可愛いカルチャーを発信し続けて20年。「まつゆう*」と振り返る「平成とソーシャルメディア」

可愛いカルチャーを発信し続けて20年。「まつゆう*」と振り返る「平成とソーシャルメディア」

文:紺谷 宏之 写真:斎藤 隆悟

ソーシャルメディアの普及がもたらした「平成の変容」を探っていく

平成というひとつの時代が終わり、『令和』がスタートした。私たちはこの新時代に何を思い、どんなことを考えていくべきかーー。デジタルテクノロジーの劇的な進展、経済の低迷や大規模災害など、変転著しい31年が私たちにもたらしたものを振り返るとき、そこにはさまざまな思考のタネやアイデアが見つかるに違いない。"平成的思考"から脱却し、新時代を生き抜くための来たるべき未来を予測していく。

ブログやSNS、動画共有サイトなど「ソーシャルメディア」が市民権を得ていった平成は、個人のメディア化が進んでいく時代でもあった。その草分け的な存在として、20年にわたって独自の"可愛いカルチャー"情報を発信し、国内外から注目されてきたまつゆう*さんと「平成」を振り返る。

まつゆう*誕生と「ソーシャルメディア黎明期」

― まつゆう*さんにとって、平成とはどのような時代でしたか?

伝えたい想いの強い人ほど、新しいコミュニケーションにチャレンジできる時代でした。ソーシャルメディアが登場し、さまざまなサービスが生まれたことで、段々と「自分をメディア化できる時代」になっていったと思います。

― 20年間にわたるまつゆう*さんの活動をとおし、ソーシャルメディアの成り立ち、変遷を振り返っていければと思います。

1990年代の半ば以降、インターネットの可能性に注目が集まり、「インターネットの世界」に期待する人はどんどん増えていきました。しかし、当時インターネットの人口普及率はまだ10%台。実際にその可能性が広がっていったのは、ADSLが登場し普及が加速していった1999年頃からです。

私がウェブマガジン「chelucy」を独学で作ったのもこの頃です。当時(1998年)はまだ女の子向けのファッションやカルチャーを扱うホームページがほとんどない時代でした。もちろん、ブログやSNSもない時代です。ホームページで情報を発信し、BBS(掲示板)やチャットを使い、熱心な読者さんと積極的に交流をする。当時のウェブマガジンはそれくらいが限界でした。でも、自分の好きなファッションやカルチャーを同世代の女の子たちに向けて紹介できるのは嬉しかったし、やりがいもありました。フォロワーという言葉が生まれるのはもう少し先です。

当時から、受け手の気持ちを第一に考え、双方向のコミュニケーションにこだわってきました。友人のエンジニアに頼んで携帯カメラで撮影した写真をリアルタイムにアップできるサービスを作ったり、「chelucy」人気を追い風にし、リアル店舗の運営などを経験し、インターネット黎明期から様々なコミュニケーションのあり方を模索してきました。この頃の経験は、いまもインターネットを舞台に活動できている基礎になっていますね。

― 「chelucy」の成功で話題を集め、2004年からは女性向けブログサービス「ヤプログ!」のプロデューサーとしてブログを書き始めますね。

ブロガーまつゆう*の誕生です(笑)。日本のSNS元年だった2004年、最初に触れたSNSはGoogleの「Orkut」でした。「共通の趣味を共有する」「インターネット上で人が繋がる」といった最低限の機能だけを実装したサービスで、今ではちょっと想像しづらいですが、承認して繋がった友人をレイティングする機能もあったんですよ。

この年、「mixi」や「GREE」もサービスをスタートします。当時、私はカルチャー系のユーザーが多かった「mixi」を主に使っていました。

2005年に入ると、Web2.0ブームが起こり、SNSのサービス開発が一般化します。「mixi」ではコミュニティ内でのユーザー同士の交流は掲示が主流でした。現在、ソーシャルメディアの多くはSNSとニュースが融合していますが「mixiニュース」はその先駆けでしたね。

― たしかに。つながるだけでなく、コミュニケーションや、ニュース、ゲームなどがSNSの上で使われるようになりました。

この頃、ギークで愉快なブロガーとの出会いにも恵まれました。ファッションや可愛いカルチャーを発信する「ファッションブロガー」は珍しい時代で、ブロガーといえばデジタルやインターネット関連に詳しい人たちばかり。彼らに海外のウェブサービスを教えてもらい、いろいろ試しながら遊んでいました。昔から新しいものが好きで、サービスやツールが生まれるたびに使えるようになって多くの人に広めたくなるんですよね。そのひとつが「Twitter」でした。

まつゆう*さん

Twitter登場。「ソーシャルメディア」花盛りの時代へ

― 2019年4月現在、まつゆう*さんの「Twitter」のフォロワー数は22万5,000人です。「Twitter」を使い始めてから、どんなことがありましたか?

登録したのは2007年4月です。日本語版のリリースが2008年だったので、使い始めは早いほうだったと思います。当時はミニブログとも呼ばれていてブロガー仲間とフォローし合い、日常の些細な出来事や想いをつぶやいていました。

2009年春頃、当時まだ日本に20人くらいしかいなかった「おすすめユーザー」に選ばれ、状況は一変します。フォロワー数が急増したことで「ツイッター先生」と呼ばれるようになり、トークショーやメディアから声がかかるようになったんです。一定のルールが浸透する現在とは違い、当時はSNSが荒れやすく、広く知られるようになるにつれ、嬉しくない思いも経験しました。

2009年11月には「初めてのバズ」も経験しました。何気なく変えたアイコンの写真の口元が「アヒル口」だったことで瞬く間にバズり、3時間後には出版社のオファーにより、書籍化が決まったんです。

投稿したときは「バズらせたい」という気持ちが全然なかったので、この急展開は不思議な感覚でした。本として出版できたのは盛り上げてくれたフォロワーさんのおかげ。感謝の気持ちを還元したい、幸せのシェアをしたい、と思い、フォロワーさんを招いて出版記念パーティを行うことにしました。本の印税は受け取らず、すべてこのパーティの予算に使いました。

― ソーシャルメディアの歴史を振り返ると、SNSだけでなく、動画共有サイトの登場もコミュニケーションの幅を広げた印象があります。まつゆう*さんの目には動画系サービスはどのように映りましたか?

動画を使ったコンテンツやサービスの始まりには、接続の高速化が重要な要因でした。家庭向けの光回線が登場したのは2004年頃だったと記憶しています。2005年に「YouTube」、2007年には「Ustream」と「ニコニコ動画」といったインターネットを使った動画生中継ができる時代になりました。とくに「Ustream」は印象に残っていますね。

「Twitter」に連動させてつぶやくと、タイムラインに全てのコメントが表示されるので、ライブ映像を観ながらテレビにはない双方向のコミュニケーションを実感できました。当時、「Ustream」を使った映画番組を担当していて、できるだけ多く視聴者さんのコメントを拾えるように心がけていました。

― 「Instagram」を使い始めたのはいつ頃からですか?

2011年です。初めの頃は「Twitter」にアップするための写真を加工するアプリとして使っていました。今ほどフィルター機能は充実していませんでしたが、それでも撮った写真を自分好みに加工できるのは楽しかったですね。写真1枚だけ投稿する手軽さも「今っぽいなぁ」と。使いこなすにつれ、感性と言葉のセンスがあれば、誰もがインフルエンサーやファッショニスタになれる可能性を秘めたメディアだと感じました。

サービス開始当時から「Instagram」を使っていたこともあり、フォロワーさんが着実に増えていき、インスタグラマーと呼ばれるようになったのは2013年頃からだったと思います。国内外からお声がけいただく機会も増え、さまざまなブランドのウェブプロモーションに参加させてもらいました。

まつゆう*さん

ポスト平成はボーダレスが求められる時代

― ここまで、ソーシャルメディアを通して平成を振り返っていただきました。一貫して「インターネットの世界」にこだわり、多くのフォロワーに影響を与えてきたまつゆう*さんが大切にしてきたことは何でしょうか?

大切にしてきたのは、流行り廃りが絶え間なく繰り返される「インターネットの世界」で20年間ずっと、自ら発信し続けたことですね。私の発信に興味をもってくれる皆さんの「可愛い!」「役に立った!」と喜んでくれる姿をイメージし、身近な存在でいたいと想い続けてこられたことこそが、発信し続ける原動力だと思います。

― 「Instagram」のアカウントを2018年の大晦日に突如、削除したことでも話題を集めました。フォロワー数が33万人もいた状況で、なぜやめてしまったのですか?

とても光栄なことに、インスタグラマー、インフルエンサーと呼ばれるようになり、遠い存在だったラグジュアリーのファッションやビューティブランドからパーティのお誘いやお仕事をいただくことが多くなりました。しかし、「Instagram」のタイムラインが煌びやかになるにつれ、本来の自分とのギャップを感じ、次第に「投稿を見てくださっている方は楽しんでくれているのか?」と発信者として考えるようになり、悩むようになりました。仕事が減るのは覚悟の上で「Instagram」を卒業しました。

― SNSを次々と乗りこなしてきた中、次のステップはどのように考えているのでしょうか?

2019年1月、ブロガーとしての原点回帰を誓い、ウェブマガジン『m's mag.』を「note」上でスタートさせました。「大好きは、ボーダレス!」をスローガンに、年齢・性別・国境を越え、まつゆう*が「大好き!」と思った視点のモノ・コトを発信するソーシャルメディアです。

等身大の想いを伝えたいというスタンスは、20年前から変わりません。暮らしの中で気になったことや興味を持ったこと、時には日記など、本心から思ったことをリポートしています。フォロワー数にはこだわらず、自分らしいペースで読者の皆さんと繋がっていければと思っています。

まつゆう*さん

― 新元号『令和』となったいま、まつゆう*さんが見据える未来についてお聞かせください。

いまや、スマートフォンひとつで、動画の編集も配信もでき、いつでもどこでも映像を見られる時代です。2020年に5G(第5世代移動通信システム)が実用化されると、新たな視聴体験にとどまらず、スポーツの楽しみ方が変わり、買い物の仕方が変わり、仕事のやり方も変わっていくでしょう。

正直、具体的にどうなるということまでは分かりませんが、ソーシャルメディアについても今後新たなサービスやツールが生まれてくるのは間違いありません。10年後も20年後も私自身はきっと変わらず、新しいサービスが誕生するたびに真っ先に試してみて、多くの人に広めていると思います。

おばあちゃんになっても「インターネットの世界」に関わっていることができたなら幸せですね。

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

まつゆう*

1978年、東京生まれの渋谷育ち。クリエイティブ・プランナー / ブロガー。1993年よりモデルとして活動開始。1998年、ウェブマガジン『chelucy(チェルシー)』を立ち上げ、ビューティ、ファッション、トラベルなどの独自視点の可愛いカルチャー情報をウェブ、ブログ、SNSなどで早期から発信を続け、多岐にわたる分野で活動中。
2008年米・Wired.com「日本のセレブブロガー」、2012年仏・campaign.com「フォローすべき10人の日本人インフルエンサー」、2016年「ファッション・ビューティにフォーカスしたクリエイティブなアジア人ブロガー10人」として紹介される。
海外からのオファーも多く、2012年「イヴ・サンローラン・ボーテ」、老舗ジュエラー「ブシュロン」、2014年「クロエ ラブストーリー」とのコラボレーション作品を発表。2013年「ランコム」「コントワー・デ・コトニエ」アンバサダーに就任した。
現在は「大好きは、ボーダレス!」をテーマに掲げたセレクトウェブマガジン『m's mag.(ミズマグ)』を日々更新中。

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