、会社の事業変革によってポジションがなくなり変化を余儀なくされた人も同様です。恐れず違う世界に飛び出していくことが必要ですが、これまでの自分の経験が全く無価値になるわけではない。過去の成功体験にとらわれすぎず、客観的に自分を見つめられれば、これまで培ってきた経験やスキルの中に、新しい世界でも通用する共通点がきっと存在するはずです。

今まで以上に「目的」が重要な時代になる。

為末大さん

― 外の世界へ目を向けるのがあたり前になると、多様な情報に触れる中で、人生観や価値観も今より多様化するように思います。為末さん自身、すでにそのスタンスを実践する中、人生100年時代の価値観はどのように変化すると思われますか。

僕は、人生100年時代とは「これまで以上に自分の人生の目的について真剣に考える時代」だと思うんです。なぜなら、人生100年時代の実現はテクノロジーの進化によるところが大きく、機械やAIが人の仕事を代替していくなかで、人の役割が変わっていくはずだから。

AIは何かの目的に対して合理的な最適解を導くことは得意ですが、その目的自体はAIには決められません。例えば、スポーツのトレーニングメニューをつくるにしても、「早く走るため」なのか「健康的な身体づくり」なのか「人間的な成長」が目的なのかによって最も適した練習は変わってくるはずで、何をゴールにするのかを定義するのは人間自身です。

― ゴール設定が人間の仕事になるからこそ、ゴールについて思考する機会が増えると。

だからこそ、人はこれまで以上に「目的」に注目し、自分の生きる目的にも自覚的になっていくはず。究極的には「人とは何か?」や「良い社会とは何か?」といった哲学的な問いに向きあう時代なのかもしれません。会社組織もこれまで以上にビジョンや理念が大事になるからこそ、個人的には企業の哲学や思想を司る「Chief Philosophical Officer」のような専門の役割を置く会社が増えていくのではないかと予想しています。

― 最後に、読者の皆さんに向けて、人生100年時代を豊かに生きていくためのメッセージをいただけますか。

人に求められる芯は変わらない----ということでしょうか。たとえば、水滸伝のような古典であっても、そこに書かれているのは「人に礼を尽くそう」といったことです。つまり尊敬できる人物像は昔も今もあんまり変わっていないんです。この先の時代も、上手に生きていくためのテクニックよりも人としての普遍の人格を磨くことに力を入れた方が良いのかもしれません。

特に近年は技術の進歩が目覚ましく、新しいだけではすぐコモディティ化してしまう。だからこそ、僕は新しい技術を次々と習得するよりは、「頼りになる」とか「話がしやすい」といった人間性と、深めてきた専門性の掛け合わせで生きていきたい。「話が分かるエンジニア」のような人間性×専門分野の掛け算が大切な時代になってくるかもしれませんね。

為末大さん

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

為末大(ためすえ・だい)

1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初めてメダルを獲得。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2019年5月現在)。現在はSports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表、「アスリートが社会に貢献する」ことをめざす一般社団法人アスリートソサエティの代表理事、新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長を務める。主な著書に、『走る哲学』(扶桑社、2012年)、『諦める力』(プレジデント社、2013年)などがある。

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