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励ましに嘘が混じると劇薬になる――パラ陸上「伴走者」に学ぶ、強いチームの条件

アイデア , サステナビリティ , ビジネススキル , マネジメント , メディア , 人材育成 , 働き方 , 多様性

盲目のランナーと一本のロープでつながり、ともにゴールまで走り抜く。パラスポーツ特有の役割を担う“伴走者”は、どのように競技者と信頼関係を築くのか。チームづくりの極意を学ぶ

パラ陸上において、視覚障がいがあるアスリートの隣でともに走っているランナーをご存知だろうか。ガイドランナー=伴走者と呼ばれる彼らは、あくまでも競技者ではないが監督やコーチでもない。目の見えないアスリートとタッグを組み勝負に挑む。二人が横に並んで走る姿は、実質的なチームスポーツにも感じられる。

ブランドランナーとガイドランナーの二人を「最小の組織」だと捉えると、多様な個性を持つ者が集まってチームとなり、最大の成果を出すためのヒントがあるのではないだろうか。今回は、パラリンピックメダリストの高橋勇市選手や和田伸也選手の伴走を歴任してきた中田崇志さんに、アスリートとの信頼関係の築き方やチームになる秘訣を訊ねた。

はじめて伴走した日は、支えているつもりで支えられていた

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提供『オトナのタイムトライアル』

中田さんが伴走者をはじめたのは2003年のこと。二つの運命の出会いが中田さんを導いてくれたという。

「当時の私は、中学からはじめた陸上競技を社会人になってからも続け、自己記録の更新を目指していました。そんなとき、三浦国際市民マラソンで招待選手として参加されていた倉林俊彰さんと出会ったのが一つ目のきっかけ。私からすれば世界陸上日本代表選手の経験もある倉林さんは雲の上の存在。その倉林さんから伴走をやってみないかと誘われたんです」

2000年のシドニーパラリンピックをはじめ国内外の大会に伴走者として出場している倉林さんの活動を知り、興味を持ったという中田さん。それからほどなくして、陸上競技の専門誌を読んでいると、「伴走者募集」の文字が目に飛び込んでくる。

「盲目のランナーである高橋勇市選手が自身の伴走者を探しているという投書を読み、運命的なものを感じました。その頃の私は、会社員として働きながら競技を続けることの難しさに直面しており、陸上選手としての活動に限界も感じていたんです。それが、高橋選手のレースにかける想いや伴走者への期待を知ったことで、新たな道が見えた。単に選手の横で走る黒子のような役割ではなく、二人で一緒に成長していく別のチームスポーツのように思えたんです」

自ら高橋選手に連絡を取り、ともに走ることを志願。こうして中田さんの伴走者としての活動はスタートする。しかし、陸上選手の経験があると言っても、視覚障がい者の全力疾走をサポートするという役割は全く別物なのではないか。そう訊ねると、中田さんは意外な答えを返してくれた。

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「走ってみるまでは、目の見えない人の隣で走るやり方がよく分からず緊張していましたが、高橋選手と初めて一緒に走った日は、思っていたより簡単だったんです。でも、それには理由があって。伴走初心者の私に、高橋選手が合わせてくれていたんですね。あとから気づいてハッとさせられました。相手を支えるつもりで走ったのに、支えられていたのは私の方だったんです」

伴走者と選手は支える側と支えられる側の一方通行ではなく、支え合う存在。この気づきを得たからこそ、過度に遠慮すべきではないとも思ったそう。実は初めて伴走を経験した翌日、中田さんは生まれて初めて身体の半分だけが筋肉痛になった。"思ったより簡単"だと感じながらも、選手と隣り合わせの半身は必要以上に気を使っていたのだろう。この経験が中田さんを伴走へと導くとともに、伴走をチームスポーツと捉えるようになった。

仲間の個性に敬意を払えない勝ち方は、すべきでない

このように、中田さんと選手との関係性はチームメイトに近い。だとすれば、仲間同士の信頼関係はどのように築いているのだろうか。

「まずは相手のことを知る。そのためにたくさん質問をすることですね。たとえば選手が練習メニューや出場したい大会の希望を話してくれたときに、そのまま受け入れるのではなく『なぜそう思っているのか』が理解できるまで質問します。ときには、選手と意見がぶつかるときだってあるんですよ。『あくまでも競技者は彼だから』と伴走者が折れても良いんですが、私はお互いが納得するまで理由を聞いて対話を続けますね」

この中田さんのスタンスが結果に結びついたのが、2012年に和田伸也選手とともに出場したロンドンパラリンピック。複数種目への出場が内定していた和田選手はマラソンを主眼に置いた練習を希望していたが、中田さんは当時の和田選手の走りやライバル選手の顔ぶれから、5000メートルに勝機があると分析。説得を続け、和田選手は練習の軸足を5000メートルに置いた。結果は見事銅メダル。「メダルを獲得する」という目的を二人で共有し、そこからブレずに最良の作戦で挑んだからこその成果だと言える。

「一人の仲間として、和田選手がなんのために走るのかという目的を背景から知っていたからこそ、『勝負にこだわるなら5000メートルだ』と自分の意見をぶつけることができました。同じように、伴走者自身も走る目的を自覚しておくべきだと考えています。『選手を支えたい』など、いろんな目的があって良いとは思いますが、私自身は『勝ちたい』。この目的があいまいだと、選手とのコミュニケーションが噛み合わなくなり、段々と一緒に走ることが辛くなってきます」

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勝つためには、お互いが本音でぶつかり合って分かり合うことも大切だと語る中田さん。その一方で、絶対にやらないと決めていることがあるという。

「伴走中に嘘をつかないことです。たとえば、実際はそうでなくても『前を走っているランナーが失速した』と伝えれば、選手は目となる伴走者の言葉を信じ、今がチャンスと信じて奮い立ってくれるでしょう。でも、たとえばそこで奮い立っても追いつけなかったら----ランナーは嘘だと気づきます。いくら良かれと思ってついた嘘だとしても、次からは選手が伴走者の口から出る言葉を信じて良いのか迷いはじめ、信頼関係が崩れてしまいます」

悪気はなくても、選手を鼓舞する意味で大げさやひいき目に話をする伴走者は珍しくないそう。私たちの日常においても、このようなコミュニケーションは相手を想っての「優しい嘘」だと肯定的に受け止める人が多い。しかし、そうした持ち上げ方を勝負にこだわる中田さんが敢えてやらないのは、視覚障がいを持つ仲間への敬意からだ。

「たとえ勝つためであっても、目が見えないことを逆手にとって仲間を騙すようなことをするのは、相手に対して敬意がない行為だと思うんです。お互いへの敬意がないチームで信頼関係は築けない。伴走者はブラインドランナーにとっての"目"ですから、私は正しく現実のみを伝えることに徹しています」

過去の経験を否定する勇気が持てると、仲間にもフラットでいられる

中田さんがパラアスリートとチームになる過程で身につけた信頼構築術やコミュニケーション術は、スポーツの世界だけでなく、ビジネスシーンにおいても通用するものだろう。中田さんはいま勤務先で広報を務めているが、伴走者の経験が役に立ったと感じることも多いそうだ。

「広報に異動する前はシステムエンジニアでしたし、どちらも関係者の多い仕事です。そのため、立場の違う相手から言われたことを言葉のまま受け取るのではなく、背景から理解しながら協力関係をつくっていくことを大切にしています。これは伴走者として陸上競技で良いチームをつくる感覚に近いですね。

実は、伴走も関係者は多いんですよ。走っている瞬間は選手と二人のチームですが、マラソンの場合は一度だけ伴走者の交代が認められているので、実質的に3人のチーム競技です。また、競技には出ていなくても、選手が毎朝家の近所をジョギングするときに伴走してくれる人など、いろんな人の協力があって本番を迎えられる。役割も強みも異なる人たちと、同じ目的を目指す一つのチームにならなきゃいけないからこそ、一歩踏み込んで相手のことを考える癖が身に付いた気がします」

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また、相手のことをより深く知ろうとする姿勢で人に接すれば、前述した和田選手の5000メートルのように、本人が気づいていないようなチャンス・才能を発見する可能性もあると中田さんは考える。

しかし、一般的に立場や役割が異なるほど協力しあう難易度は高い。相手と自分は異なる前提をもちつつ、どうすればその間でポジティブに関係性を築いていけるのだろうか。中田さんは先述の相手を知るスタンスの重要性を述べつつ、「もう一つ挙げるなら」と言葉を続けた。

「先入観から自分を解放することですね。『この人にはこうあってほしい』、『この人はきっとこうだろう』...。こういう無意識の"決めつけ"や"思い込み"は経験の蓄積からおこる現象ですから、先入観からの解放は自分の過去を否定することに等しい。決して簡単なことではないと思います。

でも、人はそういう生き物なんだと理解して、自分が一度発言したことでも、もし思い込みだと気づいたら素直に否定・訂正する勇気を持てると変わってくる気がします。また、先入観をもたず人と接することができれば、相手のまだ見ぬ可能性にも気づけるかもしれない。それを積み重ねられれば、お互いの違いを認め合う強いチームになれるのではないでしょうか」

プロフィール/敬称略

※プロフィールは取材当時のものです

中田崇志(なかた・たかし)

中学時代より陸上競技をはじめ、大学では日本インカレで7位に。卒業後、NTTデータに勤務しながら陸上競技を続け、2003年より伴走をはじめる。2004年のアテネパラリンピックでは高橋勇市選手の伴走者として、マラソンで金メダルを獲得。その後も伴走者の活動を続け、和田伸也選手とともにロンドン大会で5000メートル走銅メダル、リオデジャネイロ大会にも出場を果たした。2020年の東京大会も和田選手の出場が内定しており、伴走者として出場予定。

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