成人教育学の観点から見たリスキリング 教える-教えられる関係を壊すところから始めてみては
「大人の学び」を理解する上で、「成人教育」という学問領域がある。成人教育学の観点からは、リスキリングや企業内教育はどう見えているのだろうか。成人教育学の専門家で、企業人事の経験もある東洋大学 文学部 教育学科 准教授 堀本麻由子氏にお話を伺った。
成人教育では本人が主体的に学ぶ意欲をもつまで待つ
私は成人教育や生涯学習を専門としていますが、成人教育は、リスキリングや企業内教育とは異なるスタンスを取っています。その違いが分かるエピソードを1つ紹介します。
10年ほど前、アメリカの成人教育の専門家にインタビューする機会がありました。彼女はあるとき、企業研修のファシリテーションを務めたのですが、その場で受講者の1人が延々と話し続けたのだそうです。彼女はその語りを止めずに見守りました。そうしたら、終了後に企業担当者から「なぜ彼の話を終わらせて、プログラムを進めなかったのだ」と批判されたといいます。
成人教育の専門家の多くは、こうした場面では相手の話を途中で止めません。しかし、人事の皆さんは、ほとんどの方がファシリテーターに話を止めてほしいと思うはずです。なぜこのような違いが生じるのでしょうか。
成人教育理論(アンドラゴジー)では、学習は学習者本人が主体的に行うものだ、と考えます。何を学ぶのか。なぜ学ぶのか。どのような方法で学ぶのか。学ぶことでどういった方向を目指すのか。すべて学習者が決めることであり、教える側はあくまでも学習者の学びを援助する存在だという考えが、成人教育の理論的背景にあります。
ですから、成人教育では、本人が主体的に学ぶ意欲をもつまで待ちます。最も大事なのは本人の学ぶ意欲であり、学びへの意欲を高めることを支援するというのが、成人教育の考え方なのです。冒頭のシーンに遭遇したときも、成人教育の専門家は、学習者の主体性を奪うことはしない、話す必要があるのなら支援する、と考えるわけです。
しかし、企業内教育では、そういうわけにはいかないでしょう。企業が従業員に身につけてほしいことがあり、そのための学習機会を提供するのが企業内教育です。冒頭の話し続ける人は企業が求める学習の妨げになっているわけですから、話を止めるのが企業内教育の基本姿勢でしょう。
この意味では、成人教育と企業内教育の間には大きな溝があります。