ミドルシニア 多様な働き方 40代・ 50代・ 60代からの人生を充実させる ‐ つながりのすすめ ‐

息子のための朝食づくりがSNSで思わぬ反響。スープ作家へ転身するきっかけに 【自分らしい人生とキャリア Vol.2】

iction!の取り組みキャリア

2021年04月26日

少子高齢化、働き方の変化、テクノロジーの進化…。私たちを取り巻く環境は大きく変化しています。40代・50代・60代になれば、これまで積み上げてきたキャリアがあるがゆえに「自分は今さら変化できるのか」と不安を感じてしまうことも尚さらでしょう。そこで、このシリーズでは、人との出会い・つながりをきっかけに自分の人生・キャリアを大きく変えた当事者にインタビュー。決断のきっかけとなった人とのつながりにフォーカスしながら、はじめの一歩を踏み出すヒントをお届けします。

第2回目に登場するのは、有賀 薫さん。長くライター業をしてきた有賀さんは、50歳で「スープ作家」に転身。スープをテーマにしたイベントを多数主催し、スープ本の出版など精力的に活動を続けています。もともとは料理に関する仕事をしたことはなかったそうですが、この道に辿り着くには、どのような「人とのつながり」があったのでしょうか。

有賀 薫さん

有賀 薫さん
大学卒業後、玩具メーカーでの広報・販促担当を3年経験後、フリーライターに転身。結婚・出産を挟みながらも、企業媒体、雑誌記事などの仕事に携わる。2012年から家庭で朝のスープづくりをはじめ、50歳でスープ作家に。レシピ開発の傍ら、執筆・イベント・展覧会などの活動を続けている。著書:『365日のめざましスープ』(SBクリエイティブ)、『スープ・レッスン』(プレジデント社)
家族構成:夫、長男(現在は就職して独立)
※掲載内容は、2021年4月末時点のものです。

≪つながりのきっかけ≫
日課のスープづくりをSNSに投稿したら、思わぬ反響が

── 有賀さんは、以前フリーライターとして活動されていたそうですね。

はい。企業で広報・販促企画等を経験したのち、ライターとしてカタログのコピーや雑誌の記事を書くような仕事を20年以上していました。とはいえ、私としてはあくまでも家庭が優先。私にできる範囲で、細く長くやってきました。

── そんな有賀さんがスープを仕事にしたのはどんなきっかけがあるのですか。

スープをつくりはじめたのは約10年前のこと。きっかけは、当時受験生だった息子の存在です。息子は朝が弱くなかなか起きてくれなくて…。ところが、ある日たまたま朝食にスープをつくったら、匂いにつられたのか自然と起きてきたんです。

はじめは特別なものでもなんでもなく、家にあったハムと野菜を炒めて水を挿すくらいのごく簡単なもの。私としては味噌汁をつくるような感覚でした。でも、それで息子が起きてくれたことが嬉しくて、朝のスープづくりが日課になっていきました。大学受験を控えていたこともあって、これを続けることで“願を掛ける”ような気持ちもありましたね。

── 家庭の日常からはじまったんですね。

そうなんです。私はここまで長く続けるつもりはなかったですし、はじめから作家として仕事にしようなんて思っていなかったんですよ。あくまでも息子のために始めたことでしたから、区切りのよいところでやめようとも思っていました。

── では、どうしてここまで続けてこられたのですか。

私はそれ以前からTwitterをやっていたんですが、そこに毎日つくったスープの写真を投稿していたんです。そうしたら、食に興味のある“食いしん坊”のフォロワーさんが増えて「美味しそう」と褒めてもらえた。そろそろやめようかなとTwitterでつぶやいたときも、「もったいないから続けようよ」と言ってもらえて。

そんな周囲からの評判もあって、2013年に「スープ・カレンダー展」という個展を開催。1年間撮りためたスープの記録写真を発表したところ、これが大きな反響を呼び、取材の依頼が来るようになったんですよ。

≪つながりが導いた、キャリアの決断≫
遊びの延長のつもりが、本気で作家になると心を決めた理由

本気でスープ作家になると心を決めた理由

── 「自分の活動を発信し続けていたら仕事がやってきた」ということでしょうか。

その側面もありますが、それでも最初は趣味や遊びの延長のような感覚でしたね。展覧会を開いたのも、Twitterをきっかけに知り合って遊んでいた食いしん坊仲間たちと一緒に楽しめるんじゃないかなと思った程度の気持ちでした。「スープ作家」の名刺も半分遊びでつくったくらいで、最初からそうなろうと一世一代の決心をしていた訳ではないんですよ。

── では、仕事として真剣に考えるようになったのはなぜですか。

周囲のみなさんに面白がってもらううちに、表現者としての気持ちが強くなってきたのが大きいですね。私が以前、会社員からライターに転身したときも、「自分の言葉で何かを伝えたい、表現したい」という想いでその道を選びました。スープも何かをつくって表現するという意味でクリエイティブなものだし、私のつくったものを多くの人が受け入れてくれるのであれば、きちんと仕事にしてみたいなと思うように。「プロになったら?」という応援の言葉にも背中を押してもらいました。

── 有賀さんがスープ作家になったのは50歳のときですよね。年齢的な不安や怖さはありませんでしたか。

もちろんゼロではありませんでした。けれどやはり周囲のみなさんの応援があったおかげですし、自分の中で一度真剣に頑張ってみたいと思えたからこそ出来た気がしますね。はじめのうちは実績もなかったので、イベントを開催してスープ作家としての活動を知ってもらったり、イベントのレポート記事をWebで発信したり、全てが手探りでした。それでも続けてこられたのは、こうした活動を力強くサポートしてくれる人たちがいてくれたおかげです。イベントでは私よりもずっと長く食のプロとして活動してきた友人たちがアシスタント役をやってくれましたし、2016年に1冊目の本『365日のめざましスープ』を出版できたのは、スープ作家としての私の活動を方向づけ、相談にのってくれていたクリエイティブディレクターの存在があったからだと思います。出版社の編集者との縁もつないでもらいました。

── そうした人とのつながりを広げるために有賀さんが意識していることはありますか。

自分自身の発信を続けながら、相手にも関心を持つことです。自分に関心を持ってくれるからこそ、その人の力になりたいと思うのではないでしょうか。また、作家活動をするにも、世の中の人が何を求めているのか、どんなことに関心を持っているのかを知らないと、独りよがりな発信になってしまい、つながりが持てません。

≪つながりを広げるには≫
一歩踏み出すというより、自分の内なるものに気づく感覚

一歩踏み出すというより、自分の内なるものに気づく感覚

── とはいえ、有賀さんは料理人や料理研究家だった訳でも、「料理」に関するライターだった訳でもありませんよね。経験のないところに一歩踏み出すのは、勇気が必要だったのではないでしょうか。

仕事としては確かにそうなんですが、自分の人生の中で全く違うところにいきなり飛び込んだつもりはないんです。例えばスープ写真の個展を開いたのは、それ以前に私が趣味で絵を描くことに夢中だったのも関係しています。かなり真剣に取り組んでいて、絵の個展もやりました。だから自分のつくったスープを作品として見てもらうというアイデアも出てきたんです。

また、スープ本の出版やコラム・エッセイを書く仕事には、ライターとしての書く技術や話をまとめるスキルが活きていますし、これまでの経験が全く通用しないということでもありませんでした。知らない世界に行くというよりは、自分の行動を日常からちょっとだけずらしてみたような感覚です。

── 有賀さんくらいの年代になると、人生の中でさまざまな経験をしているからこそ、「自分の中に、何かしら活かせるものがある」ということかもしれませんね。

そうですね。50歳で新しいことに挑戦するのは相当の勇気が必要だったと思われることもありますが、個人的には勇気を出して踏み出したというよりも、自分の中にあるものに辿り着いたという表現の方が近いです。

私の場合は、やりたいこと(スープづくり)と、得意なこと(何かを表現すること)がぴたりとはまったからこそ、これなら人を喜ばせられるかもしれないという自信が持てました。思い返せば会社員時代から数字に関しては丸っきりダメでしたけど、アイデアを出したり企画を考えたりするのは得意だったんです。そうした自分自身の「好き」や「得意」を知ることの方が大事で、私はそこに早い段階で自覚できていたのも大きいですね。

別にはじめから凄いことを成し遂げようとする必要はないと思います。何者かになろうとして一世一代の決断をするというよりは、自分がもともと持っているパワーがもっと活かせる道を探すような、内なるエネルギーを勢いよく外に放出させるための出口を見つけることが大切だと思います。

≪つながりを活かすヒント≫
成功するかどうかよりも、自分らしく生きられるか

成功するかどうかよりも、自分らしく生きられるか

── スープ作家としてのこれまでの活動を振り返ってみて、ここまで続けてこられた秘訣は何だと思いますか。

やっぱりSNSなどで多くの人から褒めてもらえたことですね。家族にとってみたら、私のスープづくりはあくまでも日々の食事ですから、声に出して褒めてくれることなんて滅多にありません。息子は黙って食べていましたけど、夫は「今日はいいや」と朝食を食べずに出かけることもあって。家族はよい距離感で見守ってくれてはいますが、家族以外のつながりがあったからこそ続けられたのは間違いないですね。

でも、その一方で何がなんでも続けなければ、これで成功しなければと気負いすぎるのもよくないと思うんですよ。新しいことにチャレンジしようとすると、0(失敗)か10(成功)かで考えてしまうからハードルが高く感じられるけれど、私は、3とか6とか8で終わったってよいじゃないという気持ちもありますね。そもそも最初から確実な成功が見えているものなんてないし、ある程度やってみて分かるものじゃないですか。自分に合わないと思ったら、途中でやめたってよいと思うんですよね。

── 有賀さんにも、途中で諦めた経験があるんですか。

私、割と怠け者なのでいっぱいありますよ。10年くらい情熱を注いできた絵画も中断していますし、若い頃は出版や広告業界ではDTPが出始めだった時代で、私もやってみようと学校にも通ったりPhotoshopやIllustratorなどのソフトも買ったりしたけれど、結局諦めてしまいました。他にも“ちょっとした習い事”レベルのものも挙げれば数知れず。でも、そうやって思いついたことはなんでもやってきたからこそ、私はスープ作家になれたんだと思います。

── 結果にこだわりすぎなくてもよいということなのかもしれませんね。

失敗8、成功2くらいの感覚でよいのではないでしょうか。また、どんなに頑張ったとしても、すぐに結果が出るとは限らないことも多いから、焦る必要はないと思います。その時は諦めてやりっぱなしになったものが、巡り巡って活きてくることだってある。同年代の仲間や活躍している人を見るとつい焦る気持ちも分かるし、私もそうなることはありますが、大事なのは自分自身。人と比べて焦ったり落ち込んだりする必要はないはずです。成功するか、他人と比べてどうかは関係なく、自分らしく生きられる道なのか。その基準で気軽にはじめてみるのもよいと思います。

ピックアップ特集